ツイッター上でリライト企画が盛り上がっていたのが楽しかったので、こちらでも提案してみようという、堂々たる二番煎じ企画です!(?) 今回はひとまずお試しなのですが、もし好評なようでしたらもっとちゃんと企画として考えてみたいなあと、漠然と考えています。----------------------------------------<リライト元作品の提供について> 自分の作品をリライトしてもらってもいいよ! という方は、平成23年1月16日24時ごろまでに、この板にリライト元作品のデータを直接貼り付けてください。* 長いといろいろ大変なので、今回は、原稿用紙20枚以内程度の作品とします。 なお、リライトは全文にかぎらず、作品の一部分のみのリライトもアリとします。また、文章だけに限らず、設定、構成などもふくむ大幅な改変もありえるものとします。「これもう全然別の作品じゃん!」みたいなこともありえます。* そうした改変に抵抗がある方は、申し訳ございませんが、今回の作品提供はお見合わせくださいませ。 また、ご自分の作品をどなたかにリライトしてもらったときに、その作品を、ご自分のサイトなどに置かれたいという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、かならずその場合は、リライトしてくださった方への許可を求めてください。許可してもらえなかったら諦めてくださいね。 あと、出した作品は絶対にリライトしてもらえる、という保障はございませんので、どうかご容赦くださいませ。----------------------------------------<リライトする書き手さんについて> どなた様でも参加可能です。 こちらに提供されているものであれば、原作者さんに断りをいれずに書き始めていただいてけっこうです。* ただし、作品の冒頭または末尾に、かならず「原作者さま」、タイトルを付け直した場合は「原題」を添えてください。 できあがった作品は、そのままこの板に投下してください。 今回、特にリライトの期限は設けません。* 書きあがった作品をこちらのスレッド以外におきたい場合は、原作者様の許可を必ず求めてください。ブログからハイパーリンクを貼ってこの板自体を紹介される、等はOKとします。----------------------------------------<感想について> 感想は任意です、そして大歓迎です。* 感想はこのスレッドへ! リライトしてもらった人は、自分の作品をリライトしてくださった方には、できるだけ感想をかいたほうが望ましいですね。 参加されなかった方からの感想ももちろん歓迎です!
この作品が他の方が書くとどうなるか楽しみです。下手くそな作品ですがよろしくお願いします「孤高のバイオリニスト」(字数800字程度)歌が聞こえる。誰かが歌う歌が。どこか儚いその歌は、でも優しく響く。僕は引き寄せられるように、誰かの下へ歩く。涙流す彼女がそこに。どうして泣いているの?何があったのだろう?悲しいことがあったのか?それはわからないけれど。僕が出来ることは一つ。「涙を拭いて」って。差し出す青いハンカチ。あなたは勢いよく顔をあげ、そしてまた泣いた。「あの人がいなくなったの」震える声で言う。「私はどうしていいのかわからないから歌うだけ」「あの人が、一番好きだったこの曲を聞いたらきっと戻ってくると思って」僕は彼女の横で、ドサリと荷物を降ろす。「歌だけじゃ淋しいよ。だから僕が奏でる」取り出したバイオリン。肩に担いで言う。「さあ、あなたが歌わないと。その方には聞こえませんよ」と。バイオリンの音色。それに乗って響く歌は、世界中に響いた。彼女の思いも共に。いつまでも、いつまでも。僕達は止めなかった。彼女の待つ人が、帰ってくると信じて。そして、ある日。彼女の顔が綻んだ。待ち人はついにやって来て、彼女を抱きしめた。僕は、そんな彼女らを見て、そのままそこをあとにする。まだまだ僕の道は永いから。僕はまた歩き出した。彼女が気付いた時、バイオリニストはもういない。青いハンカチと、笑顔の彼女らを残して。バイオリニストはどこまでも。世界を巡り奏で歩く。彼の生きる時間は、まだまだ永いから。孤独を背負いながら、彼は誰かを笑顔にしていく。今もどこかを歩む、孤独のバイオリニスト。――――――――――――――――――――――――――――――――――「ノワール・セレナーデ」(字数5000字) 雨が降る。俺はそんなのはお構い無しに懸命に走った。冷たい雫が全身を容赦なく叩く。辺りは夜の帳(とばり)に包まれ、静かに寝息を立てている。そりゃそうだ。今の時刻は深夜なのだから。・・・ん?『そんな時間になんでお前は傘も刺さずに出歩いているのか?』って。それは・・・、「うおっ!!!」ビチャリ。水浸しのアスファルトに足を取られ思わず転んでしまった。「く、くそ・・・」悪態をつこうとするが、そんな暇は無い事に気付き直ぐ様立ち上がり走り出そうとした。「そろそろ、死んでくれよ。小僧ううううううう!!!!!!」その瞬間、俺の左側の壁が弾けとんだ。「うあっ!」アスファルトの上を転がり横へと逃げる。「くっそおおおおお!!ちょこまかとうるせぇやつだ!!!」 こいつだ。俺がこうして真夜中の雨中マラソンをしている理由の一つは。 ―ディグラフ―かつては人の魂であったモンスター。幽霊・・・って言った方が分かりやすいかもしれない。まあ、その姿はおおよそのものとは全く違うが。 人型なのだが全身が角張っていて目は縦向きに一つ。口は大きく裂けていて青白い二股の舌が一本、手には三本の指が(ロボットのようなものだが)生えていて、足には指が無く靴のように爪先が丸い。あと、鋭い棘が無数に付いた長い尻尾まであったりする。ほら、俺がモンスターって言った理由がわかっただろ?「おらあああああ!!!」 俺目掛けて尻尾を振るうディグラフ。またもアスファルトの上を転がり回避。そして、立ち上がり走る。 おわかりだろが俺はコイツに襲われているからこうやって逃げている。というと大体は『何故襲われているの?』となるだろう。それは簡単だ。俺にはコイツが見えているから、である。 ディグラフってのは幽霊みたいに見える奴と見えない奴がいる。で、ディグラフは見える奴だけを襲い捕食しようとするんだ。何で見える奴だけなのかってのは、「あーーーーーーもう!!!めんどくせええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」 気づいた時には遅かった。がしり、と頭を鷲掴みにされうつ伏せに地面へと押し倒される。横を向いた事でかろうじて顔面から地面に落ちることはなかったが状況は最悪だ。「いい加減、飽きたぜぇ?」じゅるり、という舌なめずりの音。三本の指の間からギョロリと俺を睨む一つ目。「ちっ・・・」「さぁてー・・・、どこから喰らおうかぁ?」くそっ・・・。あいつは、まだ来ないのか!?あいつが来れば・・・、「やっぱりぃ・・・、頭からガリガリいくのがうまいかねぇ?」「お、俺が知るかよ!」「おおぉ、そうかぁ。じゃあ、教えといてやるよぉ・・・。頭から喰うのってよ、最高にうまいんだぜぇ。