ミニイベント板にてお試しで立ち上げてみたところ、思いのほかご好評をいただきましたので、あらためてこちらで正式にスタートさせていただきます。皆様ふるってご参加くださいませ! リライトとは……という説明は省略します。リライトってどんな感じなのかな、と疑問に思われたかたは、ミニイベント板のお試し版をご参照くださいませ。■ 原作の提出について* 原作の受付期間: 2011年2月6日(日)~2月13日(日)24:00* 原作の長さ: おおむね原稿用紙20枚以内の作品とします。「自分の作品を、誰かにリライトしてみてもらいたいな」という方は、期限内にこの板に、直接作品を書き込んでくださいね。 また、今回は、お一人様につき一本までの提供とします。ほかの作品もお願いしてみたいんだけど……という方がいらっしゃったら、声をかけていただければ、後日第二回を設けますね。* また、原作を提出された方は、最低1本以上、ほかの方の作品(選択は任意)のリライトをしていただくようお願い申し上げます。(この制約はお試し版にはなかったのですが、今回から設けることにしました。なるべくたくさんのリライトがうまれたほうが、読み比べるのが楽しいという個人的な欲望です)* リライトは、文章面の改稿という意味だけでなく、キャラクター、設定、構成等の大幅な改編、二次創作に近いようなストーリーの追加等もあり得るものとします。 そうした改変に抵抗のある方は、申し訳ありませんが、今回の企画へのご参加は見合わせてくださいませ。 せっかく提出したけれど、誰もリライトしてくれない……ということもあるかもしれませんが、そのときはどうかご容赦くださいませ。ほかの方の作品をたくさんリライトしたら、そのなかのどなたかが、お返しに書いてくださる……かも?* 著作権への配慮について「ほかの方からリライトしてもらった作品を、いただきもの等として、自分のサイトやブログに展示したい!」という方がいらっしゃるかもしれませんが、必ず、リライトしてくださった方の許可を得てからにしてください。 また、許可がもらえた場合でも、かならず執筆された方の筆名、タイトルを付け直した場合は原題、企画によりご自身の原作をもとにほかの書き手さんがリライトしたものである旨を、目立つように表示してください。■ リライトされる方へ どなた様でもご参加可能です。むしろどんどんお願いします!* リライト作品の受付: 2011年2月14日(月)0時から受け付けます。(原作とリライト作品が混在するのを避けるため、原作の募集が終わってから投稿を開始してください) 書けたらこの板に、直接書き込んでください。* タイトルまたは作品冒頭に、原作者様の筆名および原作の題名を、はっきりわかる形で表示してください。* 投稿期限: 設けません。いつでもふるってご参加ください! ただ、何ヶ月もあとになると、原作者様がせっかくの投稿に気づいてくださらない恐れがありますので、そこはご承知くださいませ。 こちらに置かれている原作のリライトは、原作者様の許可を得ずに書き出していただいてけっこうです。ぜひ何作でもどうぞ! また、「作品全体のリライトは難しいけれど、このシーンだけ書いてみたい……!」というのも、アリとします。* 著作権等への配慮について この板へのリンク紹介記事などを書かれることはもちろん自由です。ですが、リライト作品を転載されることについては、原作者様の許可を明確に得られた場合に限るものとします。 また、許可を得て転載する場合にも、オリジナル作品と誤解を受けないよう、原作者様のお名前および原題、原作者さまの許可を得てのリライトである旨を、かならずめだつように明記してください。■ 感想について 感想は、こちらの板に随時書き込んでください。参加されなかった方からの感想も、もちろん大歓迎です。よろしくお願いします。 また、リライトした人間としては、原作者さまからの反応がまったくないと、「あまりにも改変しすぎたせいで、もしや原作者様が怒っておられるのでは……」という不安に陥りがちです(←経験談)* ご自分の原作をリライトしてくださった方に対しては、できるかぎり一言なりと、なにかの感想を残していただけると助かります。■ その他 好評でしたら、いずれ第二回を設けたいと考えています。でももちろん、こちらの板でどなた様か、別のリライト企画を立ち上げられることには、まったく異論ありません。 そのほか、ご不明な点などがございましたら、この板に書き込んでいただくか、土曜22時ごろには大抵チャットルームにおりますので、お気軽にお尋ねいただければと思います。 どうぞよろしくお願いいたします!
夜のあぜ道を歩いている。周りは見渡す限りの稲穂の海。むしゃくしゃしながら歩き続けているうちに、家からずいぶんと遠ざかってしまった。 まだ青々とした稲が、ときおり風に吹かれて、ざあっと波のような音を立てる。その音に紛れるように、母さんの声が耳の奥で谺していた。 ――無理に続けなくたっていいのよ。 本気でいっているのがわかるから、かっとなった。わざと乱暴にドアを叩きつけた。困ったような呼びかけを背中越しに聞きながら、家を衝動的に飛び出して、それからずっと、あてもなく歩いている。 誰のせいで、と思う。 子どもの頃から、母さんの声楽教室に通わされていた。自分から望んだおぼえはない。それは、母さんにとっては小さい娘を家にひとりで留守番させておくわけにもいかず、それならいっそほかの生徒たちと一緒にみていたほうがいいかと、それくらいの理由であって、もとからそこには特別な期待なんて、なかったのだ。そんなこと、とっくにわかっていたはずだ。 親が声楽の先生なんだ、それだったらねって、そんなふうな目で見られるのがいやで、中学の友達の誰にも、母さんの職業をいったことはない。ちょっと遠い私立校にバスで通っているから、家が近い子は誰もいない。音楽の授業だって、カラオケだって、目立たないようにわざと手を抜いて、へたくそに歌ってきた。 ――あなたが楽しくないんだったら、無理に続けなくたっていいのよ。 母さんの声がしつこく耳の奥にはりついている。いまさら。いまさらそんなこというくらいだったら、どうして。 びゅうと風が吹いて、稲穂の海が吹きたおされる。気の早い虫が機嫌よく鳴いていたのが、一瞬ぴたりと止む。 街灯のすくない道だけれど、りんごのようにまるい月があたりを照らしているので、足元は明るかった。見渡せば、その蒼い光がいつになく冴え冴えとして、風景を幻想的に染めあげている。むしゃくしゃしていた気持ちが、それですこし凪いで、足取りが軽くなった。「そこのお嬢ちゃん」 声がして、とっさに足を止めた。 稲の間から、無造作にこびとが飛び出してきた。稲とおなじ緑色。頭がわたしの腰までしかない。びっくりして目を丸くしていると、緑のこびとはきらりと目を輝かせて、「歌いたいのかい?」 といった。 蘇ってきたむしゃくしゃに、驚きもわすれて、わたしはぐっと拳を握りしめた。 誰が、と思う。誰が好きこのんで、歌なんてうたうものか。だけど怒りはとっさに言葉にならず、わたしが口をぱくぱくさせていると、こびとは訳知り顔でにやりとした。