来ましたね、GW。こういう時はミニイベントです! ミニイベントです!ということでw、テーマは〈卵〉。卵にまつわるお話を書いてください。投稿は、このスレッドに返信する形でお願いします。出来が良いから、一般板に投稿したくなった、というならそれもOK!締め切りは六日二十時。枚数制限はありません。六日二十時から合評も行うつもりですので、もしお時間に余裕のある方はチャットに入ってみてください。もちろん、投稿だけ、感想だけ、というのも大歓迎。GWに予定がある人もない人も、よりGWを楽しむために、奮ってご参加ください。
天明六年(一七八六年)の秋口の夕暮れ、堀江町(現在の日本橋小網町界隈)の小道を、新藤孫兵衛はとぼとぼと歩いていた。肌に張りつくような小糠雨が、ゆっくりと袴の裾を重くしてゆく。(一体、どうしたら勝てるのであろうか) 孫兵衛は渋面で考えを巡らせていた。孫兵衛はこの近くにある直新影流の道場で師範代を務めるまでに剣の腕前上げているが、道場主である師範の片岡伊右衛門にはまだまだ及ばずにいた。 伊右衛門に直接稽古をつけてもらうことはそう多くないが、いまだに一本さえ取ることが出来ずにいる。他の門下生に教える立場でもある孫兵衛は、その中では無類の強さを誇っている。しかし、最近は見どころのある門下生の一人が、孫兵衛相手に十本に一本を取るほどまでに成長してきていることもあって、孫兵衛は焦りを感じていた。このままではいつか追いつかれるかも知れないし、それどころか先に伊右衛門から一本を取られてしまうのではないかという懸念もあった。(俺はいつか、道場を開きたいのだ) そんな願いも、伊右衛門に敵わぬ内は物笑いの種にしかならない。伊右衛門から免許皆伝を受けてこそ、ようやくその一歩目が踏み出せるというものだ。実力を証明するものがないのでは、道場を開いたところで門下生など集まるまい。 孫兵衛は大きくため息を吐いた。いつの間にか雨は上がっており、それに気づいた孫兵衛はふと空を見上げた。小さなカワラヒワが二羽、さっと視界を横切るように飛んで行った。 視線を足元に戻しかけた孫兵衛は、その途中で馴染みの小料理屋が目に入ってそちらを向いた。いつもは繁盛している店だが、先ほどまでの雨のせいか活気はなかった。暖簾の下から覗ける範囲に客の姿はない。「御免、今日はもう店じまいか」 そんなことを言いながら孫兵衛は暖簾を潜って中に入った。暇そうにしていた三十半ばの女将が口を尖らせる。「もう、そんな意地の悪いことを言うのは新藤さんくらいのものですよ」 声だけで孫兵衛だと判ったらしく、目が合った時には既に苦笑いを浮かべながらそう言った。「一本付けてくれ。それと、何か肴になるものを頼む」 座敷に上がった孫兵衛の注文に、女将は酒と卵らしきものを持って来た。(茹でた卵か?) この時代、卵ひとつはかけそば一杯よりも少し値が張るくらいの高級品だが、孫兵衛は勘定に困るほど貧しくはない。師範代ともなればある程度の給金は出る。 殻のついたままのそれを卓の端にぶつけてひびを入れ、剥き始めた孫兵衛は仰天した。当然、白身が現れると思っていたのだが、表面は黄身であった。恐る恐るそれを一口齧ってみると、中から白身が現れた。白身と黄身が逆転している。「女将、この珍しい卵は何だ」 目を見張って尋ねる孫兵衛に、女将は笑いながら答える。「卵はごく普通のものですよ。ただ、作り方がちょっと特別なだけで。黄身返し卵というものです」 女将が説明するところによると、新鮮な有精卵の丸い方にごく小さな穴を開け、糠の中に三日ほど漬けてからよく洗って茹でるだけだということだった。現代の科学でいえば、浸透圧による水分量の変化のせいでこうなるのである。(黄身が中、白身が外という常識にとらわれていた。これは初めて見たら誰でも驚く) 感心しながら猪口に注いだ酒を乾した時、孫兵衛は思った。(剣術もまた然りではないか) この日、孫兵衛の酒は良く進んだ。答えを見つけた気がして嬉しかったのである。「女将、いつものよりも高い酒はないか。あるならばそれと、合いそうな肴も頼む」 自分でも声が弾んでいるのを自覚しながら、孫兵衛は注文をした。