・・・恐怖で泣き叫ぶ声が聞けるからなあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」 大口を開けるディグラフ。『これまでか・・・・・!!!』と観念したその時だった。「よくやった。褒めて遣わすぞ、城戸(きど)」 凛とした声が闇夜に響く。いつの間にか雨は止んでいた。いつもなら偉そうな態度に悪態をつくところだが今回ばかりはそうもいかない。「へっ・・・、そりゃどうも。待ち草臥れたぜ、緋和(ひより)」 雲間より現れた月は彼女を照らした。・・・あいつこそが俺がこうやって『ディグラフを引きつけて逃げる』ことになった理由を作った奴。そして、俺にディグラフとは何かを教えてくれた者。「お主が早過ぎるのだ。そして、ちょこまかと動きすぎる。おかげで場所が特定しづらかったではないか」「何だぁ?もう一匹いたのかあ?」「最初からの。まぁ、とりあえず・・・」ズシュッという音と共に頭を抑えていた力が消える。「その汚い腕をわしのペットからどかせてもらおうか」 一瞬の煌き。銀光が走りディグラフの腕は吹き飛んだ。「ぎぃやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」悲鳴を上げ、のた打ち回るディグラフ。その傍らからゆっくりと歩いてくるのは紺色のセーラー服に身を包んだ白い長髪に紅眼(こうがん)の少女、緋和。「ちょっと待てよ。誰が誰のペットだって?」「・・・早く立たぬか、愚図」「愚図・・・!?」「ペットでなければ愚図じゃ。全く・・・、死にそうだった所を助けてもらったのに礼も無し。それでいて少々の事で声を荒げるのか?」「うっ・・・。・・・ありがとうございます」「うむ、それでよい。まぁ、今の礼で愚図とペットは取り消すとしよう」 緋和はゆっくりと振り返る。見据える先には未だにのた打ち回っているディグラフ。「痛えええええええええ!!!!!痛えよおおおおおおおおおお!!!!!」「ふんっ。わしらを襲った当然の報いじゃよ」「くそっ!くそっ!!!くそおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」激昂と共に緋和に襲い掛かるディグラフ。しかし、ディグラフが緋和に近づくことは無かった。何故ならば、「ノワール・コルディア」銀色の光が瞬いた。次の瞬間、緋和とディグラフの間には頭に王冠を乗せた八本腕の骸骨がいた。―『深淵王』(ハデス)、と呼ばれるその精霊はそれぞれの手に持っていた銀色の死神鎌(デスサイズ)を振るいディグラフを切り刻んだ。「なっ・・・!!!」「お主のようなものと抱擁する気などないわ」 『ノワール・コルディア』。それは、『闇夜の姫』(ノワール・プリンセス)紀雅(きが) 緋和が従える闇の精霊を召喚する魔呪。いきなり闇の精霊とか魔呪とか言われても分からないだろう。順を追って説明しよう。 緋和は、最古の呪術師の家系『紀雅』の第三十一代目当主予定者だ。紀雅家は古来より悪霊や怨霊、妖怪などを討伐することを生業としてきた。時代が移り変わろうともその存在は消えず逆に分家を増やし何時如何なる時代においても様々な魑魅魍魎を倒し続けてきた。そして、それは現代においても続いている。そう、現代の魑魅魍魎こそが『ディグラフ』と呼ばれるものである。 ディグラフの危険性はさっき言った『見える者を襲う習性』だと思うだろうが、実はそれだけではない。ディグラフが見える者を襲うのは『見えない者を襲えない』からなのだが、自分が見える者を襲いその魂を喰らうことによってディグラフはその存在が見えない者でさえも喰えるようになる。これが一番面倒で一番恐ろしいものだ。 倒すには普通の御祓いなどでは無理である。だからディグラフを退治しているものは様々な呪術を使う。緋和の場合はそれが『魔呪』と呼ばれる特別な術で『西洋魔法』と『東洋呪術』を組み合わせた祖母から受け継いだものらしい。魔呪は様々な精霊を行使し敵を攻撃する魔法の特徴と敵を討つのではなく敵を祓う呪術の特徴を持ち合わせている。緋和の使う闇の精霊は彼女が契約したものであり、その精霊が扱う銀の銀色の死神鎌こそが呪術により作り出したディグラフを祓うものらしい。「体が消エるウウウウ!!!!オレノカラダガキエル!!!イヤダ!イヤダ!!イヤダアアアアアア!!!!!!!」「無様なものだ。・・・元は人だったはずが、闇に呑まれ獣となるとはの」「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!!!!!」「・・・・・。もう、よいのだ」『深淵王』が死神鎌を振り上げる。「お主の罪はわしが祓おう。安らかに眠るがよい。いつかまた、この世界に生れ落ちるまで」振り下ろされた死神鎌はディグラフを真っ二つに裂きディグラフは銀色の光に覆われて天へと昇っていった。「出来れば、次は真っ当に生涯を過ごすのだぞ」緋和の呟きは、夜風に流され俺の耳に届いた。緋和はやはり口は悪かろうと優しい奴なのだ、と思う。 月光が眩しい。「へっ・・・くしゅん!」「何じゃ、くしゃみなどしおって」「しかたねぇだろ。あの雨の中、走り回ってたんだから。・・・ってか、お前は何で濡れてないんだ?」「濡れるわけなかろう。わしは精霊の力で闇を纏っておったからの。姿も見えなければ存在自体も隠せるものじゃ雨になど濡れぬよ」「ちぇっ・・・、反則的な力使いやがって・・・」「お主のようなただディグラフが見えるだけの者ではないからの」「あ、そういやさ。ディグラフで聞きたいことがあるんだが」「何じゃ?」「人の魂はどうやったらディグラフになるんだ?」「・・・・・」「さっきの口振りだと真っ当に生きるとか何とか・・・」「ディグラフは、主に自殺した人の魂の成れの果てじゃよ」「!?・・・自殺者の魂?」「主に、だがの。キリスト教だかの教えでもあるじゃろ。自ら死を望んだものを神は救わない、とな。そして、仏教においても自殺とは輪廻・転生の流れより逸する行為である、とされておる。それらは本当のことなのじゃよ。そうして、生と死の流れより外れた者は苦しみディグラフとなり、新たな生を求めて人を喰らうのじゃ」「・・・・・」「しかしの、それは新たな苦痛を生むだけじゃ。喰らい続けたディグラフに待っておるのは、死などではない。消滅のみじゃ」「消滅・・・。それが、ディグラフの最後なのか」「・・・わしはの、ディグラフを狩るのは人を守るだけではないと思っておる」「え?」「ディグラフを狩るということは、すなわちディグラフを救うことではないかと思う。・・・自ら死を望んだくせに、自分勝手な生を望んで人を殺戮するなど許されることではないのはわかっておるがの。それでもわしは、人を守りディグラフを救いたい。だからこそ、ディグラフを祓い続けていこうと思っておる。何があろうとも、の」 そう言った緋和の横顔はいつものような自信に満ちた顔ではなくどこか不安げだった。それはそうだろう。その考えは異端だ。少なくとも祓うことなど考えずに人を守るためだけにただただディグラフを狩り続けている奴がほとんどなのだ。 何故、誰かを殺したものを許さねばならないのか。救わねばならないのか。そうやって追い詰められるのが目に見えている。でも・・・、「・・・・・」「・・・・・」「緋和」「・・・何じゃ?」「俺はお前の考えの方が好きだぜ」「・・・・・」「貫けよ。何を言われようとも、な。それが、お前なんだから。・・・もし、お前が挫けそうになったら俺が支えてやるからさ」「・・・・・ふんっ・・・・・。お主などに支えられるものか。わしはわし。自分の道くらい自分で歩むわ」 二人並んで歩く。照り輝く月の下で。ちらり、と見た緋和の顔からは、不安げな表情など消えていた。