「歌いたいんだろう? 答えなくてもわかるさ。きみは歌いたがっている。ぼくは緑のこびとだからね。それくらいお見通しなんだよ」 ゴウゴウとした急流のような早口でそれだけいうと、こびとは何の前触れもなく踊りだした。 それはゆったりとした、見たことのない踊りだった。両手で大きく円を描くのが特徴的で、その足は重力なんてないかのように、ゆらゆらとなめらかに揺れた。みているうちに、空に浮かんでいるかのような感覚が、胸の奥から膨らんでくる。肺の奥、横隔膜のうえをくすぐるような、それはむずがゆい欲求だった。 歌わないのかい、と笑いぶくみの目線で、こびとは訊いてくる。わけのわからない衝動にあらがいながら、わたしはぶっきらぼうに口を開いた。「それ、なんていう踊りなの?」「月の踊りだよ。知らないの?」 まるで常識だというように、こびとは踊りながらそういって、くすりと息で笑った。背中がざわざわする。心の奥、深いところで、何かが荒れ狂っている。「さぁ、きみもはやく歌いなよ。歌詞なんかわからなくってもいいさ。メロディをしらなくても、思いつくまま、気のむくままにさ。どうせ誰も見ちゃいないんだ」 気がついたときには、頭の中をふっと横切っていくメロディを、口ずさんでいた。歌詞はまだ浮かばない。最初はスローな出だし。感情を抑えるように、固く、固く、じっくりと。さぁ、前奏は終わった! 喉を震わして、ことばを使って歌おう。 歌いながら、自分でもわけがわからなかった。なんだって強制されてもいないのに、歌なんてうたわなければいけないのだ。だけど、いくらそう自分にいい聞かせても、喉からほとばしりでる声はとまらなかった。 先の歌詞なんて考えないでいい。前後のつながりなんて気にしないでいい。一言ひとこと、一文字一文字を大切にして歌うのだ。あぁ、いい気持ち! からだの中にあったもやもやが、このうえなくぴたりと声により沿って、からだの外に抜け出していくのがわかる。あぁ、歌うことを気持ちいいと、楽しいと思ったのは、いつ以来だっただろう?「嬢ちゃん、なかなかいいじゃねぇか」 こびとが楽しげにいう。その声に、わたしは自分の頬が上気するのを感じた。こびとのいうとおりだった。わたしは歌いたかった。ずっとずっと、歌いたかったのだ、こんな風に! 抜けていくもやもやの変わりに、不思議な感覚が、心臓を中心にして拡がっていく。体が、夜の空気に溶け出しているのだった。それに伴って、歌は高く澄んでいく。もっと。もっと冴え渡るがいい! あのすまし顔の月に届くくらいに高く、ズタズタに切り裂いてやれるくらいに鋭く! 天に向かって伸ばした自分の指先を見て、わたしは目を瞠った。それは半透明に透けて、向こうがわには月のまるい輪郭が、うっすらと見えていた。 こびとは踊りながら、ちらりとこちらを見た。そのつまらなさそうな瞳が、やめておくかい、と訊ねてくる。 わたしはためらわなかった。ますます澄み渡る歌声に、こびとが楽しそうにステップを踏む。そのテンポがだんだんと上がっていく。疾走感が、歌の中を、踊りの中を突っ切っていく。 歌か、踊りか。先に転調したのはどちらだっただろう。同時なのかもしれない。歌とこびとは、同調しはじめているのだ。 ――歌とこびとは? そうだ。わたしはもうここにはいない。いまここに在るのは、こびとの踊りとわたしの歌だけだ。それだけなのだ。 もう、月はわたしを照らしていない。わたしは薄墨いろの歌になった。 蒼く明るい満月の夜。わたしはこびとの踊りと共に、世界を祝福する。わたし自身の旋律となり、こびとの踊りのまわりを舞う。もっと高く透きとおっていこう。もっと鋭く澄んでいこう。皆を、すべてを、ズタズタになるまで祝福してやろう! 月が、りんごのようにまるい月が、冷たく地上を照らしている。---------------------------------------- お目汚し、たいへん失礼いたしました!
それでは僕もここまでの感想を。-------------------------------------------------- HALさん「杞にしすぎた男」 かなり力の入ったリライトだったように思います。 細かいところの仕掛けにも丁寧に目配りがされているように思います。 ストーリーを追いながら絵図がどんどんと浮かんできました。-------------------------------------------------- HALさん「ひるがえる袖」 こういう設定を持ってくるとは……ちょっとジェラシーを覚えちゃいました。 もっともっと分量を加えることができる可能性をもったリライトですね。 ちなみに……。「妹が尋常小学校の友達と行き会って」「当時、東京市が東京都へと名を変えてまもなくの頃」 とありますが、東京市が東京都に変わったのが1943年。 尋常小学校は1941年に国民学校に変わっているので、1943年にはもう存在していなかったんですね。 実はこのあたりの時代に関しては、拙作「渦虫」を書くのにいろいろと調べた部分でもあったので、ちょっと気になったもので。 なんて書いている僕自身も「渦虫」の中で尋常小学校を誤認して書いているんですね(きちんと調べたつもりだったのですが)。 まぁ、何かの参考になればと思い、余計なこととは知りつつも書かせてもらいました。-------------------------------------------------- 水樹さん「歌と小人」その1「ここの世界の住人」の「ここの世界」が一体どこなのか。 元の世界には戻れない、と言いつつも夜空には元の世界のように月が浮かんでいる。 このラスト、いいなぁ……思わず盗みたくなります。-------------------------------------------------- 星野田さん「おーい」 語り口がいいですね、こういう語り口の世界は大好きです。 最後の「空を目指した小鬼はやがて~」からの文章が、ものすごく無常観を感じさせてすごくいいな、と思います。-------------------------------------------------- 星野田さん「あまりある言葉」 ジェラシーですね、ジェラシー。 もうこんなリライトをされたら僕なんかはジェラシーしか感じませんよ。 一体どうすればこんな作品を書けるんだろう……。 ということでこんな作品を書ける星野田さんのセンスにジェラシーです。-------------------------------------------------- レイスさん「彼女は僕の傍で口ずさむ」 祖母、両親、自分たち、そして生まれてきた子供、と親子4代の作品になっているんですね。 これ、もっともっと書き込むことによってもっともっと内容の濃い作品になりそうな可能性がありますね。 こういう設定もあったんだ、と今更ながらに自分の至らなさに痛感してます。-------------------------------------------------- OZさん「ひるがえる袖」 僕も女性視線としてリライトしたんですけど、この作品を読んじゃうと「全然ダメだったなぁ」と反省しきりです。 ここに書かれている感覚って、なんとなくわかりそうで、それでもあやふやなようで、そんなとても印象的な世界だと思います。 僕も「いまの私が暗がりにひそんで~」が妙に心に残りました。-------------------------------------------------- HALさん「歌と小人」 非常に現実的な葛藤から一気に現実離れした世界に持っていく手法は「なるほど」と思いました。「あぁ、歌うことを気持ちいいと、楽しいと思ったのは、いつ以来だっただろう」 さて、この一文をどう読むか。 これによってこのリライト作品が希望に満ちたものなのか、救いのないものなのか、二つに分かれるように思います。 そしてあえてどちらに転ぶかを提示していないところが良かったように思います。
