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RSSフィード [18] 意訳詩
   
日時: 2011/10/31 12:06
名前: 闇の吟遊詩人(闇雅人) ID:Ru30e.qY

昔、私がTCの常連だったころ、管理人の闇さんに提案して拒否された企画(苦笑)。裏でやるならいいでしょう。参加は自由です。ちなみに「外国の詩」を「教科書的に直訳」せず、「意訳して日本語の詩」にする「意訳詩」というジャンルはあります。上田敏の『海潮音』や、佐藤春夫の『玉笛譜』などがその例です。

なお、TCから離れるにあたり、私の記事は全て削除しておきます。私の企画で孤軍奮闘してくれた「うんこ太郎さん」の応援のために「一時的に」投稿したランボーの詩も削除します。では、失礼致します。もう二度とここへは来ません。

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JAPS KEEP MOVING ( No.43 )
   
日時: 2012/11/04 09:18
名前: うんこ太郎 ID:aMMcCBuY


 JAPS KEEP MOVING THIS IS A WHITE MAN'S NEIGHBORHOOD
 ― 日本人よでていけ! ここは白人の地だ (アジテーションの広告から)


 訳しやすい言葉なんてもしかしたらないのかもしれませんが、強制収容所という言葉も簡単に訳すことはできません。アウシュビッツの強制収容所はCONCENTRATION CAMPですが、日系人強制収容所に関してはアメリカ政府はRELOCATION CENTERという言葉を使っています。
 1941年に真珠湾襲撃があり、これが西海岸に住んでいた約12万人といわれる日系人の運命を大きく変えることになりました。1942年にフランクリンDルーズベルト大統領は大統領執行命令に署名し、西海岸地域で米国の軍事活動の妨げとなる人物の排除が可能になります。
 INSTRUCTIONS TO ALL JAPANESE (日本人に告ぐ)という貼り紙が掲示され、そこには強制収容所への入所手順が記されていました。日系人は財産の処分を強いられ、スーツケースに必要なものだけをつめこんで、全米10箇所に設けられた強制収用所に収容されていきます。

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石原吉郎 ( No.44 )
   
日時: 2012/11/08 10:10
名前: うんこ太郎 ID:mdHsMsTE

 きついですが、自分なりのかけ足ですすめたいと思います。日系人収容所のひとつの、マンザナールの風景の動画がありましたのでリンクを貼っておきます。大地の姿そのままが残っているような、山のきれいなところです。一方で過酷な生活環境を想像させます。

 http://www.youtube.com/watch?v=0gyUGvyjmZI&feature=related

 収容所において詩が生まれるということは、不思議なことではないような気がします。フランクルの「夜と霧」を読めば、その悲惨な環境のなかに、胸に迫ってくるような、まさに詩の結晶のような表現が溢れています。
 日本にも、九年におよぶシベリア抑留体験のある石原吉郎がいます。石原の詩は極寒のシベリアの原野のように、ぽつり、ぽつり、行それぞれが独立して、訴えかけてくるような気がします。

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
あり得ぬ日々をこえて
花でしかついにあり得ぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
(石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』「花であること」)

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よつば、あんど! ( No.45 )
   
日時: 2012/11/10 21:51
名前: うんこ太郎 ID:CCxL.cr2

 英語訳のYOSTUBA&!(よつばと!)が本屋さんにあったので立ち読みをしていたら、おもしろい表現がありました。

 My very excellent mother just send us nine pizzas.
 
 日本で言う水金地火木土天界冥みたいに、惑星の名前を覚えるための語呂あわせです。 「母なる宇宙はとってもすてきなピザを人類におくってくださった」それぞれの単語の頭をとっていくと、惑星の名前が覚えられます。

 My:Mercury
 Very:Vinus
 Excellent:Earth
 Mother:Mars
 Just:Jupiter
 Sent:Saturn
 Us:Uranus
 Pizzas:Pluto
 
 こういう初等教育であたりまえのこととか、ぽろっと見落としがち…。
 
 とてもいい覚え方ですよね!大自然がピザをプレゼントしてくれるとか、いいですよね。

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もういちど加川文一 ( No.46 )
   
日時: 2012/11/17 07:54
名前: うんこ太郎 ID:nq2zv9nM

 前に一度加川文一の詩をとりあげましたが、今回は別の詩を。これは加川が日本語で書いた詩です。この詩はロサンジェルスの小東京(リトルトーキョー)で詩碑となっています。
 たった149人の日本人がハワイへと移民したのは1868年のことでした。戦争時に強制収用所に入った日系人は約12万人といわれています。1990年のアメリカ国勢調査では、日系人の人口は85万人とされました。
 
