Re: 即興三語小説 -大人になったら夏休みがないことに驚いた人は手をあげること― ( No.3 ) |
- 日時: 2012/07/29 04:41
- 名前: 端崎 ID:R9cT1LBA
膝のうえにあった手を持ちあげて、掌をあわせ、いただきますと唱えて箸を取る。 日の入りの時間になってもまだ蝉が鳴いていて、風の凪いだ空には雲がぷくぷくふとった雲が幾つも幾つも浮いている。シウマイが湯気をたてている、茶碗に盛った米とともに。 蝉よりも耳に甲高く響く子どもの声が「そっちはー」「猫のねえー」と途切れ途切れにやってきて、そのたびにそのことばの意味がわからなくなっていく。ずっと以前、私にしょっちゅう随ってこの団地を歩きまわっていた或る歳経た雌犬の痩せさらばえた身体が、その身振りが、なんとなればその擦れた声色が茶色がかったあの眼が子どもたちの声に伴って訪うてくる。それは彼女のことを思い出す私の脳裏に、ではなくて、いまシウマイが湯気をたてている卓の下に眼をやればそのとおりいるのだ。 犬が、ではない。 雨ざらしのままになっていたのだろうすっかり汚れきってしまった毛並み、 歩きだすときくせのようにしていたひょこりと小さく首をさげるうごき、 アスファルトを掻く爪の音、 尾を振るときの息遣いや、健康だったときの舌の色、 そういうものがまったくてんでばらばらに、もはやなんといっているのかもわからない子どもたちの声とともにやってきて、卓の下で私のことを待っている。 手に取ったままの箸をシウマイに突き刺すとふたつに割った片方をたれにつけてから口に運ぶ。 噛んでいる感触がないような気がするのだが、それは聴覚があまりにおかしな音まで拾いはじめているからで、蝉や子どもの声はもとより、遠くで焚かれる枯れ草の爆ぜるのや、蜻蛉の羽音、畦を跳びまわる蛙が揺らす草々の擦れあう音、地面が日中溜め込んだ熱を放りだすときにたてるらしい空気の震えまでもがこの一室のこの私のこの耳にまで飛びこんで五感のおかしくなるような刺激に変換されているのだ。 茶碗の飯に箸をのばそうとするとゆるやかな山型にととのっていた盛りが箸から逃げるように崩れ去り、卓のむこうへこぼれてゆく。 耳にやってくるものの音量は卓上の飯のいなくなってゆくのにあわせていや増してゆき、最後の一粒と思しきものがいってしまうと、ひときわおおきく氷と氷のぶつかる音が響いた。それまでの音はすべて消えた。 音のしたほうをみれば焼酎の注がれたグラスに氷が浮いていて、その氷のおもてにふしあはせの犬の顔したおれが映っている。
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