彼は一昨日死に、彼女は明後日生まれようとしている。 コウキは一昨日死んだ。交通事故だった。今はコウキの魂だけが、天まで伸びる自動階段に乗っている。 登りと下りがある自動階段のうち、コウキが乗るのは登りの方だ。自らの足で――もう肉体はないにしても――登ることは出来ないらしく、ただぼうっと佇んで宙に架かった自動階段が進むのを待っている。 機械仕掛けかどうかも分からない白い階段は音もなく動き、手すりさえないから、ともすれば危険な代物に思えるが、魂だけの存在の乗り物と考えればどうということもない。世界中の死者の魂がこの自動階段で向こうの世界に登っているだろうに、コウキが前後を見渡しても、それらしき人影は登りの自動階段にはない。それはおそらく自動階段があまりに長く、多くの死者の魂を乗せてさえなお、死者たちの魂は点々とのみ存在することになるからだろう。 コウキが出会うのは、寄り添うもうひとつの階段を下っていく魂――つまりはこれから生まれようとする魂たちだ。生まれ変わる命の源というべき存在が、数十分に一度コウキとすれ違う。見た目はまだ前世のままの姿をしていて、老人だったり子供だったりと様々な容姿の男女が、新しい命として生まれるため地上世界へと下っていく。 コウキは彼らとすれ違う時、小さく会釈のみをする。すれ違う人全てがそうするから、自然と自分も倣うようになったためだ。色々聞きたいこともあるが、すれ違う一瞬では詳しい話など聞けそうもない。それが礼儀なのだと割り切って、自らを流れに委ねるよりなかった。 自動階段に乗ったコウキにとって、二度目の夜が来ようとしていた。 ちぎれ雲ひとつない透き通った青空が、あまたの星々を散りばめた暗幕にくるまれていく。生前とひとつ違うことと言えば、空に浮かぶ月がやたらと紅いことだ。爛々とした紅い輝きが、寄せては返すさざ波のように、濃く、薄く、そして濃くとその色を染めなおす。月が紅いのはコウキが生前と違った世界に踏み込んでいるからか、それともコウキが死んでいるからか、コウキには分かりようもない。下っていく人々に会釈をする以外は、紅い月を見ながら、ぼんやりとした頭で地上世界に思いを馳せていた。コウキは建築資材を運ぶ大型トラックに轢かれて死んだが、運転手を恨む気持ちはすぐに失せた。むしろ運転手の今後の人生を思うと、幾らかの同情を覚えるほどだった。コウキが気になるのは、やはり残して来た家族と、特別仲の良かった友人たちを悲しませたことだ。下っていく者に、何かしらの伝言を頼もうとも考えたが、彼らの魂が別人として転生するなら、何を頼んだところで忘れ去られてしまうことになるだろう。 結局どうすることも出来ずに、コウキはただただ自動階段が目的地まで着くのを待っている。 何も起こらないはずの長い旅。しかしそんな中でも、コウキにとって、心を揺さぶられる出来事がこれから起きる。 それは七分間の出来事だった。 自動階段を下ってくる人影を、コウキはぼんやりと見ていた。細身のシルエットが星明かりにをうけて浮かび、やがて近づいてくると青地のブラウスを着た女性をだと分かった。そしてコウキが内心、かわいい女性(ひと)だなと思いながら、軽く会釈をし、丁度彼女とすれ違うかどうかというところで、自動階段が音もなく停まった。「あれ? 故障?」 コウキは自動階段に乗ってから久しぶりの声を上げた。「困りました。どうしたんでしょうね?」 彼女も自然とそうこぼす。 そんな二人に空の彼方から中性的な声が響いてくる。『ご利用の皆様にお知らせします。ただ今、当自動階段は定期検査を行っております。数分間の停止が予想されます。お急ぎの皆様にはまことにご迷惑をおかけいたします。繰り返してご利用の皆様にお知らせします――』 「珍しいことなのかな。お急ぎと言っても、俺は構いはしないんですが」 コウキが独り言のように、しかし彼女に語ったともとれるように言った。「わたしも、急いではいません。もっとゆっくりでもいいくらい」 コウキが自動階段に乗ってから、初めて成り立った会話。それが少し嬉しいことに思えて、何気なくコウキが彼女に見、それぞれの視線が向かいあったとき、二人は瞳を大きく見開いた。コウキはあるはずのない自分の胸がキュッと締まる感覚を覚えた。鼓動が高鳴ることはもうないが、それでもうちの何かが盛んに騒ぐ。「あの、どこかでお会いしたことありませんか?」 コウキが言うと、彼女はとっさに肩を一度弾ませた。柔らかそうな栗色の髪がさわと揺れた。「わたしも、そう、尋ねようと思ったんです」「きみも?」「ええ、どこかで会ったことがあるなって」「俺は武本コウキ」「わたしは丹羽ミキ」 ミキの名を聞いて、コウキは自分の記憶を辿っていくが、それらしき人物にはさっぱり思い当たらない。「ごめん、わからないや」「そうですか。わたしもです」 それだけ言って、二人は次ぐ言葉を失った。それぞれ手持ち無沙汰にあたりを見渡すが、今は夜、話題になりそうなものは見当たらない。しかしお互い気にし合っていることは間違いなく、二人して何から切り出したものかと必死に言葉を探していた。「俺、一昨日交通事故で死んだんです」 ようやく切り出したコウキの言葉がそれだった。出来るだけ神妙にならないよう、気軽に言うことを心がけた。「あら、ご愁傷さまでした。痛かったですか」 ミキが弔いの言葉を口にした。彼女としても死んでいることには変わりなく、不可思議な会話とも取れるが、その表情にからかいの色は一切ない。「いや、一瞬だからどうということも。はは、気づいたらこの変な階段を登らされてました」「そう、良かった、っていうのはおかしいな。不幸中の幸いでしたね」 ミキもあくまで軽快な調子で話すコウキに合わせたのか、おどけた様子を見せた。「ああ、それ、それです。俺って変なところで運が良いんですよ。あれ、この場合は運が良いとは言わないか」 コウキが頭を掻くと、ミキは楽しそうにお腹を抱えて笑った。和やかな雰囲気が一段落すると、ミキが静かな調子でつぶやく。「じゃあ、わたしは明後日かな」「何がですか?」「生まれるのが」 ああ――、とコウキは息を漏らす。「そうか。俺が二日来た道をこれから行くわけだから、明後日生まれることになるんですね」「ええ」「おめでとうございます」「ありがとう。でも、今はあまり嬉しくはないんです」「どうして?」「だって不安じゃないですか。誰でもない全くの別人になるんですよ。もうわたしでいられるのはあと二日だけ。考えても仕方ないことだけど、考えられることはこれくらいしかないし」 コウキは曇ったミキの表情に胸を痛めるが、転生という想像もつかない出来事を迎えようとする彼女に対し、声の掛け方がわからない。