他の客の注文を捌きつつ、孫兵衛に酒を持って来ながら女将が問う。「あらあら、何か良いことでもおありでしたか。今日はやけに上機嫌じゃないですか。肴はすぐに準備しますからちょっとお待ちになって下さいな」「うむ。ついに師範から一本取ることに成功した。それも女将の卵のお蔭でだ」 最初の一本を取っただけで、二本目からはいつものように負け続けたことは伏せたまま、孫兵衛は得意気に言った。 孫兵衛は伊右衛門相手に奇策に出たのである。青眼に構えているようで左足を前にした逆足に構え、通常は一歩を踏み出して剣を放つところを二歩にして調子をずらしたのだ。 孫兵衛には実力があるだけに、初心者がやるようなそんなドタバタとした動きをしてくるとは予想もしていなかったらしく、意表を突かれた伊右衛門は孫兵衛にうっかり一本を許してしまったという訳だ。 酒を気分良く煽っていると、女将が肴を持ってきた。「今日は磯菜卵にしてみました」 それはふわりと半熟状に茹でた卵に、煎酒ともみ海苔が少々かかったものだった。孫兵衛が口に入れると、ほのかに塩気と酸味があって美味かった。現代のポーチドエッグに似ている。「それにしても女将、よくもこのように様々な卵料理を思いつくものだな」 孫兵衛が感心していると、女将は棚からなにやら本を取り出して、「新藤さんにお師様がいるように、私にもこのようなお師様がいるのですよ」 それは別名「卵百珍」とも呼ばれる、卵料理だけで一〇三もの料理法が載った本「万宝料理秘密箱」だった。数年前に「豆腐百珍」から始まった流行に乗った料理本のひとつだ。「……これは一本取られた」 孫兵衛と女将の笑いが小料理屋いっぱいに響き渡った。
翼をもぎたいと考える僕は、すでにまともな翼人ではないのだろう。 僕らは飛ばねば生きていけない。そうせねば、たちどころに心を病んでしまうから。 風を受けて空を舞えば自由を感じる。僕らの心はたちどころにいやされ、地上で塗れた灰色の感情を洗い流す。大切な人が死んだのなら、一日中空を飛ぶ。そうすればたちどころに、否応なく、僕らの心は恢復してしまう。事実今まで何度も堪えられない悲しみの果てに空に向かい、まるでそんなことなどなかったようにして、僕というニンゲンは生きてきた。 でもだとすれば、僕はどうして彼女に惹かれたのだろう。彼女に惹かれ、求婚し、ともに生涯を過ごそうと誓ったのだろう。 彼女は翼人でありながら、空を飛ぶことを嫌うヒトだった。忘れることが怖い、忘れ去られることが怖い、そう言って、誰もがこぞって空に向かう中、ただ一人背中の翼を硬く閉じて、寂しそうに空を眺めていた。今にして思うと僕は、彼女の中に自分が遠くの昔に忘れてきた何かを見出していたのかもしれない。 その彼女が今はいない。僕が心惹かれたあの時の姿でいない。今そこにいるのは、彼女のなれの果てなのか、彼女の源なのか、それさえも僕にはよくわからないことだった。 翼人の暮らすパンセルの里にも、春の気配が訪れ始めている。里に流れ込む小河の水は勢いを増して、西の山の雪解けを知らし、河岸に咲いた黄色い花々の香りを孕んだ薫風が、鼻腔をくすぐる。その風を受けて、幾人もの翼人が空を舞う姿が見て取れた。 「やあ、ヨードリ、今日の風は最高だ。キミも早くこちらにおいでよ」 声の方を見上げれば、僕の友人ルーダが、青い背景の中で翼をはためかせていた。ルーダは上手く空を飛ぶ。風に逆らわず、かといって風に弄ばれることなく、その瞬間、一番心地よく飛ぶ方法を熟知している。 「ありがとう。でも今はそんな気分じゃないんだ。僕は彼女と散歩中だからね」 そう言って、腰に巻いた丸いポーチを示した。 「ああ、ああ、そうか。ヨードリ。ヨードリは彼女が一番なんだったな。まったくキミも変わったヒトだ。一体いつまで卵になったヒトを大切に温めている気だね。確かに僕も知っている、卵に戻ってしまったヒトが、ごく稀に、万が一という程度に再び孵ることがあるとはさ。しかしそれも五年のうちというぞ。彼女が、さて、すまない、名前は忘れたけど、とにかく彼女がそうなってしまってから、もう五年過ぎたんじゃないか?」 「まだ五年目の途中だよ。五年目が終わったわけじゃない。