 英文に吾れの思ひは綴り得ず子に書く文の焦点あはず

 英文で表現できない想い、英文では綴ることのできない想い、そのような想いが、日本語の詩になっていったのでしょうか。

ーーーーーー

海は光れり

- 貧しさを時に嘆けど吾が世帯こまごまと物のふえてゆくなり(桐田しづ)
 
丘より見ゆる海は青し
夏が畑につくりし
胡瓜のごとき色を
にがく走らせたり

海はひねもす
わが乾ける瞳を刺し

われは此処に住みて
はや四年(よとせ)となりし
わが生活はまづしけれど
まづしさも己のものぞと
一筋にがき海に向かひて
語りきたれる

妻よ
今日も海は光れり
人の住む陸を抱きて
するどく海は光れり

ーーーーーーーーーーーー

MASAYUKI ARAIさんの英語訳

Seen from the hills, the sea is green
A color like the cucumbers we grew in the summer
Running to bitterness.

All the day long, the sea stabs at my dry pupils

We have lived here for four years alreday
Our life is poor
But the poverty, too, belong to me
I have come to tell myself
Facing straight toward the bitter sea

My wife,
The sea shines today also
Embracing th land in which man lives
The sea shines keenly.


 

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プエブロ(ネイティブアメリカン)の詩 ( No.47 )
   
日時: 2012/11/20 10:16
名前: うんこ太郎 ID:iWSnbF8M

 タオスプエブロの詩の意訳に挑戦しました(ひさびさに訳したような……)。ネイティブアメリカンの言葉は、キリスト教に根ざした考えよりも、日本人にとって入りやすいのではないか、そういう気がします。ニューメキシコ、アリゾナの厳しく乾いた風土が、こういう詩を生む土壌になったのでしょうか。

ーーーーーーー

わたしは今日、死んでいきます。
今日は死ぬにはとても良い日です。

生きているものすべてが、寄り添って来るようです。
わたしの心のなかで、あらゆる声が歌っています。
わたしの目のなかに、あらゆる美がやすんでいます。
悪い考えは、立ち去っていきました。
今日は、死ぬにはもってこいの日です。

わたしのまわりの大地は平穏です。
土はすっかりと耕されています。
家には笑い声が満ちています。
子どもたちが、うちに帰って来ました。

そう、今日は死ぬには良い日です。

---

Today is a very good day to Die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes,today is a very good day to die.

Nancy Wood "Many Winters" より

メンテ
感想です ( No.48 )
   
日時: 2012/11/23 21:49
名前: 楠山歳幸 ID:zQRfmLGs

 今更ながらで恐縮ですが、ざっくりですが、読ませていただきました。戦時中の日系人の詩、うんたさんの歴史特集に少し驚いています。

 N.39 村の春
 >その男は土のなかに
 ここに国籍の悲劇の思いを込めているのでしょうか。印象としては素朴な人柄で感情をぶつけているように感じました。

 N.40 風の跡
 風=息でしょうか。古神道だと息=生きとか言いそうですね。居留置としてのつながりはわかりませんが、自然に何かを感じる所は同じかもしれませんね。

 N.44 花であること
 詩の力を感じさせるような力強い文章ですね。心が折れてはならない、自分を鋼鉄であれという感じの意志を花にたとえたところに、なみならぬ何かを感じます。

 N.46 海は光れり
 >英文で表現できない想い、英文では綴ることのできない想い
 そして英文で書きたくない想いなんかもあったのでは、と思いました。港のような人の海ではなく水平線まで感じさせる大きな海、そこにははっきり言葉にしがたいであったであろう日本が込められていたんじゃないかなあ、とか思います。



 和歌山の日高にアメリカ村という所があります。うら憶えですが、明治期?カナダ?に渡った村人の「こっちでは鮭がたくさんとれる」という情報に乗って後ろの山や大阪などではなく太平洋を越えた人たちだそうです。「村の春」のような詩を読むと、当時の人たちの人柄まで感じそうです。

 英語が解れば感性の違いとか印象とか楽しめたかもしれませんが、ごめんなさい、僕には無理です。
 
 なんか適当な感じの感想で、失礼しました。

メンテ
ご感想ありがとうございます ( No.49 )
   
日時: 2012/11/25 09:26
名前: うんこ太郎 ID:w0oQm5X2

>楠山歳幸様

 ご感想ありがとうございます! 適当な感想だなんてとんでもない、感じたことをしっかり書いていただいたようで、とても嬉しかったです。もう一年以上投稿しているのですが、一人でも読んでくださる方がいればいいな、くらいに思っていました。まさかご感想をいただけるなんて思っておりませんでした。ありがとうございます。
 
 詩はそれぞれ生まれた土地に育った草木のようなものではないか、そう思うことがあります。だから詩を訳すということは、まるでその詩を手で折ってしまうかのようで、言葉の生命というか、言葉の躍動感や深みが失われてしまって悲しいものがあります。でも、自分のなかにはなにかしら残るものがありますし、そういうものが少しだけであっても楠山さんに伝わったとしたならば、本当に嬉しいです!