再び辺りを覆った沈黙を破るため、コウキは気分を変えて、ミキに別の話題をふることにした。「俺がこれから行くところはどんなところですか? まさか地獄だったりは――」「フフ。そんなそんな。大丈夫、静かなところです。天国っていうほど優雅な感じではないけれど、ゆったりと過ごせるところだから」「へえ、そりゃいいや。そこで何をするの?」「見る、かな」 ミキの言葉にコウキは首を傾げた。「何を見るの?」「あなたがいた世界を」「見るだけ?」「うん、ずっと見ているの。わたしは二十年くらい見続けていた。そしてある日、気づいたらこの階段を下っていたの」「それってかなり退屈じゃないかな。ぼんやり眺めるってのは、たまにはいいけど、ずっと長く、それも二十年にもなれば――」「確かに退屈なことかもしれない。でもわたしは嫌いじゃなかった」「どうして?」「特に理由があるわけじゃないんだけど、長かったようで、長くもなかったようにも思うから。ああ、世界はこんな形と色をしているんだって」「へえ、俺にもわかるかな?」「うん、きっとわかる」 コウキが、そうかなあ、と呟いていると、ミキがこらえきれないように笑い出した。コウキは不思議に思ってミキに尋ねる。「どうかした?」「だって、変じゃない?」「変?」「わたしたち、会ったばかりなのに、妙に打ちとけてるから」「ああ、言われて見ればそうだね。親戚の孫が俺だとか?」「うーん、そういう感じじゃないなあ。もっと別の感じ」「だよね。俺も言いながらそう思った」 ミキも、だよねと囀くように言うと、彼女はおもむろに夜空に浮かぶ紅い月を見上げた。コウキも自然とそれに倣う。コウキがこの二日間ひたすらに見上げていた月だ。「ねえ、どうしてあの月は紅いの?」 コウキは長らく疑問に思っていたことを口にした。答えがあるなら知りたいと思っていたが、今は何よりミキならどう思うかが知りたかった。「命の色だから」「命?」「うん、尽きた命と生まれる命を見守ってるの」「へえ、難しいな」「わたしにもよく分からないんだけど、死ぬことも生まれることもきっと同じくらい大切なんだってそう思うの。うまく言葉に出来ないけれど、あそこで過ごした二十年で分かったような気がする」「大切かあ――」「うん」「――きみが言うならきっとそうなんだろうね」 そんな言葉に照れたのか、ミキははにかんだ。紅い月明かりを受けたミキの表情が、かすかにその色を深めた。 コウキははっと息を呑む。一瞬意識が揺らいだ後、絶対に解けないはずの数式の答えが電撃とともに去来したように、強烈な衝撃がコウキの魂を打った。「聞いて欲しいことがある」 そう切り出したコウキの表情は固い。強張った頬が震えると、唾をゆっくり飲み込んだ。「おかしいな奴だって思ってくれてかまわない。だけど聞いて欲しい。ずっときみに伝えたいことがあったんだ」 どこか苦しそうにも見えるコウキに心配そうな表情を見せながらも、ミキは深く頷いた。「俺はキミが好きだよ。俺はずっとキミが好きだった」「え?」 ミキは驚きのあまりそう言うよりなかったのだろう。それでも言葉の意味するところを、自分なりに必死に掴もうとしている。 コウキは自分でも止められない激しい想い、けれど真摯な想いをゆっくりと言葉にしていく。「何十年も何百年も、いや、何千年も前からキミのことが好きだったんだと思う。ずっと片想いをしていた。いや、思ったんじゃない。分かったんだ」 それを聞いたミキが、あっ、とつぶやくと、突然涙を浮かべ、次いでそれが頬を伝っていった。「わたしにも分かった。わたしたちはここを何度も何度もすれ違っていたんだね。生まれるあなたと死んだわたし、死んだわたしと生まれるあなた。どちらか一方の世界で一緒に過ごしたことはないけれど、こうしてすれ違う度、お互いを意識していた」「お互いを?」「ええ、わたしもあなたを想っていた」 コウキもそれを聞くと、あふれだす涙を抑えられなかった。自分が死んだことにさえ感情をあらわすことはなかったが、自分という存在そのものを遥か昔から想ってくれていた誰かがいたという事実が堪らなく嬉しく、熱い涙を垂れ流した。嗚咽にむせかえりながらもコウキは言葉をつむぎ出す。「ねえ、約束するよ。俺は、きみをずっと見守っている。君が違う誰かになってしまっても、俺とは違う誰かを好きになっても、俺は向こうの世界から、ずっときみを見守っている。きみが悲しいときは俺も泣く。きみが楽しいときは俺も笑う。そう、約束する」「ありがとう」 二人は自然と右手を伸ばしあい、二本の小指を絡めた。「こうやって人間って、命って、続いていくのかもしれない。死んでいく誰かが、生まれていく誰かを見守って」 コウキは笑顔を浮かべてミキに言った。胸がたまらなく熱い。「わたしも、あなたが生まれるときは、あなたをきっと見守るから。すべてを忘れてしまう日が来ても、わたしたちはきっと思い出せる。そしてまた指きりしましょう」「ああ、何度でも。だって俺たちは――」「うん、何度でも。だってわたしたちは――」 二人が同じ言葉を口にした時、七分間停止していた自動階段が動き始めた。それに気づくと、二人は最後にもう一度だけ小指に力を込めて握りあい、そしてゆっくりとそれを解いた。 コウキを乗せた自動階段が昇っていく。やがてそれを下る時が来るとして、それまでの時間が長いか短いかは、彼女の人生で決まるだろう。彼女が生き続ける限り、彼は彼女を見守るだろうから。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読み返すと、自分でリライトしたい気分にもなりましたw。どんな風に変わってもまったく問題ありません。ご興味をもたれた方、出来の悪い子ですが、かわいがってやってくださいませ。
ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。そのきらきらと輝く光に溺れてわたしは浮いたり沈んだり、ぷかぷか気楽にただよっていた。流れてきたくらげがくらくら笑って、その愛らしさに思わず抱きしめたいくらい。 あの子は電灯の下、そっとたたずんで、わたしが名前を呼ぶと手を振ってくれる。肩の上で切りそろえた髪がちいさく揺れて、そのかわいらしさに思わず抱きしめたいくらい。 ふいにぽちゃん、と音がして視界の端に魚が一ぴき飛びはねた。ピラルクーの身体に、きれいな女の人の顔。「やあ、アルバート・フィッシュだ」 おおきい。とても大きかった。わたしの身長と同じくらいあった。その長い胴体に手を伸ばすと、指先の隙間をすっと通り抜けて、だまし絵みたいな光景がただただ楽しい。抱きしめようとすると、跡形もなく消えてしまって、いったいどこに行ったのやら。「ねえ」 と声がして振り返ればあの子がいる。上を指して、「行こうよ」 わたしは笑って、うなずいて、飛びついて、抱きしめて、腕の中にはたしかな体温があって、ぬくぬくとして柔らかで、その感触にもういちど笑った。 そうして、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。向かうさきは夜空に浮かぶお月さまサ。