まだ半年ある。それに五年という期間だって、誰が言ったかわからない適当な期間だと僕は思うんだ。十年経とうが、百年経とうが、孵るヒトはきっといるさ」 「百年ねえ。その時はきみも立派なじいさんになってるな」 「その時はその時さ。もっと早く孵ると僕は信じているけどね」 僕はそう言ってルーダに笑みを浮かべて見せた。 「キミは本当に変わったヒトだ。そう言えば、昔キミに似たようなのがいた気がするな。その娘は、翼人のくせに空を飛びたがらないんだ。綺麗な翼をしていたのに大層もったいないと思ったものだ。さて、何という名前だったろう」 「それは――」 僕が言葉を続けようとした瞬間、ルーダに声が掛かった。見ればまだ若い翼人で、空を飛ぶのが上手なルーダに、コツを教えて欲しいということだった。ルーダはそれを快諾すると、僕に軽く手を振って別れを告げ、たちどころに遥か彼方へ飛んでいった。 「それはピサ。僕がただ一人愛したヒトだ」 誰もいなくなったことを分かりつつも僕は呟く。言葉が空に消えてしまったような感覚が嫌で、腰に巻いたポーチの上から卵を撫でた。まるで、先ほどの発言は、彼女に対して告げたのだといいわけするように。 卵化、というのだと老いた知人から聞いた。成人したはずの翼人がある日を境に卵の状態まで戻ってしまうことをいうのだそうだ。そうなってしまう原因は様々だが、多くは空を飛ばず、大地の悲しみに触れ続けてしまうことが関わっているらしい。ピサは確かにほとんど空を飛ぼうとしなかった。どうしようもなく辛い時は空を飛んだが、それさえごく短い時間のことで、彼女の心が回復するのに十分だったとは思えない。僕がピサを空に誘い出そうとすると、何かに理由をつけて彼女は拒んだ。今日は寒いから。地上を散歩したい気分だから。わたしは空を飛ぶのが上手くないから。そう言う彼女をなお無理に誘うと、彼女は懇願するように、忘れたくないの、と漏らし、静かに涙を流した。 忘れたくない。その気持ちは僕にも分からないでもない。僕とて、親を亡くし、友を亡くした時、同様のことを思いはしたのだ。しかし、時は過ぎる、風は吹く。 やがて訪れれる空へ向かいたいという欲求が抑えがたく、ついには風を受けて盛大に飛び立ち、悲しみに染まった心を洗ってしまう。その後に残るのは、ただ晴れやかな気持ちで、過去のことは過去のこととしてだけ、記憶の奥底に仕舞い込まれた。 「僕はキミに似てきているのかもしれないね」 自宅までの帰り道、周りに人がいないことを確認して、僕はピサに向けて語りかけた。 「確かに僕は飛ばなくなった。それは翼人としてはやっぱりおかしなことさ。それから僕は、難しいことを、今まで考えてもみなかったことをよく考えるようになった」 ピサが応えてくれるわけもない。しかし僕は、彼女が相槌を打ってくれていると勝手に決めつけ、奇妙な一人芝居を続けた。暮れなずむ夕陽を背に受けて伸びる、自分自身の長い影を見つめながら。 「キミはこんなことを考えて、こんなふうに苦しんでいたんだろうか。今ならキミの気持ちが少しは分かる気がするんだ。忘れたくないということ、忘れ去られたくないということ。僕たち翼人は、きっととても脆い存在なんだろう。悲しいことを心に溜めたままではいられない。だから僕らは空を飛ぶ。心を風に変える。それは悪いことじゃない。だけど僕は思うんだ。それなら、キミという人はどうして生まれてきたんだろうって。そして、そんなキミに僕はどうして惹かれたんだろうって。僕にも忘れたくない何かがあったのかもしれない。それを忘れた自分を責めていたのかもしれない。キミという人を好きになって、キミという人を失って、そんなことを、思うようになった」 風が冷たくなってきた。伸びた影さえ闇に呑まれていく。 不意に、飛びたい、と思った。もう全てを忘れてもいいではないか。僕はもう十分やれることをやっただろう。彼女を失った悲しみを背負い、彼女が抱えていただろう悲しみを背負った。そうすれば、そうすることが、彼女の為になると思っていた。彼女が今もなお卵のままでいるということは、彼女は永遠に孵ることを拒んでいるか、僕の言葉が彼女の心に届いていないかの、どちらかなのじゃないか。