 日系人の詩にはいろいろと考えさせられることがあって訳しているのですけど、驚かせてしまいましたでしょうか? 移民初期、排日運動期、戦争期、戦後復興期、補償運動期、今日の日系人と、それぞれの時期で価値観が大きく変わっていくのですが、まだほんの一部しか取り上ることができていないのすけれど……。

 和歌山の日高のアメリカ村(美浜町)のことは知りませんでした。おもしろそうですね。これはぜひ行かねば! また行ってみたい場所がひとつ増えました。情報をありがとうございます。

 英語が分かるというのにもいろいろあって、私も英語のこと大して分かっていません。日本語だってどれだけ分かっているのかあやしいものです。まして詩を読んで、感性や印象の違いを把握するのは困難です。でも、語学の勉強は楽しいですよ!  私は多分死ぬまで語学の勉強は続けるだろうなって思います。無理だなどとはおっしゃらずに、機会がありましたら英語に限らず、ぜひぜひ楠山さんの訳詩もご投稿ください!

 本当にありがとうございました。

メンテ
少し考えてしまったので ( No.50 )
   
日時: 2012/11/26 23:04
名前: 楠山歳幸 ID:uFghQA2w

 少し考えてしまったのでまた書かせていただきました。

 家長制度という発想なのですが、寒村の場合末っ子になるほど生活の場が厳しくなっていくだろうと想像します。そこへ明治から人口増加に加え外国が身近になって食も豊だと知ったわけですね。都会へ出るという発想は貨幣的発想と思いますし、地方の貧しい村はまず食いものを求めたことでしょう。
 そんな理由もあって?移民が増えたと思いました。でも帰国できた人はよほど成功した人か、網元の親族の一握りの人たちだったかもしれません。二世あたりになると、移民先の影響のほうが強く、日本は自分たちを捨てた国なんて思うかもしれません。
 ということを大大大大前提に一歳未満の脳みそでウケ狙いで、訳を参考にN.41を読んでみます。
 
 私たち(移民一世の)日本人はアメリカに住んでいても日本の感覚と日本の風習(pride)と日本の考え方で全て日本人らしい感覚と考えで生きていても何事も無く問題もなかった。それからしばらくして(二世の代になって、自分は)半分だけ日本人になった。なぜなら「アメリカ」だけ(one)で生まれたのではなく(not)「アメリカ」だけで育ったわけではなく「アメリカ」だけで教育されたわけではないのだから。
 しかし(二世の場合は)米人ハーフだけでは(人として?)認められない、それは(人として?)半分空虚だと思い知らされた。私は日本人の息子でもなければアメリカ人の息子でもないのだ。

 笑ってください。

 
 http://www.jica.go.jp/kansai/event/report/2011/20111205.html

 というサイトになぜ和歌山県から多くの移民がでたのか?という欄があります。若い頃雑賀崎の方に昔の人は小舟で台湾まで漁に行ったと聞いたことがあります。一畳の魚棚を探ることもできたとおっしゃっていましたから当時の人は今より感覚で生活していたかもしれませんし、昔の人は潮や星などを知れば海は田畑より身近な所だったかもしれません。

 失礼しました。

メンテ
ありがとうございます ( No.51 )
   
日時: 2012/11/27 11:23
名前: うんこ太郎 ID:H.38F7Fw

> 楠山さん
 
 いやあ、ありがとうございます。こういうやりとりは楽しいですね。

 家長制度という発想なのですが、寒村の場合末っ子になるほど生活の場が厳しくなっていくだろうと想像します。そこへ明治から人口増加に加え外国が身近になって食も豊だと知ったわけですね。都会へ出るという発想は貨幣的発想と思いますし、地方の貧しい村はまず食いものを求めたことでしょう。
 
> そうなんですね。明治維新が移民には深く関係していて、地租改正で地租を納められない農民たちは土地を売り払って、それで失業者が増えて、結果として多くの人が他国へ出稼ぎに行った。一方で南米諸国は農業を中心に人手不足だったので、日本と受け入れ先の国での利害が一致した、これが移民の構図ですね。そしてバブル期・円高期には、今度は南米の日系人たちは日本に出稼ぎやって来ました。これは逆方向の移民などとも言われましたが、どうも複雑な心境になってしまいます。