笑って、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。 ○ 聞いたところによると、この一帯は静かの海と呼ばれているらしい。水もないのに海なんて、ネオンもないのに海なんて。変なの、と呟くと、文句はケプラーに言いなさい、なんて怒られた。あの子のショートカットは無重力にもへっちゃらで、ふんわりとカーブがかって太陽風にそよそよそよぐ。背後に金星がゆれて、あたりは無音。あの子の呼吸の規則ただしい響きだけが耳をくすぐる。上下にうごく胸元から細い首筋が伸びてすこし色っぽい。その純白に頸動脈が淡く走って、中を流れる赤血球に思いを馳せる。指先から子宮まで、身体中をめぐるちいさな細胞。ちょっと羨ましい、なんてそんなことを思った。あの子の頬に手をかさねると、なめらかな肌の感触に、表情筋のしなやかさ。そして、その下に断層をなす脂肪の柔らかな手触り。 わたしが一個の細胞ならよかった。クラゲみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、りんかくがあいまいにぼやけていればよかった。あの子が隣にいて、ふたり、どろどろに融けあって、ひとつだったなら、それだけで全部よかった。 でもわたしたちは人間で、どうしようもないくらいに人間で、しかたないから後ろに倒れ込んで、あおむけに寝ころがった。舞い上がった塵を吸い込んで、咳きこんで、それを見てあの子が笑う。同じように倒れて、同じように塵を吸って、同じように咳をした。「咳をしてもふたり、だね」 そう言ってまた笑う。 ――最初からひとりだったなら、それでよかったのだ。 見あげれば地球。そのテクスチャに重なって、まんまるな眼球が、じろりとこちらを覗いている。それはアルバート・フィッシュの瞳で、証拠に、眼球のイメージに重なって、さきほどの女の人の顔が見える。こうして見てもきれいな人で、どこかで見たことある顔だと思ったら、それは隣のあの子の顔に他ならなかった。 ふいにアルバート・フィッシュが泳ぎだす。よじるように身体をねじって、もがくように背中をあがいて、軌跡が複雑な紋様をえがく。それがだんだんと単純化してきて、四角形となり、三角形となり、やがて完全な円を描くと、尾を噛み、まんまるな状態を保って、その光景に、地球のかたちが重なった。 にやり、とアルバート・フィッシュが笑う。 世界のりんかくが融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。 ○ はっと気がつけば、見慣れた地元の歓楽街に立ち止まっている。ネオンはいっぱいに輝いているけど、たちこめる光に飛び込むことなんてできない。できるはずもない。ネオンの海の見える通り、ストリート・ムーン・マニアック、なんて。そんなの馬鹿みたい。笑ってしまうくらいだ。空を見あげると、すこしだけ欠けた月が浮かんでいる。満月のまんまるからはほど遠い、歪なかたち。でもその歪さが現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなって。 電灯の下、そんなわたしを見ているわたしがいた。振り返ったわたしが見えて、わたしを見ているあの子が見えた。 その時、わたし、あの子だった。 その時、あの子、わたしだった。 その時、ふたり、ひとりだった。 その時、ひとり、ふたりだった。「あっ……」 驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。そんなのもうわからない。わたしたちはひとりで、融けあった一個の細胞で、全身を巡る赤血球すら共有していて、わたしはB型で、あの子はO型で、でもそんなの関係なくて、この身体はふたつの心臓で動くひとつの血液循環系で、あの子がわたしの鎖骨をやさしくひっかいて、そこからにじむ血しょうの、黄昏みたいに鮮やかな赤色!「好きだよ」 って、そう伝えるのに勇気なんていらなかった。「わたしも」 って、そう伝えるのに恐怖なんてなかった。 頬と頬を寄せ合った。額と額を付き合わせた。掌と掌を重ね合った。そうして、唇と唇を、ゆっくり近づけていって、ああ、やっぱり、むなしいな。 遠くから歌がきこえる。かすかにきこえる。へたくそな歌が、きこえる。メロディーは不安定で、歌詞の意味もよくわからない。ただひとつわかるのは、それがラブソングだということ。都市を泳ぐ魚が出会ったマネキンにガラス越しの恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだということ。 それはわたしとあの子しか知らない歌だ。 きこえる。こまくをやさしく震わせて。 本当に馬鹿みたいなのは、わたし自身だったのだ。 ふと見あげれば、欠けた月のイメージに重なって、アルバート・フィッシュが浮いている。「ねえ、あんたってさ……」 やさしいの? ざんこくなの? きちがいなの? かみさまなの? いろいろな言葉が沸いては消えて、消えては沸いて、けっきょくこう尋ねた。「いったい、なにものなの?」 問いかけると、驚異の魚はにやりと笑って、ひらめいて、消えた。それを見たわたしも笑って、わたしであるあの子に別れを告げる。「じゃあね」「うん。じゃあね」 名前を呼ぶと、あの子であるわたしは手を振って、 すべては泡に弾けた。 ○ 目覚めると屋上に寝ていた。仰向けに眺める空には、流れる血よりもずっと鮮やかな夕映えが一面に冴えわたっていた。 そうして、へたくそな歌が聞こえる。「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ。……っと、起きたか。おはよう」「おはよ。……ていうか、その歌あんまりうたわないでね、って言ったよね。もう」「なんでさ、いい歌だと思うよ」「純粋に恥ずかしいんだよ」「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」「ならないならない」「照れるな照れるな」「照れてない照れてない」 必死のわたしの言葉を、あの子はふん、と鼻で笑い飛ばす。そうしてすこし恥ずかしそうに言う。「この歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」「似てない似てない」 似てるはずがない。だってさ。それはさ。「もう、ちゃちゃをいれるなよ。最後まで聞きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中のふたりがそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、ふたり隣り合わせに立っていて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」「……」「……」「……、ねえ」「なに?」「そのセリフ、すっごくクサいよ」「……、ごめんなさい」 空にはいっぱいの黄昏だ。あの切ない輝きがいまにも降ってきそうなくらいだ。そんな空の下、わたしが笑って、あの子も笑った。強く風が吹いた。みじかい髪がちろちろとなびいた。