だったら僕ももう、楽になってしまいたい。 背中の翼を拡げ、羽根の一枚一枚に風を感じた。 行こう、行くんだ、行ってしまえ! 僕はとっさに翼の羽根を毟った。激痛が身体を駆け巡り、その場に崩れこむ。うめき声を上げなら、その苦痛に耐えた。ようやく落ち着いた頃、ただ夜空を見上げる自分がいた。星々が冷えた空気の中でクリアに煌き、その明滅を見ていると、堪らず涙が溢れた。もし次この衝動がやってきたなら、僕は間違いなく空に向かってしまうだろう。そのとき、僕の中で何かが終わる。それはもう逃れようのないことだ。 絶望感にとらわれながら、僕はただひとつのことを考えていた。 僕に、やり残したことはないだろうか? 時間の感覚が曖昧な中で、それでも長いと分かる時が過ぎた。 「――ああ、そうか」 僕は脳裏に過ぎったある考えに一人頷き、明日で最後にしよう、と決めて、そのまま夜空の下で、眠りについた。 僕は山道を歩いている。飛べば一瞬でたどり着ける目的地へ向けて、一歩一歩と踏み出していく。途中で花を摘むことが、唯一の気分転換になった。これほどの距離を歩いたのは、生まれて初めてのことだった。そして僕は気づく。彼女は、ピサは、この距離さえ歩いて行ったのだと。 僕らの子供が死んだ時、僕は何より空を飛ばねばと思った。一刻も早く、この気持ちから逃れねば、自分が瓦解してしまうと思った。空を何日も飛び回っていた僕は、地上で悲しみにくれるピサのことさえ忘れようとしていた。彼女を思えば、娘の死を思い出さざるを得ない。ようやく大地に降り立った僕を、ピサは憔悴しきった表情で迎えた。彼女が娘を埋葬するため、どれほど過酷な道のりを歩き、どれほどの心を痛めてそれをなしたか、その時の僕は想像さえ出来なかった。 空を飛び回り全てを洗い流した気分でいる僕のそばで、彼女は誰にも話せない気持ちを胸に、ただ一人苦しんでいたのだ。墓地までの道を歩いたからといって、彼女の痛みを理解できるわけもない。それでも、最後にこれだけは為そうと決めた。 生まれて初めて、僕は墓に花を手向けた。それ以外にどうしたらいいか分からず、小さな石碑の前に座り込み、そこに彫られた娘の名前を何度も繰り返し読んでみる。 「リトリア、リトリア、リトリア」 そうしていると、記憶の奥底にしまった、小さな存在が僕の脳裏にも浮かび上がった。 彼女が産まれてきた時、僕らはどれほど感謝しただろう、どれほど彼女の成長を願っただろう。親として幼い僕らは、翼人の子供は成人を迎える三歳までにその半数亡くなるという話など、自分たちの子供に限ってありえないと信じた。 だから、ある朝ベッドの上で冷たくなっている娘を見たとき、取り乱した僕は、リトリアが冷たい、温めてやらなくちゃ、温めてやらなくちゃ、と娘をさすり続けた。事態を悟ったピサが、もうゆっくり眠らせてあげましょう、と言ったときには、キミはなんて薄情なやつなんだ、と彼女を罵った。僕はどこまでも愚かだった。そして、愚かしいなりに娘を愛していた。 「ごめんよ。リトリア」 もう決して届かない言葉を、彫られた名前がある場所に繰り返し呟く。 こんなことがあってさえ、僕らは生きていくのか。最愛のものが亡くなった世にさえ、なお生きていかねばならないのか。僕は全てを忘れることで生き続け、ピサは全てを抱えて生きた果てに、小さな球体に戻ってしまった。その白い殻の中で、ピサは静かな心でいられているのだろうか。それとも、今も尚娘を思って、悲嘆に暮れているのだろうか。 僕は、生きるよりない。それでももう、二度と忘れたくない。 風はその時凪いでいた。 僕がそれでも翼を羽ばたかせたのは、他の何による力でもなく、僕自身の意志で、空を飛ぼうとしたからだ。風が全てを流すなら、今の僕には風はいらない。やがて風が吹き、僕をどこかに運ぼうとも、今この瞬間だけは、全てを抱え、全てを背負って飛んでみたいと思った。強がりだと分かっている。無理なことだと分かっている。それでも僕は、羽ばたきをやめようとはしなかった。 長く使われていなかった翼から羽根が抜け落ち、すぐに飛ぶことは困難になる。僕もすでに疲れ果てていたのだろう。僕は自らを絶えず鼓舞した。あと少しは踏ん張れる。あと少しは。あとほんの少しは。 意識が遠のく、現実が揺らぐ。僕は果たして飛んでいるのか、大地に落ちているのか、それさえ分からない。 そんな中で僕は夢を見た。寄り添う二つの卵。二つの卵の間には、黄色い花が咲いている。 その花の名は、リトリア。春を知らせる花の名だ。 二つの卵がやがて孵るなら、その時にみた花の姿を決して忘れないだろう。そう、誰かが言った気がした。