小鬼のチャボは生まれて三日で母に先立たれ、この世界にひとり放り出された。 見渡すかぎりの氷原に、たった一本生える木。青白い月光に照らされて、足元に長い影を伸ばすその木の上に、チャボは住んでいる。家族もおらず、仲間のひとりもいなかった。淡い月光に身を任せながら、何をするでもなくぼんやりすごしていた。 かつてはこの地に大勢あふれていたはずの小鬼という小鬼はとうに死に絶え、いまではチャボが最後のひとりだった。小鬼は従来、土と葉っぱと自分の髪の毛一本があれば、そこからいくらでも殖えることができる。地の底に秘された彼らの産屋をたずね、持ち込んだ材料を捏ねて放り込めばいい。あとは青白く光る産屋の中でじっと時を待つだけで、自らとすっかり同じ姿をして同じ記憶を受け継ぐ同族が生まれてくるのだった。 それだというのに、小鬼のほとんどは絶えた。チャボも仲間を増やそうと思えば、繁っている葉っぱのぶんだけ増やせるのだけれど、そうする気には、ついぞなれなかった。自分の死期が近づいても、母親がそうしたように死に際に産屋に行くとも思えない。チャボはひとりで生き、ひとりで死ぬだろう。チャボが死ぬときが、小鬼という種族が絶えるときになる。それでかまわない、チャボは月を見上げながらそう思う。 チャボは、月が好きだった。 月は、空の天蓋にあいた穴だ。そこから、穴の向こう側の眩しい光が漏れ出て、世界を照らし出している。足元に広がるこの氷原は、どこまでも冷たく凍りついており、地の果てには眼を灼く白い光の壁があって、そこを超えた先には、この世の涯まで永遠に劫火に焼かれ続ける、灼熱の砂漠があるといわれている。氷雪と劫火に閉ざされた世界。それがチャボのいるこの大地だ。 昔はこうではなかったのだと、チャボの中の遠い記憶がいう。氷原は氷原でなく、砂漠は砂漠ではなかった。木は一本きりではなく、世界にはたくさんの生き物があふれていた。けれどその記憶は、ひどく断片的であやふやなものだった。親から子に写され続けていくうちに、だんだんと劣化していったのだろう。 ただ、この氷と炎に閉ざされた世界から、ゆいいつ抜ける道がある。それが月だ。天上で輝く月は、世界にぽっかりと開いた穴である。いつもそこにあり、形を変えることのないあの月を抜けると、その先には楽園が広がっているのだという。この世界に生きるわずかばかりの住人は皆、そこに辿りつくことを望みとしていた。 チャボも例外ではなかった。 この想いは、この世界に生きるすべてのものに、原初より刻み込まれた本能といってもよかった。小鬼の寿命は、そう長いものではないけれど、これまで連綿と受け継がれてきた小鬼たちの記憶には、もう途方もないほど昔から、その願いが刻み付けられていた。それにもかかわらず、結局その誰も、月に辿りつくことはかなわなかった。チャボは月に行くことをとうに諦め、そのかわりに、ただ憧憬の想いを月の向こうに向けている。 ぼんやりと氷原をながめていたチャボは、おや、と声を上げた。月光に照らし出される氷原のなかほどに、小さく光るものがあったのだ。 光るものはだんだんと木のほうに近づいてきて、やはり、おや、と声を上げてチャボを見た。そしてぎしぎしと関節を軋ませながら、立ち止まった。 それは人間だった。 チャボは意外に思いながら、木の低いほうの枝に飛び移った。チャボより十代ほど前の小鬼が、偶然この氷原でであった人間から、月を抜ける手段を手に入れたと聞いていた。チャボが受け継いだ記憶の中で、たまさかここを通りかかったその人間は、銀色の体に月光を弾いて、ぴかぴかと顔をかがやかせながら、「もうすぐ私たちは月を抜けられる」と語っていた。そのしばらく後に、小鬼は遠く離れた場所で、先の尖った細長いものが何本も月に向かって宙を駆け上っていくのを見た。そしてそれきり、この氷原を通りかかる人間はなかった。だからチャボも前の小鬼たちも、もう人間はのこらず月を抜けていったのだと、そう思い込んでいたのだった。 いまこうしてチャボを見上げる人間の顔は、どうしたわけかくすんで、かつてのようにぴかぴかと輝いてはいなかった。それどころか、ところどころ錆びついているように見える。チャボがそんな疑問を口に出すよりも先に、人間がいった。「まだ小鬼というものが、生き延びていたのだねえ」 その声は、しみじみとした響きを帯びていた。そして人間はひとつぷしゅうと、ため息のような音を立てた。そうすると、細い蒸気が人間の首からたなびいて、空中でそのまま凍りつき、その微細な粒がきらきらと輝く。 人間は皆、月を抜けたのではなかったのかと、チャボがそう訊くと、人間はもうひとつぷしゅうと音を立てた。「月を抜けたころ、か。ずいぶんと昔の話になるね」「ロケットが完成した当時、私たちは、そりゃあ喜んだ。半狂乱になった。当然だ、月の向こうにいくことが、この世界に生きるものすべての望みなんだからね。何台も何台もロケットを作って打ち上げ、仲間たちが月に向かっていくのを見て、私たちは無邪気に心を躍らせていた。自分の番はまだかと、待ちきれなくてうずうずしていた。ただね、そんな中である日、ふと誰かが呟いたんだよ」 そこで言葉を区切って、人間は空の月を見上げた。「誰一人として帰ってこないな、って」 人間は、いっとき無言で月を見つめていたけれど、その顔に浮かべる表情は、小鬼のそれとはかけはなれていて、この人間がいま何を思っているのか、チャボにはよくわからなかった。「多分それは、本当に純粋な疑問に過ぎなかったんだ。でもね、その一言は、私たちの胸に波紋を投げかけた。私たちはずっと、月の向こうには楽園があるって信じてきたけれど、それが本当だっていう証拠は、どこにあるんだろう。誰も見てきたものはいない。誰も戻ってきたものはいない」 チャボは口を挟まなかった。ぷしゅう、と音がして、氷の微細な結晶が光る。「それでも勇気のある人たちは、月へと旅立っていった。往復するだけの燃料を積んで、涙ながらに絶対もどってくるって、そう誓って出発した人もいた。どんなに遠くからでもつかえる通信装置を積んで、厳重な装備で出発した人もいた。だけど、通信は入らなかったし、誰も戻ってこなかったんだ。誰ひとり」 人間は沈黙した。