 そんな理由もあって?移民が増えたと思いました。でも帰国できた人はよほど成功した人か、網元の親族の一握りの人たちだったかもしれません。二世あたりになると、移民先の影響のほうが強く、日本は自分たちを捨てた国なんて思うかもしれません。

> これはとてもおもしろいポイントで、二世以降やはり移民先の影響が強く、だんだんと言葉も失ってしまうわけですが、それでも日本人というものが残っているんです。ペルーに行ったときに、日系三世の会社経営者と話しをする機会があったのですが、家には仏壇が置いてあると言っていました。彼はアメリカンスクールで教育を受けて、英語でペルーの歴史を学んだと言っていました。日本語はまったくできず、まだ若いのにメルセデスを乗りまわすような、ちょっと日本人が想像する日系人とはかけ離れた印象だったのですが、それでも仏壇には思い入れがあるようで、こういうところに日本人の濃さのようなものを感じてしまいました。

 ということを大大大大前提に一歳未満の脳みそでウケ狙いで、訳を参考にN.41を読んでみます。

> 一歳未満というと、脳みそが元気なときですね! ウケ狙いなんてとんでもない、ありがとうございます。そしてお恥ずかしい。自分には誤訳がありました。 


 私たち(移民一世の)日本人はアメリカに住んでいても日本の感覚と日本の風習(pride)と日本の考え方で全て日本人らしい感覚と考えで生きていても何事も無く問題もなかった。それからしばらくして(二世の代になって、自分は)半分だけ日本人になった。なぜなら「アメリカ」だけ(one)で生まれたのではなく(not)「アメリカ」だけで育ったわけではなく「アメリカ」だけで教育されたわけではないのだから。
 しかし(二世の場合は)米人ハーフだけでは(人として?)認められない、それは(人として?)半分空虚だと思い知らされた。私は日本人の息子でもなければアメリカ人の息子でもないのだ。

> 前半部は、私はアメリカで生まれたわけではないけど、アメリカで教育を受け、アメリカで育ったから、それで半分だけの日本人、ということですね。Oneというのはイチローを含むアメリカで生まれなかったひとたち(つまり日系人)のことです。"One is not born, but rather becomes, a woman." といったら、ひとは女に生まれるのではない、女になるのだ、という言葉ですけど、ここでのoneはアメリカで生まれなかった人、ということですね。アメリカで生まれなかった(日本で生まれた)けれど、日系二世は結局日本人としては足りない、という意味になるのだと思います。

> 後半部はかなり端折って引用しちゃったのですけど、今度はアメリカ人としてはどうかというと、結局日本で生まれて日本人の両親を持つ日系二世はアメリカ人としても足りない、ということですね。半分だけアメリカ人であっても、それは全然意味がないのです。そういう時代だったのでしょう。実はこのセリフは母親に向けて語りかけているものなので、このYouはお母さんになります。日系二世は日本人でもない、アメリカ人でもない、日本人のお母さんとは感情も通じず、自分とは分かり合えない、そういうイチローの心情には悲痛なものがあります。

 笑ってください。

> 笑いません。本当にありがとうございます。

 
 http://www.jica.go.jp/kansai/event/report/2011/20111205.html

 というサイトになぜ和歌山県から多くの移民がでたのか?という欄があります。若い頃雑賀崎の方に昔の人は小舟で台湾まで漁に行ったと聞いたことがあります。一畳の魚棚を探ることもできたとおっしゃっていましたから当時の人は今より感覚で生活していたかもしれませんし、昔の人は潮や星などを知れば海は田畑より身近な所だったかもしれません。

> このサイトおもしろいですね。ご紹介をありがとうございました。移民の人は貧しい地域の方が多いですよね。沖縄からの移民もたくさんいます。メキシコ、キューバ、カリフォルニア、ハワイ、グアテマラ、コロンビア、ペルー、ブラジル、パラグアイ……。貧しいひとたちが、貧しい環境を不屈の闘志で歩き続けて、一体どんな詩を生んだのか、それってすごく興味ありませんか?
 

メンテ
ガブリエルミストラル ( No.52 )
   
日時: 2012/12/01 22:07
名前: うんこ太郎 ID:Aq8qPOyU

 チリには日本人の集団移民はありませんでした。チリにはノーベル賞を受賞した詩人がふたりもいて、ひとりはこの意訳詩でも挑戦してみて玉砕しましたが、パブロネルーダ。もうひとりはガブリエルミストラルです。
 
 幼な児の手よ
 欲しがりやの小さな手よ
 おまえたちは 世界中の谷間の
 主人(あるじ)
 幼な児の手よ
 おまえたちが 柘榴の木に触れると
 おまえたちによって 柘榴の実は
 灯りをともす。

メンテ

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