流れる ( No.3 ) |
- 日時: 2013/05/13 23:15
- 名前: は ID:jY4phvCQ
とある大陸の遥か東方、濤を枕に幾由旬かを距てた海に孤島というべき島がある。 元来人の住めたところではない。水はなく、草木生うる能わず、あるのはただただ脈々と連なる巌のむれだ。剥きだしの岩肌へ斑痕のようにして地衣類が貼り附いている。 ――海の底から顕われた。 あるいはより説話的に「いまはむかし」のかみの頃、 ――<八度なゐふりて>大陸が揺らいだ際に<波割り><いわほの鋒[きつさき]光>らせて隆起した。 そういうふうに云われている。 荒ぶる神の顕現、来臨。それを鎮撫するために、ひとりの高僧が島へ航った。ひたむきの去私、無の境地で祈りを奉り、遂に瞋恚はおさまった。日月はその間九度廻った。舟はといえば流されていた。高僧はそのまま島にのこり、岸壁にできた洞に篭もって死ぬまでをなおも神に捧げた。のちになって島を訪れたものたちはこの洞を拡げ、石室をなし、朽ちた高僧の亡骸にあっては持ちかえり、そして手厚く葬った。
信仰はいまにも生きている。 天変地異のあるたびに――飢饉、内乱、戦役しかり――僧寺からひとりが選みだされる。何代も以前には、それは伝承どおりの高僧であったという。 いまは違う。そうではない。捧げらるべき崇高と高潔とは臆病と保身とに取って代わり、廟中のつまはじき、白眼視の対象者、はたまた手におえぬ厄介ものが海を航る。濤を越える。手足を縛られ、始終薬で眠らさせ、あらがう術なく舟に乗せられて島の石室へと置き去りにされるのだ。残されるのは木の実、真水が皮の袋にそれぞれひとつきり。それも同廟のものからではない。渡しの漁夫が供えていくのだ。朦朧としたまま岩のうえを引き摺られ棄てられた、あたらしい人身御供を鎮めるかのように。神の贄に供される供犠。おかしな話だ。 もうどこにもゆくことはできなかった。石室の中は存外広く、立つことはできぬまでも膝立ちに辺りをさぐるくらいのことはできた。入口は岩また岩の蓋で全く塞がれている。
洩れさす光もありはしない。視界は利かず、食いものとてなく、いうまでもなく渇きは癒えない。 波の音、風の音だけが絶えないでいる。 馴染みのまるでない鳥の声のするうちが昼間なのだろう。しかしそんなことがわかってなんになる。いっそ聞こえないほうがまだしも救いだ。
身じろぎするだけで躰が痛む。動く気力も起らない。
気がつくと雨が降っている。 ――岩の蓋のむこうから流れ込んでくる! 水! 石室入口の上方から、雨水がひとすじ訪うてくる。 舌をあてると、そこだけが異様なまでに滑らかだ。 (ああ、皆ここに舌をあてたのだ) さぐり盡したと思っていた終の牢獄に、こんな痕跡があったのだ。 水、水、水。雨、雨、雨。
……以前までここにいた男のことを、思わないわけにはいかなかった。 うつくしい男だったときいている。 生まれは一切詳らかでない。 みなしごだったのを寺院が引きとって育てたのだ。 年をふり、一人前になるにつれて、うつくしく、うつくしくなりまさった。 頭がよく、高慢で、だれよりもうつくしい男。みずからのうつくしさを知悉していた。鼻にかけ、利用しながら、けれど他人のどんな愛慾からも縛られることのないようにふるまった。 ところがあまりにうつくしすぎた。 肉に耽るばかりの生臭坊主どもにとって、男は天衣無縫に過ぎた。手に入らぬものがちらつけばちらつくほど、欲しくて欲しくてたまらなくなる。あれはいったいなんだ。そもそもどうして僧などに。そうだ、おかしい、奇態なことだ。――奴は魔性に相違ない。 そうして男は流謫の身となった。 その男もこうして岩戸へ舌をあてたのだったか。 雨、雨、雨。水、水、水。
降りつづいていた雨が止んだ。 皮袋にもいくらか貯えができた。 ――たれ流しにしていた汚物の臭いが蒸した石室に充満している。 貯えなどしかしなんになる。露命を繋いで、それでどうなる。餓えと渇きとに苦しむばかりだというのに。わかっているのに……やめられなかった。 あさましい。 捨てられない。 あ、あ。雨。水。
ものを考えるも億劫だ。 すっかり盲いてしまったように思う。瞼はいま閉じているのか、開いているのか。それすらわからない。いずれにせよおなじだ。おかしなものが視えるばかり。 ぼんやりと赤い濁りのようなものが視える。暗黒のなかを、煙のごとくに漂っている。 ほんとうは赤いのかどうかもよくわからない。ほかにいいあらわすべき色の名をしらないから、仕方なしに赤いということにしておくのだ。 それがいつしか河のようになる。 大陸でいちばん大きな河だ。そこをなにかが流れていく。ような気がする。それがなにかはわからない。いつまでもいつまでも流れていく。 いつまでもいつまでも眺めている。 河はだんだんに細くなる。 細流になったと思ったら、それが何本にもぶれてみえる。目の前を何本も何本も赤い流れが流れていく。 ――じつはそれらは経文だ。流れていくのは赤い字たちだ。 赤字がなにで書かれているかは、やはりしらない。わからない。 ただ読み習ってきた経文だということだけがはっきりとわかる。 気づいた刹那、それを誦えはじめている。ほんとうに口にだしているのかはおぼつかない。ただ誦する声だけがどこかに響いている。 (誦えている)(誦えている)と思うと、それに和するようにして (あさましい)(あさましい)という念が声とはべつのところに響きはじめ、あとはふたつのことばのうち響くままに、流れつづける経文をいつまでも誦えるばかり。
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