チャボはしばらく無言で待っていたけれど、もしかして凍り付いて動作を停止してしまったのではないかと、そう不安になるほど、いつまでも人間が黙っているので、思わずそれで、と先を促した。そうすると、人間はまたぷしゅうと音をさせて、口を開いた。「いやな噂が立ちはじめた。月を抜けた向こうが楽園だなんて、嘘っぱちじゃないのか。あの向こうには、もしかしたら想像を絶するような、おそろしい地獄が待っているんじゃないか。月を抜けた仲間たちは、いまもそこで苦しんでいるんだ。そんな、噂だ」 チャボは人間から視線をはずし、月を見上げた。月はいつもと少しもかわらず、ただ中天で青白く輝いている。その向こうには、おなじように明るく輝かしい世界が広がっているだろう。チャボにはやはり、そうとしか思えなかった。「その噂はどんどん広がっていった。最終的にはそれが人間の常識になってしまったんだ。あの穴に飲み込まれたら最後、二度と抜け出ることのできない煉獄に縛り付けられるかもしれない。ただの想像、ただの噂だったはずのそれが、いつしか強迫観念になって、いまでは私たちは誰も、月を抜けようとはしないんだ。本能が、どれだけあそこに行きたいって叫んでも、ね」 人間は語り終えると、それじゃあと軽く手をあげて、歩き去っていった。金属の足がぎしぎしと騒々しく不協和音を奏でるのを、チャボは聞いた。人間と呼ばれる彼らは、かつての記憶の中では、自分の整備に余念がなかったというのに。 その人間に出会ってからも、チャボの月への憧憬はやまなかった。 空の穴から漏れる、青白い光に照らされた氷原。そこに奇跡のようにただ一本、ひょろりと生えた木の上から、チャボは世界を見、月を見ていた。 月。 空の月は皓々と明るく、チャボの目には、あいかわらず希望に満ちて見えた。それはこの世界に残された唯一つの救いであり、涯なき想像を広げてくれる楽園への入り口だった。 いつか月を抜けて、その先にある世界を踏む。チャボは今日も、そんな素晴らしい夢に身をゆだねる。---------------------------------------- よりSF寄りにアレンジしてみました……が、原作の幻想感が台無しになった気しかしないっていう……orz とりさと様ごめんなさい(土下座)
リライトのリライトでもあります。ごめんなさいと先に謝っておきます。 何でこんなにも私はちっぽけなんだ? 私が存在している理由って何だ? このままでいいのか? 無性に何かをしてやりたい衝動に駆られるのは、リンゴのようにまあるい月が、思いっきり跳躍すれば、手に届きそうで届かない月が、冷たい蒼い光を発し、君がこんなにもつまらない人間だなんて正直がっかりだねと、私を挑発しているからだった。私にはそう見える。この私の思いはどうしたらいいんだ? 何かしないと暴発しそうだ。しかし、何をすればいいんだ? 仕方なしに、弟を苛めて、この忌々しい気分を晴らそうと思う。だだっ広い田んぼの中、いつもの家路を歩む。「ちょいとそこのお嬢さん」 今の私は機嫌が悪い。そんなに早死にしたいのか? 絡んで来るのは自殺行為だぞ。「ちょいとそこのお嬢さん」 私を呼びとめようと、口調が強まる、私は苛立つ。あん? と振り返ると同時に裏拳をかます。が、何も当たらず、空を切る、どうやら気のせいだった。風圧に稲が波打ち、田んぼに隠れていた雀達が一斉に飛び立った。私は何事も無く月へと向き直すが、「ちょいと待っておくんなまし、そこのお嬢さん」 今度ははっきりと声が背後から聴こえ、手首を掴まれ引っ張られる。ここで素人は引っ張り返すが、私は違う。相手の引っ張る勢いを利用し押し倒す。足を掛け相手の背中を地面に叩きつける。すかさずマウントポジションを奪う。この状態、相手は成す術もない。? 普通なら、顔面や腹を両腕で塞ぐのだが、こいつは違った。頭の帽子を両手で押さえている。 すかさず容赦なく、こいつの鳩尾に五発パンチを入れて、悶える相手から、緑のトンガリ帽子を剥ぎ取った。「数々の無礼を、お許しください。どうか殺生はおやめ下さい」 私とこいつの回りを囲い、なんだこいつら? 小人達が土下座していた。 良く見ると、ひい、ふう、みい… 赤、白、青… こいつを入れて七人か。「七人の○人ってお前ら、ウォル○ト・ディズ○ニーに訴えられたら、こんなチンケなサイトなんてすぐに消されるぞ」「隠せてない気もしますが、大丈夫です。私達は八人の小人ですから」 本当にそんな設定で大丈夫か? 一人灰色の小人がヒョッコリと現れた。それはそれで何だかムカツク。「あなた様の力を是非、私達の国の為に貸してはくれませんか? お願いします」 いきなりの土下座、金銀財宝も差し出している。和菓子と思って開けたら万重もあった。「まあ、この世界にも飽きていた所だ、いいだろう、ただし、つまらない事をさせたりでもしたら。私は容赦しないからな。いいか?覚悟しとけよ?」「それでは、転送の為に踊りますので、あなた様は勝手に歌って下さいまし」「歌う? まあ、いいだろう」 私は小人の踊りとは関係なしに、好きに歌った。アカペラだ。 迷う事も無い、歌うならブルー・ハーツだ。 終わらない歌。リンダリンダ。どぶねずみ。 トレイントレインでは、小人達も合唱していた。ちょっと気分が良かった。 空間が歪む、世界が渦を巻いて私は吸い込まれる。「ああ、ウッカリ、つい、トレイントレインどこまでもに先走って、ここに転送してしまいました」「どういうことだ?」「ここから私達の王国に行くのには、あの谷を抜けなければなりません。あの谷には、隻眼のレッドドラゴンがいるのです。この百二十年間で、私達小人を五十一万四千七百八十二人も喰らった恐ろしいドラゴンなのです。他にもドラゴンがいて、それを貴方様に退治して欲しいのです」「ほう、ちったぁ、骨のある奴もいるんだな。それなら退屈しなくて済みそうだ」「あのドラゴンに対抗できる力は今、これしかありません。どうぞこの武器と鎧と盾を身につけて下さい、光り輝くオーラソード、クリスタルの盾、プラチナの鎧です」「そんなもんいらねぇ、重くて仕方ねえ」 え? でもと、小人達は眼を丸くする。「道具に頼ってどうするんだ? 私を誰だと思っている。私には、この拳で十分だ。丁度身体が鈍っていた所だ。ドラゴン退治か、準備運動には丁度いいだろう」 私は拳を打ち鳴らし、首を回す。屈伸をし、思いっきり跳ね上がる。この世界でも変わらない、リンゴのようなまあるい月が一段と近づく。後少しで手に届きそうだった。ここまで来てごらんよと、蒼い光を発し、私を挑発している。今に見てろよと、月から眼を逸らさずに私は着地する。私が求めていたのはこういう事だった。心躍り、身体が軽い、どこまでもこの世界を駆け抜けてやろう。邪魔する奴は叩きのめす。さらば退屈な日常、この瞬間、生きていると実感させてくれ。小人達を喰らった血で染まった隻眼のレッドドラゴンよ、私の燃えたぎるこの血を浴びたくはないか? 谷底から威嚇する声が聴こえた。そうこなくっちゃ、嬉しいぜ、期待に応えてくれるんだな。今のお前の意気込み、準備運動って言った事は訂正しよう。お互い手加減はなしだ。