遠くに金星がゆれて、放課後の学校は野球部の怒鳴り声ばかりがうるさい。「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」「もう。だからうたわないでってば!」 ○ 自転車にのって坂をくだる。 あの子はいまごろ彼氏の原付のケツに座って帰宅しているはずだ。むくむくと隆起した腹筋にしがみついて、ぬくぬくと暖かいなあ、なんて思っているはずだ。 ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。 シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。 坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。 地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。 音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。――――――――――これがどう変わっていくのかまったく想像できないですw よろしくお願いします。
今は昔と云えば聞こえは良いが今は今、昔は昔。これより話さんとするは昔の話し。昔々、振り返ったなら気の遠くなるような遙かなる過去。すなわちページを捲ればすぐそこにある別なる世界。ちらと覘き垣間見られるは……美醜に塗れた妖しき幻想。 * 当時、日本国――倭っ国の首都と謂えば京である。京の都は永安京、ナガクヤスンジランコトヲネガフ都である。維新が成って首都が遷されるまで長く帝の御座す倭っ国の中心で有り続けた。まぁ、近代に於いては実質政治も文化も徳川の江戸に奪われたわけではあったがと云って倭っ国の中心が動いたわけではない。帝が御座すそこが倭っ国の中心でなのである。 時の頃は、さて、現代より過去を顧みたならば王朝時代と呼べなくもない頃。洋の西の果てならばビザンツ帝国隆盛がピークに至ろうかと云う頃であったろうか。バシレイオスⅡ世が第一次ブルガリア帝国を滅ぼし、東ローマ帝国がバルカン半島のほぼ全域を奪回する数年前。そんな頃合い。 この時代にも夜はある。否よ否よ。現代などよりも遙かに夜は濃く、深い。闇の明けることの奇跡を感じられるほどに夜の闇は昏く、冥く、果てしなく暗くて救い難い。 永安京は、闇の巣窟であった。 じゃりと踏む小路に異臭の立ち籠めるのは何も今宵に珍しいことじゃぁない。野犬が一匹二匹警戒と威嚇に睨め喉で唸る。折角の獲物を奪われまいと牙を剥く。 馬鹿を言うものじゃない。人間様は獣などと違い同族の屍肉を漁るような浅ましいことなどしやしない――などと言えるのも理想と幻想の彼方成りしか。そんなようにはとても言えないのがご時世である。貧すれば鈍するなどとは云ったもの。喰うに喰われねば禁忌も嫌悪も何もが鈍って感じなくなるらしい。飢饉の見舞うごと都に流民が流れ込み飢えの酷いものは人の屍肉を喰らいて凌ぐと云う。喰わねば飢える。飢えれば死を待つ他はない。喰って飢えのしのげるモノなれば……。その姿を見た者が鬼が出たと騒ぎ立てゴシップに飢えた京童共が怖ろしおぞましく囃し立てれば物見高い京の民が興に乗って婆か嚊に言い触らす。それが近所の婆や嚊に広まって使われる者使う者隠居の爺婆から洟垂れ小僧を通じて犬や猫にまでつぅつぅのかぁかぁ、都に知らぬ者のないなどと云う有様となる。斯くして京は鬼の溢れる都と成りにける――などとはまぁ、まだ誰も云っていない。 ともあれ、広い京の内や外に喰うにあぶれる者が大勢たむろしていることは確かである。溢れていると云っても良い。だからこそ野犬と睨み合うそれ人の眼の血走る様も真剣この上なく命を繋ぐためであれば命すら惜しくないとでも云う体である。なんとも痛ましくまた状況に拠っては他人事と言い切れぬ光景であった。 命を繋ぐためというにはいささかばかり投げ遣りでともすれば馬鹿らしくもある命懸けで真剣な果たし合いの火蓋が切って落とされんとするその場面。俯瞰して眺めれば四つん這いの犬にこれまた四つん這いの人が同じように尻を迫り上げ唸りを上げるのは滑稽を通り越して悲壮と言えようか。そこに通りかかりしは一騎の騎馬。ひひぃんと一嘶きするに両者の目が泳ぐ。ふらりふらりと宙を彷徨うにさりて邪魔者の姿をずいと見上げて睨めてみる。でかい。当たり前である。馬である。しかもこの馬、板東の胴長短足にして田畑を耕すを天職とする寸胴種とは違い亜拉毘亜から遙遙シルクロードを駆けに駆けて本邦倭っ国に辿り着いたという馬界のまさにサラブレッドである。何しろ足が長い。川縁の葦のようである。蘆屋道満もびっくりである。 さて。 月が出ていた。昏い夜の白めく藍の空に白金の月光を背にした黒雲がぞろりと流れる。 月が出ていた。僅かにしか宙を照らさぬ圧倒的な銀照。 その光がただ一点を差し堕とす。溶け流れる銀の小夜滝。産み咽ぶ泪滴の土石流。月がしぶいて結晶を垂れれば地上に神さぶ人の顕る。人なりて人でなし。神なりて神になし。その美瑛をなんと称えよう……、 源判官靜謐、検非違使である。当世都で検非違使と云えば源靜謐、源靜謐と云えばザ・検非違使と云われる当代切っての名追捕尉である。後の遠山左衛門尉景元が密かに手本にしたとかしないとかそんな噂も一部の事情通の中に囁かれると云う。無論、根も葉もない嘘であろうが。 そのザ・検非違使が緊迫感の有るような無いようなこの修羅場の間に割り入ってついと両者の牽制する目線を抜け、片足片腕が既に胴より失われた屍体を眺め降ろす。発育途上の童であった。その持ちたるモノはオノコのツトメを果たすに充分過ぎる程立派なモノであったが、年の頃を云えば元服までにまだ四、五年を要しようかと思ゆる幼き童である。それは……それはさぞ美味かったことであろうよ。柔らかく筋張っていない上に適度な運動によって脂と肉の絡み加減がほんに程良い。この上なく肉の旨味を堪能できよう、畜生の味覚を以てすれば。貧すれば人は獣に堕ちようか。人といえど所詮は二足で立って偉そうにふんぞり返っている獣の成れの果てにしか過ぎぬとでも云うものか。 風に靡く柳の枝のようにゆらりと優美な素振りで源靜謐が利き腕であろう右腕を空に差し出すとその傍らに走り寄るはそれもまた靜謐に付き従うに相応しい美童である。屍体の童と変わらぬ年頃であろうか。随従の童の格好をしているがアンニュイに可憐な容貌は女童のようにも察せられる。いずれその手の好事家からすれば垂涎の一品であることは間違いない。世にロリコンと呼ばれる人々である。 美麗なる随身童のその手に抱えられるは背丈の倍ほどもあろうかと云う、それは太刀であったろうか。ぱっと見には槍であろう。否よ否よ、槍でしか有り得ねぇだろふつー。然りながらそれは鞘に収められた正真正銘の太刀であった。でなければ武器にはならぬ。他の何ものにもならぬ。人のこしらえた物でこれほどに馬鹿げた代物は他にそうそう見れるものじゃぁない。これが世に名高き怪刀「月薙ぎ」である。振るわば月をも薙ぎ捨てる神もが畏れ封じたと云われる破滅の太刀。鍛え上げしは人とも猿と付かぬ時代の狂人。