朝の七時、台所に立った私に、父さんが、スクランブルが良い、と声をかけてきた。普段はそんな注文をしない父さんが、なぜそんなことをいうかというと、昨日新鮮な星卵が手に入ったからだ。私は、はいはい、といいながら冷蔵庫を開け、パックに入りの星卵をふたつ取り出し、フライパンを置いたコンロに火をつける。お皿の角に星卵をカンカンとあてて、まずひとつを割ると、中からトロリとした星卵の中身が出てきて、お皿の中にちいさなふくらみを作った。確かに、鮮度が良いようだ。これなら、栄養価も高いし、味も悪くないだろう。 私はつづいてもうひとつの星卵を割ろうとするが、そこでふと手が止まった。あらためて見ると、表面がうっすら青い。星卵全体に白いモヤみたいなものがかかっていて、水分を湛えた星卵だということがわかる。もしかしたら、その表面に生命を宿す星卵かもしれない。そこで私はあることを思い立つ。これを、あのケンジくんに見せてみたら、どうだろう。そうすれば、何か話題が広がって、楽しい時間を過ごせるのではないか。それはまったく素晴らしいアイデアに思えて、私はその星卵を、ポケットにしまいこんだ。 料理を作り終えた私は、父さんとテーブルにつき、いただきまーすといって、スクランブルエッグを食べる。私は濃い味が苦手だから、軽く塩を振って食べるだけだけど、父さんときたら、ソースをたっぷりかけて、さらにぐちゃぐちゃと混ぜてから口に運ぶ。もちろん良い気はしないけど、いちいち気にかけていては疲れてしまう。「あいかわらず、変わった連中もいるもんだ」 不意に、父さんがそんなことをいった。父さんは、テレビを見ている。私もテレビに眼をやると、そこには、最盛期を迎えた星漁の映像と、それに反対する市民団体のデモ行進が映し出されていた。ひとつの星の命を軽々しく奪っていいのか、などと彼らは叫んでいるようだ。変わったことをいう人もいるものだ、と思ってしまう。ニンゲンは、何かを食べなければ生きていけない。生きた星である星卵は栄養価のかたまりといえて、私たちにとってはこの上ない食料だ。確かに、天然ものの星を獲りすぎるのは、ある銀河系のバランスから考えてどうかとも思うことはあるけど、私たちが食べているのは、仮に鮮度がいいといっても養殖ものの星卵だ。それさえ食べてはいけないというなら、彼らは何を食べて生きていくというのだろう。 父さんも私も、ケンジくんみたいに頭が良い方ではないから、ニュースにたいして特別な意見を持つことはない。結局私たちは星卵を食べ終えて、食後のコーヒーを飲むと、登校と出勤の準備にとりかかった。「ねえ、ケンジくん、これ見てくれない?」 中学校の昼休みに、私はケンジくんに、例の星卵について聞いてみることにした。教室のなかにはほとんど人が残っておらず、人目の気にしなくてすむのが幸いだった。難しい本を読んでいたケンジくんは、私の声に気づくと、こちらを向いて一瞬呆けた顔をし、それから人さし指でメガネを掛け直した。「ああ、佐伯さんか」 私の方はケンジくんと名前で呼ぶのに、ケンジくんときたら、いつまで経っても私のことを名字で呼ぶ。そんな態度が毎度悲しいのだけれど、でも、他に特別親しい女の子もいないみたいだから、私にだってまだチャンスはあると信じている。「へえ、水を湛えた星卵か。これをどこで?」 ケンジくんは、私の予想通り、この星卵に興味を持ってくれたようだ。「えっとね、昨日父さんが買ってきた星卵のパックに入ってたんだ。朝になってから気づいたの。もしかしたら珍しいものかもしれないって」「なるほどね。じゃあ、養殖ものの星卵というわけだ。でも、水を湛えているというのは、確かに珍しいよ。