だが、残念な事に、全力の私にお前はなすすべも無く、お前自身の血で紅く染まるけどな。 私はレッドドラゴンを打ち消す雄たけびを響かせる。無音の後、またレッドドラゴンが威嚇する。お前も嬉しいんだな、今まで退屈してたんだな、せいぜい、この一瞬を無駄にする事無く、分かち合おう、楽しもうぜ!!行くぜッ!! 全く、姉さんといい、この殺人鬼といい、何がどうなっているんだ? 姉は、ちょっと残りのドラゴン狩ってくる、と訳の分からない事を言って、着替えを持ち、三日間連絡も無く、家に帰って来ない。 殺人鬼、話が長くなるので、過去の三語で何回か出て来たとだけ言っておこう。身長二メートル、アイスホッケーのマスクをし、繋ぎの作業服を着た、心優しい殺人鬼、教授と僕によってこの世界に召喚された殺人鬼、その回は作者の都合により削除されている。はちょっと横になると言ったまま、三日間ベッドで眠りっぱなしだった。仕方なしに僕はソファで寝ていた。 この時期には珍しく雷雨が鳴り響く。 夜中、電気が落ちた。 暗闇の部屋、明かりと言えば窓からの雷光。そこで見たのは、上体を起こしている殺人鬼。稲光の不規則なフラッシュ。コマ送りでゆっくりと殺人鬼は首を回しこっちを見る。これはホラーなのか?「君のお姉さんの居場所が分かったのさ」「どこに居るんだい?」「それが。とても言いにくいんだけど」「何だい? 言ってごらんよ」「うん、小人の国を乗っ取っているんだ。今じゃ女王様だね。逆らう者はドラゴンだろうと素拳でボコボコだね。それはもう、やりたい放題さ。向こうの世界での通り名が、世紀末覇者、拳王(ラオウ)様、五十三匹のドラゴンを五十三時間でひれ伏せた女性、リアルモンスターハンター、二つの世界を行き来する自由人、などなど」 色々と突っ込み所が満載だが、今更姉が何をしようと、どうしようと何も驚かない。そう言う人だからだ。「そうなんだ」「さあ、そんな悠長にしている暇はないさ、希少動物のドラゴンと小人の国を救えるのは僕達しかいない。今すぐレッツゴーさぁ」「う、うん」 自由に行き来できるなら、僕達は必要ないんじゃないかとちょっと思った。停電もすぐに復旧した。 殺人鬼の説得に仕方なしに、姉を連れ戻す事にした僕。どうやって姉を説得し、連れ戻そうか悩む僕。今回は、一筋縄じゃいかないだろう。部屋を出ると。「ふう、一仕事した後のビールはうめえぜ」 風呂上がりの半裸の姉が缶ビールを一気飲みしている。 悩みを打ち明けるなら、やはり身内だ、こんな姉でも僕が困っていたらきっと助けてくれるだろう。「姉上様、ちょっと御相談があるのですが」「うるせぇ、忙しいんだ、一昨日来やがれ」 僕と殺人鬼は姉の素足で蹴散らされ、一掃された。 家を追い出された僕達。お互いの埃を払う。「じゃあ、行こうか」 大人の対応、僕達は姉など居なかった事にした。「それじゃあ、小人の国へと転送するよ。僕が踊っている間に好きな歌を適当に歌ってね」 殺人鬼がぬるりと気持ちの悪いクネクネとした、記憶に残したくない踊りをおどる。殺人鬼は恍惚とした表情だろう。マスクで分からないが。僕は適当にアカペラで歌った。咄嗟に頭に浮かんだのは山下達郎のクリスマスの名曲だ。季節ともに踊りとは全く関係ない。このちぐはぐな行為、客観的に自分でもキモチワルイなと思いながら無駄に熱唱する僕。それでも、世界は揺らぎ渦を巻いて僕達を吸い込んだ。 何か大事な事を忘れている気もするが気のせいだろう。 一時間三語と変わらないなと、思ったりもしないでもない。 時間を掛けた割にこんなんじゃ、作者も弥田様も浮かばれないなとちょっと思った。「全くどいつもこいつも歯ごたえがねえぜ、今度はお前ら全員で掛って来な」「私共が束になって掛っても、到底貴方様には敵いません。その変わり、いつでもどこでも貴方様の力になると約束しましょう」「私よりも弱いお前らが、どうして力になれるというんだ?」「ごもっともです。失言をお許しください」「うるせぇ、いちいち謝るな。それよりも、疲れていないか? 大丈夫か? 少し休もうか? お腹空いて無いか? 家に帰らなくてもいいのか? 家族は心配してないか?」「お気づかいありがとうございます。貴方様に敗れたとはいえ、私はドラゴンの王、隻眼のレッドドラゴン、この命の焔が燃え尽きるまで、どこまでも主の為に飛んでみせましょう」「嬉しい事言ってくれるじゃねえか、それじゃあ、このままこの世界を飛び越える事は出来るかい? 私を退屈させない世界まで運んでおくれ、このまま私を最高潮のまま、エクスタシーを持続したまま、達成感で満たしてはくれないか? ほんの一時でもいいんだ、たった一時でもいいから、生きているって実感させてくれっ! そこが地獄であろうとも、地の果てだろうと、絶望の淵でも、そんなのはどこでもいいんだよ。止まりたくないんだ。ここで止まったら、私は私で無くなってしまうんだ! どこだろうとそこが私の死に場所なら、笑顔で死にたいんだよッ!」「仰せのままにっ! どこまでも! 貴方様が望む所に! そこが例え地獄であろうと、貴方様が心安らぐ安息の地へと、私は運んで飛んで行きましょう。行きますよ。しっかり摑まってて下さいッ!」 さらに力強く友は羽ばたく。 上昇し、息苦しいぶ厚い雲を抜けると、目の前には月しかいない。リンゴのようにまあるい月がより一層蒼く不気味に光っている。ようやくここまで来てくれたねと不敵に笑っている。あまりの美しさに私は寒気がし、産まれて初めて身震いした。これから私は何かと対峙するだろう。何かは分からない。分からないからこそ、こんなにも心躍る嬉しい事はないだろう。 一直線に月に向かって飛んでいる。今、この瞬間を生きているって言うのは、こういう事だろ?----------------------------------------『全く、姉さんといい、この殺人鬼といい、何がどうなっているんだ?』 から 『時間を掛けた割にこんなんじゃ、作者も弥田様も浮かばれないなとちょっと思った』はスルーして下さい。無くても話は通じると思います。書きたいように書いてしまいました。ええ、私の自己満足の作品です。とても楽しく書かせていただきました。この二作品、弥田様には本当に感謝しています。その3は… ないと思います。
たくさんのリライトいただき、感謝、感謝。です。作者冥利に尽きます。ありがとうございます。>星野田さんい、一行目から死にました……!!ぱねえな、と思いました。僕なんかが言えることはなにもないのです。面白いのです。ありがとうございました。>HALさんやっぱり上手いな-、と、才能ひしひし感じるな-、と思いました。ラストが鬼気迫ってくるというか、ぐっと見え方が良くなっているというか。なんというか、すげえなあ、と思うのでした。>水樹さんロック! これはロックですね!!ドラゴンとか超好きなのでよかったです。ステゴロとか超超好きなのでよかったです!!こちらこそ、感謝感謝です。ほんとうありがとうございました!!こんなリライトの仕方があったのか……! と目から鱗がぼたぼたぼらぼら落ちまくってます。みなさまありがとうございました。ぼくもはやく書かなくては……!!