神を屠るためこの世の全てを道連れにせんとし命を捨てて神に牙を突き立てた者。その牙。その執念の結晶がここにある。故にそれはこの世の全てに対して厄災しかもたらさぬ――と云うのは調子乗りの京童お得意の講談である。漫談でないだけましであろうがまぁ八割方は誇張、もしくは法螺である。だとしてもけったいな物であることに変わりない。長すぎるのだ、刃が。この全長ならばどう考えても槍にした方が使い勝手が良い。槍ならば棍と同じくに熟達すれば接近戦にも対応できる。そもそもこの太刀、抜けんのか。 靜謐は差し出された太刀の柄を無造作にひっ掴むと割り箸を包みから抜き出すが如くいとも容易く鮮やかに優雅にそれを抜き放った。美しくも険しい眉目のひとつ揺らぐことすら無く。星の流るるが如くその銀翳は長く鮮光を引いた。 靜謐は太刀の切っ先を童の屍体に向ける。肩に当て器用に捻る。残っていた腕がぽんと跳ね犬っころの前に落ちる。股間に当てる。同じく足が獣に堕ちたる人の前に落ちる。残る頭と胴だけのそれは人の骸か打ち捨てられた穢物か。 しんと静まるは晩秋の宵空。星の溢れそうな夜。そこから漏れる音とて何もない。 そして太刀は元の鞘に収められた。静けさは質量を持ってのし掛かる。 扱うも敵うまいと思われた馬鹿げたほどの長太刀を手足の如くに使い得たそのその恐るべき技能。冷徹さ非情さ。死して捨てられた憐れな童に一片の情けも掛けぬ。然りとて一大三千大千世界を凍えさせ得るはその大道芸にあらず。美醜を超越した艶貌に薄く浮かべたその微笑みであろう。今この場に☆の墜ち流れんことを祈った者が二匹と二人。このままここに留まるよりは遙かにましと思うた。細胞の奥の奥に潜むデオキシリボ核酸の螺旋の捻れが真っ直ぐに伸びる思いであった。怖い。恐れ、畏れ、懼れ、全ての恐怖をその薄微笑みは呼び覚まさせた。 靜謐は四肢を失い温もりは失せても未だ瑞々しさを失うには至らない屍体を拾い上げ馬の背に括り付ける。何故か亀甲縛りであった。美童の従者を連れ立ち去る。残された二匹と二人は長くその目の前に置かれた餌を眺めていた。 * 六条辺りの邸宅、その北対屋である。寝殿に対して北に位置する殿舎には正式な妻、本妻が居所を与えられている。奥方、北の方、北の政所などと云う名称はそこから発祥している。これは本当である。 屍臭の染み付いた厚い雲のぞろりぞろりと天地を覆い埋め尽くさんとする丑三つ。 対屋の真ん中四方を壁に囲まれた塗籠に籠もる女が一人。無論、この家の主婦である……とはとても見えぬ容貌が有りも在らぬ宙空を睨めるのは薄気味悪いを通り越して薄ら寒々しい。落ち窪んだ眼窩の黒い縁取りの奥からぎょろと睨む鈍く濁った眼光。乱れ解れ脂と埃が浮いてそうな髪。袿も袴も汚れと皺が酷い。先の屍体よりもよほど屍体めいた女の姿がそこにあった。誰ぞ見咎める者はないのものであろうか。 塗籠の中には香が焚きしめられている。公家の奥方なら当然のことであうが、しかしこれは幾ら何でもきつすぎよう……うぷっ。例えるなら平均年齢高めのPTA総会と云ったところか。たまにしか出かけることのない初老の主婦が日常の生活臭を消すためにありったけの香水をバケツで頭から被るとしよう。そんなのが何十人と一つ所に集まったならそこはアウシュビッツ並の非人道的空間となると言っても過言ではない。アビキョウタンである。それに匹敵して更にお釣りのくるような臭気が狭いこの部屋を満たしている。フルカラーのアニメなら黄色く色付いているはずだ。 異様なのは住人と臭いだけではない。日常生活には間違いなく不必要な物があちらこちらと散乱している。ぱっと見ても分かるまいから説明しよう。紙包みに含まれた物はクスリである。砒霜石から作ったものであるが成分には後世カレーの調味料にも使われるヒ素が含まれている。雑草の葉のように見えるのは苺、繁縷、藤、皀莢、木槿と云ったところであろうか。他には、男性のカタチをした張り形。皮に似せたビニルで出来たボンテージ衣装。ビキニパンツの裏表に四寸ほどの突起が付いた物は如何に使うものか。先の割れた革製の鞭。真っ赤な蝋燭。三角の木材に土台を付けたオブジェ? など時代考証を無視した妖しげなグッズが所狭しと放り散らけてある。この部屋にいる者は間違いなく一片の疑う余地もなくHENTAIである。断言しよう。 その異様な塗籠に妻戸を開けて現れたのは誰あらんザ・検非違使、源靜謐である。亀甲縛りの目の一つを無造作に掴みだらりと下げるは生を失った童子の成れの果てである。手足を失ったソレに残るは胴と頭と股間からぶら下がる自慢のブツだけである。頬の辺りなど幾らかは犬か人かに囓られて見る影も無くしてはいるが彼の従者には及ばぬもなかなかの美童であったようだ。「所望のモノを持参した」 と無下に放り投げるのを精気のまるで感じられなかった奥方がイチローも真っ青の美麗なダイビングキャッチで受け止める。「おぉ、いたわしやいたわしや」取り縋る様は酷く同情的で悲哀を誘う。「亀丸や、亀丸やぁ」一方で臆面もなく哭き縋る姿には言い様のない据わりの悪さを感じずにはいられない。それが何によるものなのかは賢明なる読者なら察しも付こう。ちなみに亀丸が睾丸に見えた人は注意が必要だ。人の道を外れる前に更正した方が良い。 さて。泣きつくほどに愛おしい我が子を何故埋葬もせずに打ち捨てるかと不審に思われる節もあろう故に解説しようが、この世界というのはおおよそ古代は王朝時代をベースに練られている。当時子供は大人と同じように埋葬してはいけない風習だったのである。かの有名な偏屈親爺「小右記」の藤原実資も愛娘を埋葬できない哀しみに暮れている。嘘ではない。「検非違使殿」 奥方がキッと靜謐を睨め付ける。その眼光の鋭さはプレミア物の美少女フィギアを値踏みするサブカルのプロの眼光に勝るとも劣らない。「足りぬ、足りぬではないか」迸る怒りを迸る唾に込めて奥方は怒鳴り散らした。「其方の大事なモノは付いたままよ。何の不満があろうものか」興味なく靜謐は応える。「えぇい、手も足も無いではないか。足りぬ、足りぬ、足りぬのだ」 奥方の眼球がごろと裏返る。呻きを漏らす口は裂け唾を吐き涎を垂らし泡を吹く。怒髪天を突きかさつく肌は紅黒く腫れ上がる。鬼の形相を尚も怒らせて奥方は手近に有ったもの靜謐に向けて投げつけた。モーターの付いた黒い張り形がぐぃんぐぃんとうねってる。濡れてテカっているのは直前まで使用されていたものであろう。「これでは、これでは、亀丸を甦らせることが出来ぬぅぅぅ」 おぉおおおおぉお 獣じみた咆哮をあげる奥方は夜の闇を一層に濃く重くした障気を目口鼻ありとあらゆる穴から吹き出し吐き散らす。 しかしこのアマ……、反魂を施そうというのか。反魂はおおよそどんな神秘を扱う道の術も禁忌とする非道である。おいそれと成せるものでは有り得ない。有ってはならない。然りとて砒霜石の薬、苺と繁縷の葉、藤で作った糸、皀莢と木槿の灰は西行法師が骨より人を作らんとした時に使った材料である。この奥方はそれを知っていて本気で反魂を試みようとしたのだ。「金烏玉兎集」の写本など転がるは泰山府君祭でも成さんとするものか。アグリッピーナコンプレックスもここに極まれりか。いやはや業の深きものよ。