『ふしあわせ』 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/07/24 21:49
- 名前: 沙里子 ID:ODSCkhRY
あなたはとても丁寧にわたしの首を絞める。湿っぽいわたしの皮膚に優しく指をまとわりつかせて、すこしずつ、すこしずつ力をつよめてゆく。あなたの肩越しにわたしはぼんやりと天井を見つめながら、怖いな、と思う。でも抵抗はしない。体中の力を抜いて、あなたにすべてを任せる。あなたのつめたい指の感触や、すこし荒い息遣いや、違和感を伴う淡い刺激や、下腹部に溜まってゆくあまやかな熱を、瞼を閉じて静かに味わう。 すべてが終わったあとあなたは必ず、おいしいものを食べに行こう、と言う。いまから? と午前一時をまわったばかりの時計を見ながらわたしは訊く。いまから、とあなたは余裕をもって答える。 わたしたちはアパートを出て、街に向かって歩き出す。夏の夜。空気は重たい熱を孕んで沈みこみ、ときおり吹く風は素肌にべったりとはりついて剥がれない。わたしはあなたのすこしうしろを歩く。あなたがこちらに向けてそっと手を差し出していることに、わたしは気づいている。でも気づかないふりをする。そうしてほんの少しだけ寂しがるあなたを眺めて、かわいい、と思う。 街は静まりかえっていた。コンビニとチェーンの古本店の灯りだけが煌々とあかるい。あなたは大通りの裏手にひっそりと佇む中華料理屋さんに入る。油でべたべたの床を歩き、カウンターのいちばん端に二人ならんで腰掛ける。店内にほかのお客さんはだれもいない。やっと出てきた店員に、あなたはラーメンと焼き飯と餃子を頼む。あなたに促されてわたしも焼きうどんとしゅうまいを注文した。厨房の奥でコンロに火がつく音、つづけてフライパンの上で油がはぜる音がひびきはじめた。あなたは何も言わない。いつくしむようなまなざしでわたしの首を眺めている。見られていることを意識して、わたしは背筋をぴんと伸ばす。やがてあなたは笑う。満足げに笑う。わたしも笑う。あなたが笑っているから、笑う。料理をはこんできた店員は、笑い合っているわたしたちをまじまじと見ながら奥へ引っ込んでゆく。それを見てまたあなたは笑う。 湯気のたっている熱々の料理を、わたしたちは食べる。油に濡れた餃子を咀嚼し、こってりしたスープがからんだ麺をつるりと嚥下する。食べているあいだ、わたしはあなたのことを考えないようにする。あなたといると、わたしはゆるやかに死んでいくような気がする。ごはんを食べるとまた、生き返る。そしてまたあなたに殺される。生き返る。その繰り返し。果てなどない。わたしは死につづけ、生きつづける。いつまでも。 会計を済ませてから、わたしたちは店を出る。喉が渇いたと言うと、あなたはコンビニでジュースを買ってくれる。あなたはとても優しい。部屋に帰ってすぐわたしはエアコンをつける。空気が整いはじめると、わたしはねむくなる。あなたの膝に頭を置くと、ますますねむくなる。 ――僕のこと好き? わたしの髪をいじりながら、あなたは訊ねる。 ――うん。 まどろみながら、わたしは答える。 ――僕を許してくれる? ――うん。 ――僕から離れない? ――うん。 ――ずっとそばにいてね。 うん、と舌足らずに呟きながらわたしはあなたの頬を撫でる。そのままゆっくりと指先をおろしてゆく。くちびる、おとがい、くびすじ。おやゆびで喉のふくらんだところをかるくつぶすと、あなたはかすかに身じろぎする。こわいんだな、と思った。でも言葉にはしない。首から手をはなして腰に腕をまわす。そのまま抱きしめていると、シャツからあなたの汗のにおいがした。おもいきり吸いこんで、そうしてあなたをみあげて微笑む。あなたも微笑む。わたしたちは微笑みつづける。ふたりきりで、向かい合って。いつまでも。
------------------------
久しぶりの三語です。ちょうど一時間。 読んでくださった方、ありがとうございました。
|
|