間違い探しの始まり始まりー------------------------------------------------------ 夜の道。田舎のあぜ道。あたりは薄暗い。めまいがしそうなほど広い田んぼのなか、月が、りんごのように丸い月が、ぼくを蒼く照らす。酔ってしまいそうなほど幻想的で、妙に心が弾む。どきどきしていて、飛びだしたくなる。それでいてなんだかさみしい。心に靄がかかっている。自分の気持ちがよくわからない。 こういうときは、踊ろう。歌いたがりの歌うたいを見つけて、心ゆくまで踊りつくそう。「そこのお嬢ちゃん」 暗がりから、えいやと飛びだす。今日の歌い手は人間だ。ぼくの頭のてっぺんは、彼女の腰までしかない。 「歌いたいのかい?」 彼女が口を開く前に、ぼくははたずねていた。いや、たずねるというには自信に満ちたような、そう、念を押すというような行為に近い。 ぼくはことばを続ける。 「歌いたいんだろう? 言わなくともわかるさ。君は歌いたがっている。ぼくは緑のこびとだからね。それくらいお見通しなんだよ」 ゴウゴウとした急流のような早口でそれだけ言った。それからゆったりとした踊りをはじめる。両手で大きく円を描くのが特徴的だ。 躍っているうちに、彼女の表情が変化してきた。ふわふわした気持ちが膨らんでいる。それと一緒に、むずかゆい欲求も。歌いたいのかもしれない、と思っている。いや、歌いたいのだ。彼女は歌いたいのだ。だからぼくも躍りたいのだ。 躍るのだ。「ねぇ、この踊りはなんていうの?」 「月の踊り。さぁ、きみもはやく歌いなよ。歌詞がわからなくても、メロディを知らなくても。思いつくまま気のむくままにさ。どうせ誰も見ちゃいないんだ」 彼女は歌おうとした。けれども、なにを歌えばいいのかわからないか、口を開いて戸惑う。一番好きな曲にしようか。カラオケで上手に歌える曲にしようか。そんな風になかなか決められない。 なんというもどかしさ。心の奥底では、歌を求めて、何かが、彼女自身が、荒れ狂っている。急流のような、乱気流のような、いやとてもたとえようもない。だから、ああ! なにも浮かばなくていい。思いつくまま歌えばいい。無意識に、彼女自身が歌えばいい! そんな気持ちが伝わったのか、彼女が大きく息を吸う。最初はスローな出だし。感情を抑えるように。固く、固く、じっくりと……。さぁ、前奏は終わった! 喉を震わして、ことばを使って歌おう。先の歌詞なんて考えないでいい。前後のつながりなんて気にしないでいい。一言一言、一文字一文字を大切にして歌うのだ。あぁ、いい気持ちだ! からだの中からもやもやが抜けていく。 「嬢ちゃん。なかなかいいじゃねぇか」 抜けていくもやもやの変わりに、不思議な感覚が、心臓を中心にして全身に広がっていく。身体が、空間に溶け込んでいっているのだった。存在が消えていっているのだった。それでも恐怖は無い。いっそ一層に躍る。消えていく身体に反比例して、歌が高く澄んでいくのがわかる。もっと。もっと冴え渡るがいい! あのすまし顔の月に届くくらいに高く、ズタズタに切り裂いてやれるくらいに鋭く! だんだんとテンポが上がってきた。疾走感が、歌の中を、踊りの中を突っ切っていく。 歌か、踊りか。先に転調したのはどちらだったろう。同時なのかもしれない。歌とぼくは同調し始めているのだ。 「歌とこびと」? そうだ。ぼくはもうここにはいない。いまここに在るのは、彼女の歌とぼくの踊りだけなのだ。それだけなのだ。 もう、月はわたしを照らしていない。ぼくは薄緑色の踊りになった。 蒼く明るい満月の夜。ぼくは少女と共に世界を祝福する。彼女自身の旋律となり、ばくは踊りをくるくる舞う。もっと高く透きとおっていこう。もっと鋭くなっていこう。みなを、全てを、ズタズタになるまで祝福してやろう! 月が、りんごのようにまるい月が、冷たく地上を照らしている。--------------------------------------------------------- というわけで。極力文章を変えないリトライでしたー。
みらいみらい、機械の国の機械が何を思ったか「空が落ちてくるのではないか」と言い始めました。 そこはとある研究所の屋上に作られたちいさな世界でした。半円の蓋を被せて世界をもしています。機械で生態系真似たらどうなるのかという意味不明な実験です。 そこでとある機械が思ったのです。空となっている蓋が割れて落ちてきたら潰れて死んでしまいます。 機械はそうならないように空を支える柱を作り始めました。まわりの機械も同調して、大勢での建築がはじまりました。日ごと柱は高くなっていき、とうとう空の高さを越えて蓋にずぼっと穴をあけました。 それを目撃した研究員がぷちっとキレました。世界の空となっている屋根の費用はけっこう高かったのです。怒りに任せるまま塔をばらばらに崩しました。ついで、二度と結託できないように機械の言語能力をリセットしてやりました。開いた穴は仕方がないと諦めて、機械たちには「あれは月だ」と新たな認識をアップロードしました。 しかし機械はポジティブでした。上がダメなら今度は下に逃げようと地面を掘り進めました。 そして掘り進めること三年。機械は深く掘り進めすぎたため、下の階にずぼっと落ちてしまいました。 頭の上に落ちてきた機械に、研究員は考えました。心の中では、天井に穴を開けた機械を叩きつぶしたい気持ちでいっぱいでしたが、二度と同じことをやらせるわけにはいきません。そしてふと気がつきました。そういえば、機械に負の感情をインストールしてなかった、と。だからこいつら諦めないんだな、と。 研究員は落下の衝撃で壊れていた機械を直し「お前はまだ死んでいない。地上へ帰してやろう」といってやりました。そして土産に負の感情のインストールボックスを持たせます。「この箱ちゃんと開けろよ」 研究員はそう言いました。しかし修理がやっつけ仕事だったため機械は半ばバグっておりすぐにその命令を忘れてしまいました。 そのうちにとうとう機械が開けた穴からぴゅーぴゅーとロケットもどきが飛び出してくる段になって、研究員は箱に内蔵させていた通信機で話しかけました。「おい、これを開けろ」 しかし機械はバグっています。またロケットもどきが穴から飛んできて、床に落ちて炎上しました。研究員は無言で消火器を使って火を消します。「開けないとお前の機能を停止させるぞ」 しかし機械はバグっています。またもやロケットもどきが飛んできて、同僚の頭にぶつかって炎上しました。すぐさま水をかけましたが、同僚はアフロになってました。「……開ければお前の願いを叶えてやろう」「ならば空が落ちて来ないようにできますか?」「おいお前バグってたんじゃないのか?」 機械はバグっていたのでそれには答えずにパカッと箱を開けました。 とたん、中に内蔵されていたプログラムが世界に満ちて機械にインストールされていきます。 嫉妬、疑い、憎しみ、嘘、欲望、悲しみ、後悔、それらが機械に刻み込まれていきます。 そうしてロケットもどきが飛びでなくなりました。どうやら外の世界が怖くなった模様です。研究員は機械との約束なんて、そもそも守る気はありませんでした。「もう大丈夫だ。飛びでてくるロケットに忍耐する必要もない。ロケットの後始末をしたくないからと嘘をついて病欠したり、この実験をぶち壊したくなる欲求にかられることもなくなるだろう。明日は希望に満ちている」 研究員は仲間に言い渡します。 ロケットが飛びでなくなったので、あちこちが燃え上がることはなくなりました。煙のなくなった研究所の中、研究員は窓から身を乗り出しました。そして上を見上げます。 眩しいほどに青い青い空が見えました。------------------------------------------------ 大変楽しゅうございました。え、何かが混ざっている? 何のことやら。自分の作った世界観なんて知りません。矛盾なんて気にした事はありません。思いついたから何となくやってみただけです。 あ、星野田さんはいくらでもののしってくださいませ……。
