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RSSフィード [64] 卵物語
   
日時: 2014/05/03 00:50
名前: 片桐 ID:BO2fx.UY

来ましたね、GW。
こういう時はミニイベントです! ミニイベントです!
ということでw、テーマは〈卵〉。卵にまつわるお話を書いてください。
投稿は、このスレッドに返信する形でお願いします。
出来が良いから、一般板に投稿したくなった、というならそれもOK!
締め切りは六日二十時。枚数制限はありません。
六日二十時から合評も行うつもりですので、もしお時間に余裕のある方はチャットに入ってみてください。
もちろん、投稿だけ、感想だけ、というのも大歓迎。
GWに予定がある人もない人も、よりGWを楽しむために、奮ってご参加ください。

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逆転の卵 ( No.1 )
   
日時: 2014/05/06 17:17
名前: 脳舞 ID:LG1mnvWw

 天明六年(一七八六年)の秋口の夕暮れ、堀江町(現在の日本橋小網町界隈)の小道を、新藤孫兵衛はとぼとぼと歩いていた。肌に張りつくような小糠雨が、ゆっくりと袴の裾を重くしてゆく。
(一体、どうしたら勝てるのであろうか)
 孫兵衛は渋面で考えを巡らせていた。孫兵衛はこの近くにある直新影流の道場で師範代を務めるまでに剣の腕前上げているが、道場主である師範の片岡伊右衛門にはまだまだ及ばずにいた。
 伊右衛門に直接稽古をつけてもらうことはそう多くないが、いまだに一本さえ取ることが出来ずにいる。他の門下生に教える立場でもある孫兵衛は、その中では無類の強さを誇っている。しかし、最近は見どころのある門下生の一人が、孫兵衛相手に十本に一本を取るほどまでに成長してきていることもあって、孫兵衛は焦りを感じていた。このままではいつか追いつかれるかも知れないし、それどころか先に伊右衛門から一本を取られてしまうのではないかという懸念もあった。
(俺はいつか、道場を開きたいのだ)
 そんな願いも、伊右衛門に敵わぬ内は物笑いの種にしかならない。伊右衛門から免許皆伝を受けてこそ、ようやくその一歩目が踏み出せるというものだ。実力を証明するものがないのでは、道場を開いたところで門下生など集まるまい。
 孫兵衛は大きくため息を吐いた。いつの間にか雨は上がっており、それに気づいた孫兵衛はふと空を見上げた。小さなカワラヒワが二羽、さっと視界を横切るように飛んで行った。
 視線を足元に戻しかけた孫兵衛は、その途中で馴染みの小料理屋が目に入ってそちらを向いた。いつもは繁盛している店だが、先ほどまでの雨のせいか活気はなかった。暖簾の下から覗ける範囲に客の姿はない。
「御免、今日はもう店じまいか」
 そんなことを言いながら孫兵衛は暖簾を潜って中に入った。暇そうにしていた三十半ばの女将が口を尖らせる。
「もう、そんな意地の悪いことを言うのは新藤さんくらいのものですよ」
 声だけで孫兵衛だと判ったらしく、目が合った時には既に苦笑いを浮かべながらそう言った。
「一本付けてくれ。それと、何か肴になるものを頼む」
 座敷に上がった孫兵衛の注文に、女将は酒と卵らしきものを持って来た。
(茹でた卵か?)
 この時代、卵ひとつはかけそば一杯よりも少し値が張るくらいの高級品だが、孫兵衛は勘定に困るほど貧しくはない。師範代ともなればある程度の給金は出る。
 殻のついたままのそれを卓の端にぶつけてひびを入れ、剥き始めた孫兵衛は仰天した。当然、白身が現れると思っていたのだが、表面は黄身であった。恐る恐るそれを一口齧ってみると、中から白身が現れた。白身と黄身が逆転している。
「女将、この珍しい卵は何だ」
 目を見張って尋ねる孫兵衛に、女将は笑いながら答える。
「卵はごく普通のものですよ。ただ、作り方がちょっと特別なだけで。黄身返し卵というものです」
 女将が説明するところによると、新鮮な有精卵の丸い方にごく小さな穴を開け、糠の中に三日ほど漬けてからよく洗って茹でるだけだということだった。現代の科学でいえば、浸透圧による水分量の変化のせいでこうなるのである。
(黄身が中、白身が外という常識にとらわれていた。これは初めて見たら誰でも驚く)
 感心しながら猪口に注いだ酒を乾した時、孫兵衛は思った。
(剣術もまた然りではないか)
 この日、孫兵衛の酒は良く進んだ。答えを見つけた気がして嬉しかったのである。



「女将、いつものよりも高い酒はないか。あるならばそれと、合いそうな肴も頼む」
 自分でも声が弾んでいるのを自覚しながら、孫兵衛は注文をした。他の客の注文を捌きつつ、孫兵衛に酒を持って来ながら女将が問う。
「あらあら、何か良いことでもおありでしたか。今日はやけに上機嫌じゃないですか。肴はすぐに準備しますからちょっとお待ちになって下さいな」
「うむ。ついに師範から一本取ることに成功した。それも女将の卵のお蔭でだ」
 最初の一本を取っただけで、二本目からはいつものように負け続けたことは伏せたまま、孫兵衛は得意気に言った。
 孫兵衛は伊右衛門相手に奇策に出たのである。青眼に構えているようで左足を前にした逆足に構え、通常は一歩を踏み出して剣を放つところを二歩にして調子をずらしたのだ。
 孫兵衛には実力があるだけに、初心者がやるようなそんなドタバタとした動きをしてくるとは予想もしていなかったらしく、意表を突かれた伊右衛門は孫兵衛にうっかり一本を許してしまったという訳だ。
 酒を気分良く煽っていると、女将が肴を持ってきた。
「今日は磯菜卵にしてみました」
 それはふわりと半熟状に茹でた卵に、煎酒ともみ海苔が少々かかったものだった。孫兵衛が口に入れると、ほのかに塩気と酸味があって美味かった。現代のポーチドエッグに似ている。
「それにしても女将、よくもこのように様々な卵料理を思いつくものだな」
 孫兵衛が感心していると、女将は棚からなにやら本を取り出して、
「新藤さんにお師様がいるように、私にもこのようなお師様がいるのですよ」
 それは別名「卵百珍」とも呼ばれる、卵料理だけで一〇三もの料理法が載った本「万宝料理秘密箱」だった。数年前に「豆腐百珍」から始まった流行に乗った料理本のひとつだ。
「……これは一本取られた」
 孫兵衛と女将の笑いが小料理屋いっぱいに響き渡った。

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