「手足が要るのか」 靜謐が手を伸ばせばそこに美童の従者が控える。差し出すのは無論「月薙ぎ」の太刀の柄である。 銀線が閃く。 ぼとと落ちたるは、腕。 ひとつ、ふたつ。 奥方の目の前に転がる二本の腕。薄汚れた袿の袖がじんわり朱に染まる。理解しがたい状況の中で理由無き緊迫感が息を詰め胸の動悸を昂ぶらせる。きゅぅと喉が締まる。身体の芯だけが異常な熱を持ちインナースペースを圧迫する。恐る恐る自分の両の肩を見る。有るべきものがないと気付くのに数瞬を要した。と、視線の位置が変わる。奥方のである。目の位置と変わらぬ高さに床がある。いつの間にか床に顔を付けて倒れ込んでしまったのか。否。立ちようにも立てないのだ。立ちようがないのだ。何故と言えば、足もまた袴を履いたまま腕の横にちょんと並べられていた。今や奥方の格好は愛おしい亀丸のそれと同じである。 あぁ、あぁ、あぁぁぁ 奥方が嗚咽を漏らす。獣のような慟哭を。その眼に籠もるのは痛みや怒り、恐怖ではない。それは、紛うことなく、偽りなき……、歓喜であった。「手足があった。手足があった。亀丸が甦る、亀丸が甦りよる」 奥方は亀丸に近寄ろうとするも立つことは敵わない。這うことも出来ない。必至に腹をくねらせれば少しは前進する。口で己が腕を咥え持とうとする。が、そこまでである。 あぁ、あぁ、あぁぁぁ「手が無い、妾の手が無い。これでは、これでは、亀丸を甦らせることが出来ぬ。手を、手を、妾の手を」「手は其処に有ろう」靜謐の声は遙か遠く感情もなければ一抹の感心すらも感じられない。「これは亀丸の手。これがなければ亀丸は甦らぬ。妾は、妾はどうすれば良い。どうすればよいのだ、検非違使殿」「さて、な」「教えたもれ、教えたもれ、検非違使殿」「俺は術には詳しくないが一つだけ生者と死者が共にいられる法がある」「ならばそれを」「承知した」 あぁと女の漏らしたのは果たして安堵であったろうか。 *「狂っておいでなのでしょうか」 雲の晴れた月の美しい夜である。微かに吹く風に月の光気が染み入るようで清々しい。「人とは大抵あの様なものだ」「そう、なのですか」「ああ」「ご立派な右大臣様も、大納言様も」「そうだ」「そうなのですか」 主従の翳が洛中の橋を渡って消えていく。 これにて一つ話しの了い。 今より昔、昔より異なる時の夜の話し。
たいへんもうしわけありません、本文はこちらになります。http://blog.bk1.jp/kaidan/archives/011093.html
どれにするか決めきれなかったので、短いやつで。でも、もし「これは書きづらいけど、前に読んだ別のだったら書いてやっていい」という方がいらっしゃいましたら、わたしのサイト(およびブログ)においてある小説だったら、どれでもお好きにリライトしていただいてまったく問題ありません。 どうぞよろしくお願いいたします!---------------------------------------- 真夜中の荒れ野に転がる岩々は、乾いた血のように赤茶けて、地面に這い蹲るようにしがみ付く木々は、どれもとうの昔に枯れているのではないかと思われた。ときおり遠くで鋭く鳥の啼き声が響いても、姿は見えず、地面に動くものがあったかと思えば、固い殻に覆われた小さな虫ばかりで、大きな獣はここにきて一頭も見かけない。吹き付ける砂礫まじりの風は、ひどく冷たい。声をたてるもののない荒野で、ただ風だけが、何度となく嘆き声のような音を立てては、すぐに細って消える。街道を外れてもう二時間ほども歩いただろうか。時の推移を告げるのは、ただ星の位置と月の傾きばかりで、自分が迷っていないのかどうか、一度も確信が持てないまま、目印の岩を、目で探していた。 赤い岩ばかりが転がる中で、ときおり月光に白く浮かび上がるものがあり、目を落とせば落ちているのは古いされこうべ、かつてこの地を去ったときには、そこにまだ服や鎧の名残もしがみ付き、錆びた槍や矢尻のひとつも刺さっていたものだったが、少しでも金目のあるものは、すでに残らずさらわれきったらしい。こんな荒れ野をも、往くものがいるのだ。身包み剥がれたあとには、骨ばかり、きれいな人の形で残っているかと思いきや、どこがどの部位かもわからないほど無残に散らばり、また失われ、見れば噛み砕かれたような痕があるから、いまは姿を見なくとも、鋭い牙もつ獣もいるのだろう。砕けた断面を見れば、猛禽の嘴によるものとも思われなかった。それとも噛み砕かれたと見たのは目の迷いで、年月を経て、自然に風化したものだろうか。風で人はこんなふうに朽ちるものだろうか。 ひとり、無言のうちに彷徨い歩けば、やがて白く光るものの数が増え、それでようやく、どうやら自分が迷ってはいなかったと知る。目を凝らせば地平線の上、月あかりを背負って、覚えのある奇岩の黒々とした影が、ようやく見えはじめた。天を仰げば星の並びも、この地が確かにそうであると告げている。 五年。もう五年にもなるのだ。信じられないような思いで、足を止める。戦が絶えたこと。自分が生きていること。まだこうして血肉の通う体を引き摺っていること。 気を取り直して、また歩き出す。背中で瓶のぶつかり合う、鈍い音が鳴った。荷を降ろして、そこから一口呷りたいような気もしたが、堪えて、背嚢を背負いなおす。彼らが先だ。 奇岩に近づくにつれ、青白く夜に浮かび上がるものの数は、ますます増えて視界を埋める。それらのひとつひとつをじっとつぶさに見るのをやめて、景色ごとぼんやりと眺めていると、無数に立ち昇る人魂のようにも見えてくる。けれどあらためて視線を落とせば、それらはただの白い骨で、誰も人であったころの姿をとって、私に語りかけてきてはくれなかった。 仰ぐ角度によっては竜の頭骨のようにも見える、赤い巨岩のふもとにようやく辿りつくと、重なり合ういくつもの骨の前で、背嚢を下ろした。荷の中で瓶と瓶がぶつかり、水音が響く。獣の顎に噛み砕かれて、誰のものとも区別のつかなくなった、いくつもの骨に向き合って、昔いつでもそうしたように、敬礼をしようかとも思ったが、すぐに思い直した。彼らがそれを喜ぶとも思えない。長く歩いた足が、靴の中で痛む。まだ痛む足を持っていることを感じた瞬間、別の場所が鈍く痛むような気がした。 取り出した瓶を月光にかざすと、中で液体が揺れ、赤く固い地面の上に、波立つ水面の影を落とした。硬い栓を抜くのに少しばかり苦労して、琥珀色の酒を荒野に注ぐと、それは速やかに広がり、瞬く間に地面の下に吸い込まれていく。それを彼らが飲み干したのだと、無理にでも思うことにした。 二本目の瓶も、三本目の瓶も、同じように逆さにして、赤い大地に吸わせてしまうと、その酒は、昔日が嘘のように平和な町中の、夜中に飛び起きた自分の部屋の寝台で、空しく赦しを乞う言葉よりは、まだいくらか彼らに届くのではないかと思われた。ただそう願っただけかもしれない。彼らは何も答えはしない。死者はもう語らない。わかりやすい救いなど、どこにもありはしない。 嘆き声のような音がして、砂礫を含んだ風が吹き付ける。歩くのをやめると、ひどく体が冷えた。手に持っていた瓶の、底に残った一口を呷る。焼け付くような感触が喉をすべりおりて、その熱が、まだお前は生きていると私に告げる。