眼下にひろがる光景は星々。ベランダから眺める景色は、無限の田んぼと、ぽつぽつ点在する民家と電灯と、それだけだ。空と陸との境目は闇にまぎれて、世界は、夜空とぼくとあとは彼女と、たったそれだけで構成されている。「きれいねえ」 と、隣に佇む彼女は言って、ぼくのあたまをそっと撫でた。目を閉じれば、ふふ。とちいさく笑って。「やあらかい髪」 ぎゅう、と抱きしめてくるので、にゃあ、と一声、尻尾をふる。嬉しいです、わたしはワタシハとても嬉しいです。 ひとしきりじゃれあって、すう、と腕が離れていく。体温が遠ざかり、開いた空白に、ひんやりと夜気が流れ込む。ぶるり、とぼくは震える。「すこし、寒いね。九郞、ホットミルクでも飲む?」 飲む。 うなずけば、じゃあ、ちょっと待ってて、と部屋のなかにはいってしまった。ベランダに、ぽつんとひとりきりになる。世界の構成要素がひとつ減って、夜空がそれだけ間近になる。ふいにあらゆるものごとを鋭く知覚する。濃密にたちこめる暗闇。地平線の向こうの、工場の稼働音。パトカーのくるくるまわるサイレン。排煙と吐瀉物のまじりあった匂い。どこか遠くで犬が鳴いている。うぎゃあ、うぎゃあ、と鳴いている。うずくまって耳をふさいで、その声を聞かずにいられたらどれだけ良いのだろう。うぎゃあ、うぎゃあ、と鳴かねばならない犬を思って、ぼくはひとすじ涙を流した。「おまたせー、て、あれ? なんで泣いてるの? どこか痛い? 大丈夫?」 心配げな彼女に、ふるふる首をふってみせる。やさしい彼女は、それでもなお浮かない目つきをしながら、表情だけは笑ってみせて、「飲む?」 すとん、とおいた平皿には、あたたかな牛乳がなみなみと張られて、絹のようなつややかな湯気がほんわかと昇っている。舌でなめると、すこし、あまい。「あつい」「ほんと? 冷ましてあげよっか?」「うん」 彼女は四つん這いになって、ぼくとおんなじ姿勢で、ふう、ふう、と牛乳に息をふきかける。こういうときの彼女が、いちばん身近に感じられて、ぼくは好きだった。そっと身体を寄せると、しんぞうの、とくん、とくん、と音がする。「まこ」「うん? なに?」「なんでもない。呼んだだけ」「あら」 彼女は笑って、ぼくも笑った。うぎゃあ、うぎゃあ、と悲しい声は続いているけれど。神さま、ぼくは悪い子です。どうか罰してやってください。マンションの最上階に住むというえらい神さまに、心のなかでそっとお願いする。だけど、神さまはおそろしいひとだ。ぼくがほんとうはそんなこと、ぜんぜんまったくこれっぽっちも望んでいないということをよく理解していらっしゃる。とくん、とくん。と、この音をいつまでも聞き続けていたい。いたいんだ。ぼくは本当に悪い子だ。 人さし指で、彼女の頬をなぞる。やさしい気持ちになる。自分をゆるしてあげよう、と思う。しあわせになったって別にいいのだ、と思う。 彼女の体温にくっついたまま、手の甲にそっとキスをした。 うぎゃあ、うぎゃあ、うぎゃあ、うぎゃあ。 とくん、とくん。とくん、とくん。 それはここちよい夜のノクターンであった。------紅月さんのをリライトさせていただきました汗汗汗。リライトというか、二次創作ですね汗汗汗。なんか、いろいろとごめんなさい汗汗汗。
>とりさとさんわーわーわーわーわー!>もう、月はわたしを照らしていない。ぼくは薄緑色の踊りになった。なんというか、この一文にすっかりやられてしまいました。これを起点にして、もういちど自分で書き換えてしまいたいくらいです。ありがとうございました!
わあ、無謀な挑戦すぎた……! はじめに予告を兼ねて謝罪しておきます。無残なことになっていると……orz---------------------------------------- お隣の町にある百貨店について、おかあさまが話して聞かせてくださったのは、もうじき冬が終わろうかという時節のことでした。 行ってみたいと、幼い私が申し上げますと、おかあさまはにっこりと微笑まれて、「では明日。お着物を揃えにまいりましょうか」と、それだけ仰いました。そのお返事がうれしくて、私はその夜、ほとんど眠ることができませんでした。なぜならそれは私にとって、初めてのお出かけだったのです。 風は冷たいけれど、ぽかぽかとお日様の光が降り注ぐその朝、しっかりとおかあさまの手につかまって、私はおっかなびっくり百貨店に出かけました。 百貨店は二階建ての、おおきなおおきな建物でした。お外から見あげると、そこには私たちのお家が、何十軒だってすっぽりと入ってしまいそうに見えます。それほどおおきな建物だというのに、何か理由があるのでしょうか、入り口は大変にせまく、体の小さな私でさえ、かがまないと入れないようなものでした。 大人のおかあさまはなおさらのことです。きゅうくつそうにお膝をつかれ、にじるようにして、おかあさまは建物のなかにお入りになりました。そのお尻を追いかけるようにして、私もあとに続いて、おなじようにかがんで戸をくぐりました。 そのまま奥へ進みますと、じきにぽっかりと広いお部屋にたどりつき、その中ほどに、昇降機が見えてまいりました。もちろんそれは私にとって、初めてこの目で見るものでしたが、おかあさまが昨夜お話してくださったので、それが昇降機だということは、すぐにわかりました。 これもおかあさまのお話と同じように、昇降機のそばには、係の方が控えていらっしゃいました。それはたいへん体の大きな男の方で、その二の腕でさえ、私の体の幅よりも太いのではないかというほどでした。百貨店の制服なのでしょうか、葡萄色の服を着ておられ、上衣も袴も、ぴしりと誇らかに糊がかかっているようでした。その足元、灰色の巻き脚絆がたいへんもの珍しく思われて、私がそれに見入っておりますと、その方は、にっこりと微笑みかけてくださいました。 それは厳ついお顔に似合わないような、とても優しい笑い方だったのですけれど、幼い私はすっかり怯えてしまって、とっさにおかあさまの袖にしがみ付きました。「さあさ、早速ですが、私どもを二の階へと、持ち上げてくださいませ」 おかあさまがそう仰ると、係の方は唇を引きしめて、がらりがらりと昇降口の引き戸を開かれました。それから丁重な手つきで、おかあさまと私とを、昇降機の中に引き入れてくださいました。 昇降機は、鉄で出来た箱でした。それはおかあさまのお話で想像していたよりも、ずっと小さく狭いもので、おかあさまと私がふたり、中に並んで入るのがやっとというぐあいでした。係の方が、葡萄色に包まれた大木のような腕でもって、引き戸をがちゃんと閉められますと、その狭い場所はますますきゅうくつに感じられました。それがなんだか檻のなかに閉じ込められたように思えて、私はおかあさまの手をぎゅっとにぎりしめました。 昇降機の天井には、赤く小さな照明が、ひとつだけぶらさがっていました。その光が私たちを、ぼうっと照らしだしています。おかあさまの白いはずの頬は、その光のせいで、まるで血を塗りたくったかのようでした。その色にますます不安になって、おかあさまを見上げますと、おかあさまはしっとりとした手のひらで、やさしく私の手を包んでくださいました。それから微笑んで「しばしの辛抱ですよ」と、はげますように仰いました。「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 それは力強いお声でした。昇降機の外で、先ほどの男の方が歌っておられるのです。 がたん、と昇降機が揺れました。きききと、こすれるような音が続きます。とっさにおかあさまのお顔を見上げますと、そこには先ほどまでの微笑みはありません。おかあさまは両の瞼をきつく閉じられて、唇を引き結んでおいででした。そのぴりぴりとしたようすに、私は怯えました。 おかあさまはきっと、前の月に別の百貨店で起きたという、昇降機の事故のお話を思い出されたのでしょう。 そのお話を、いつかおかあさまが青い顔でなさっているのを、私は眠ったふりをして、こっそり聞いておりました。昇降機を上へ上へと持ち上げるはずの頑丈な綱が、何がきっかけだったのか、ぶつりと切れて、あわれ昇降機は、一階の床へと叩きつけられてしまったとのことでした。それはどれほどの衝撃だったのでしょうか、とぎれとぎれに聞こえてきたおかあさまのお言葉からすると、中に乗っておられた母娘連れのお二方は、不幸にも、命を落とされたようなのです。「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 はじめはただ小さく揺れていた昇降機が、係の方のお歌にあわせて、少しずつ上へ引き上げられていきます。それは滑らかな動きではなく、歌声の節にあわせて、ちょっと上っては止まり、またちょっと上っては止まりというふうな調子でした。 歌声の合間に、おかあさまが小さな小さな声で呻かれるのを、私はこの耳に聞きました。見上げれば、おかあさまの首筋には汗が浮き、いつもはまるい眉が、きつく寄せられています。私が不安そうに見ているのに気づかれたのでしょう、おかあさまはふと目を開くと、私を安心させようと、汗の浮いた頬で、にっこりと笑いかけてくださいました。 昇降機は少しずつ、少しずつ上っていきます。その動きはゆっくりで、中にいる時間は私には途方もなく長く思えましたが、それでもじっと辛抱していると、やがて昇降機はじょじょに二階に近づいてまいりました。「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象……」 きゅうに心なしか、お歌が遠ざかったような気がした、そのときでした。 がたんと音を立てて、昇降機が揺れました。一瞬、上の階にたどりついたのかと思った私は、出口の扉をぱっと見ました。けれど扉の上にある針は、二階の表示のすこし手前のところで止まっています。心細くなって振り返ると、おかあさまはなにか、ひどく厳しい表情で、階数表示を睨みつけていらっしゃいました。 昇降機は、おかあさまと私を狭い小さな場所に閉じ込めたまま、ただただ不規則に揺れるばかり。どうしたのでしょうかと私が呟くと、おかあさまは私の手をきつくにぎりしめてくださいました。けれどそれは、私を安心させるというよりは、ご自分の不安を紛らわすための仕草のように、私には思われました。 ずずっと、昇降機がまたほんの少し、ずりおちたようでした。「おおい。痛いよう。痛いよう。物凄く痛いよう」 足元から、止まったお歌のかわりに、悲痛な泣き声が聞こえてまいりました。 その声がとても哀れっぽくて、先ほどまでの力強いお歌とかけはなれていたものですから、私は一瞬おもわず我が身の不安も忘れて、足元を見下ろしました。けれどそこにあるのは鉄の床ばかり。階下が透けて見えるわけではありません。「どうしたのでしょう」 訊ねて見上げると、おかあさまは厳しい表情で、きっと唇を結んでいらっしゃいました。おかあさまの、きつく寄せられた眉根のしわに影が落ちて、うなじには、ほつれた髪が汗で張り付いています。ご気分がお悪いのですかと訊ねると、おかあさまは無言でかすかに首を横に振られました。「いかがなされた。いかがなされた」 大声でどなたか、係の方に呼びかけられるのが聞こえてきます。「裂けたのです。わたくしのこの腕の筋が、ぶつりと裂けたのです」「それは大変だ。お医者をお呼びいたしましょう」「いいえ。いま私は、この場を離れるわけにはゆかぬのです。筋の裂けたこの腕で、輪転を支えるのをやめてしまえば、昇降機はまっしぐらに落ちてしまうでしょう」 おかあさまが息を呑まれるのを聞いて、私はおろおろと、おかあさまのお顔と、昇降機の階数表示とを、交互に見上げました。「それではまず、昇降機を操れるほかの方を、お呼びしてまいりましょう」 足元からばたばたと、どなたかが走り去る音が遠ざかってゆきます。昇降機は小刻みに揺れ、ときにはくくく、と下がります。まっしぐらに落ちてしまうでしょう。係の方の苦しげなお声とともに、先月の事故のお話が思い出されて、私はおかあさまのお膝にすがりつくようにして、ぎゅっと体を縮めました。 ときおり昇降機はゆれ、がたんと音が響きます。真鍮の文字盤の壱と弐のあいだ、弐にほど近いところを、針はさしています。それが、昇降機を揺れるたびにくくっと下がりました。「痛いよう。痛いよう」 すすり泣くような声が聞こえてまいります。それがひどく辛そうで、私までつられて、泣きたいような心持ちになってまいりました。「あの、おかあさま。下の階へ、ゆっくりとおろしていただくわけにはゆかないのでしょうか」 私がおろおろと訊くと、なぜだかおかあさまは、ひどく張りつめたようなお顔をなさいました。「あなたは、下へ降りたいのですか」 おかあさまは、じっと私の目を見つめて、ひどく真剣に、そうおたずねになります。そう訊かれても、私には答えようがありません。わかるのは、ただこのままでは、あの係の方が気の毒だということだけでした。 そうしている間にも、またくくっと昇降機がすべり落ちます。おかあさまはまた苦しげに眉をひそめられ、小さく呻かれました。「痛いよう。痛いよう」とすすり泣く声も、階下から何度も響いております。「一階に、戻りたいのですか」 おかあさまから重ねて訊ねられて、私がお返事に詰まっていた、そのときでした。足元からはげますように、力強いお声が聞こえてきたのは。「おおい。よく堪えたな」「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 先ほどの声とは違う、けれど同じように力強い歌声が、そう高らかに歌っておられました。そしてそれにあわせて、昇降機はごとん、ごとんと音を立てて、上昇を再開したのです。 ほっとして、おかあさまを見上げますと、先ほどまでの厳しいご様子が嘘のように、静かな表情に戻られて、じっと目を閉じておられました。その頬を、つと汗が滑りおちます。 ごとん、というひときわ大きな音が響き、真鍮の階数表示が、弐の文字盤の上に止まりました。「弐の階到達。弐の階到達。万象真理に我ら打ち克つ」 がらりと音を立てて、昇降機の引き戸が開かれますと、その隙間からまばゆいほどの白い光が射してまいりました。思わず目をつぶりますと、百貨店というところにはお薬の売り場もあるのでしょうか、鼻をつんとさす、消毒液のにおいがたちのぼりました。「さあ」 おかあさまに手をひかれるままに、一歩を踏み出しかけて、私はおどろきに立ちすくみ、声を上げました。そこはお着物の売り場には、とても見えませんでした。 白いお部屋。壁紙も照明もひどく白々として、昇降機の中の赤い照明になれた目には、それはまぶしすぎて、痛いほどでした。おかあさまはすでに、昇降機の外に出て、ふりかえって私を待っておられます。 昇降機の外は、思いのほかに狭いお部屋となっておりました。そこには、何人もの方々が控えていらして、どなたも清潔そうな、真っ白のお洋服をお召しになっています。そして不思議なことに、その方々は一人残らず、そろってにこにこと微笑んでおられるのです。 その中の誰も怖いお顔などしてはおられないのに、なぜだかとても不安に思われて、私は外に出るのをためらいました。先ほどまで、早くあの昇降機から出たいと、そう思っていたというのに。 お一方が、不意に、手をぱちりぱちりと鳴らされました。 それを待っておられたかのように、他の方々も、そろってぱちりぱちりと手を叩き始められます。よく見ると、その中には女の方も何人かいらっしゃいました。 ぱちりぱちりの合唱は、次第に大きくなっていきます。それはまるで、私に「早くこちらに出ておいで」と話しかけてくるようでした。 私が戸惑って、片方の手でおかあさまの袖口に、もう片方の手で昇降機の扉にしがみついておりますと、おかあさまはにっこりと笑って、両の腕を広げてくださいました。「さあさ、いらっしゃい。ここがあなたの生なのですよ」 その言葉を聴いた私は、わけがわからないまま、こみ上げてくる正体のわからない思いに突きうごかされるように、おかあさまの腕の中に飛び込んだのでした。たくさんの拍手に包まれる中、思うように動かない指で、せいいっぱいおかあさまの胸元にしがみつくと、胸いっぱいに息を吸い込みました。 そして私は、声をはり上げて泣いたのです。---------------------------------------- みごと玉砕。むずかしかった……! お目汚し、大変失礼いたしました。山田さん様、どうか寛大なお心でお許しくださいますよう、平にお願い申し上げます。