顕微鏡でのぞいてみたら、すでに生命が誕生しているかもしれない」「ホント?」「うん、ちょっと待って」 そう言うと、ケンジくんは、机の横に置いた大きなかばんの中から、常に常備している小さめの顕微鏡を取り出した。対物レンズの下に星卵を置くと、接眼レンズに眼をあてる。「うん、間違いない。生命が育っているね。爬虫類が見えるよ」「爬虫類?」「こういう星にはよく繁栄する生物たちのことだよ。地面を這うように歩くから爬虫類。星のサイズから比較するに、かなり大きめの爬虫類だといえる。今の段階では、彼らがこの星の食物連鎖の頂点に立っているようだ。見てみるかい?」 私は頷いて、接眼レンズに眼をあてる。ケンジくんの温もりが残っていて、ちょっと照れてしまうが、今の私はあくまで知的好奇心に溢れた女の子。そういう子としてケンジくんが喜ぶようなことを言おうと、その爬虫類というものを覗き込むことにした。 そこには確かに生き物がいた。全身を鱗に覆われた、変な生き物たち。私は思わず、キャ、と声をあげて、後ろ向きに倒れ、思い切り尻餅をついてしまった。「あはは。そんなにびっくりしたかい?」 私は無言で頷くよりなかった。正直、爬虫類というものが、気持ち悪くてしかたなかったのだ。「まだ、進化の段階としては、初期にあたるといえるね。肉体的な大きさによって食物連鎖が繰り広げられているだけだから。でも、ちょっと刺激を与えると、変化を促すこともできるよ」「そ、そうなの?」「うん。知的生命体を意図的に発生させるんだ。僕と似た、ヒト型が生まれる可能性だってある。僕が手を加えてみてもいいけど、どうする?」 心なしか、ケンジくんの声が弾んでいるように思えた。「じゃ、じゃあやってみて」「わかった」 ケンジくんは、星卵を手にすると、その一点を、小指でパチンと弾いた。「よし」 そう言って、ケンジくんは、満足そうに頷いている。「え? それだけ?」「ああ、これだけで、この星卵の上では信じられないほどの変化が起きているはずだよ。それこそ、さっきまでこの世界の覇者として君臨していた爬虫類たちが絶滅するほどのね。だからこそ、また新たな生命系が誕生する可能性があるのさ。明日また持ってきてくれない? その時には、もしかしたら、知的生命体が反映する星卵になっているかもしれないから」 家に帰った私は、星卵にらめっこしていた。もっとも、心のなかはケンジくんでいっぱいで、今日ふたりでした会話を頭のなかに何度も思い浮かべて、ひとりにやける。そして、知的生命体さん、どうか育ってくれていますように、と何度も願った。だってそれがかなえば、もっとケンジくんとの会話が弾むに違いないから。 延々そんなことをしていると、私はついに、ある考えにいたってしまった。 ――明日、ケンジくんに告白しちゃおうか。 ずっと名字で呼ばれるだけの私だったけど、いつまでもそのままではいたくない。でも、私にそんな勇気があるだろうか。私は目の前の星卵を見ながらふと思う。そうだ、自分のなかで願賭けをしよう。ケンジくんがいう、知的生命体さんが育っていれば、告白はきっと成功する。 私は、それこそ卵を温めるように抱きしめ、育ってね、育ってねと祈りながら眠った。 私とケンジくんは、放課後の理科室にいた。理科室にある最新の顕微鏡で星卵を観察しようということになったのだ。顕微鏡に星卵をセットしたケンジくんは、早速レンズを覗き込んでいる。今は星卵に集中しているから、かたわらで彼の横顔を見つめる私には全然気づいていないはずだ。「育っているね」 ケンジ君がふとこぼした言葉が私の心を貫いた。やっぱり育っていてくれたんだ。昨日あれだけ祈った甲斐があった。私の胸はいっきに高鳴る。だったらやるべきことはひとつ。「あのね、ケンジくん、突然なんだけど……」 私は、途切れ途切れになりながらも、必死で言葉を紡いでいく。「駄目だね」 それは、あまりに唐突なケンジくんの言葉だった。「駄目?」「ああ、この星卵はもう駄目だ」「ど、どうして?」「佐伯さん、きみはもしかして、この星卵を無理に温めたりしなかったかい?」「昨日、ちょっと撫でたりはしたけど」「星卵を育て、観察しようとするなら、僕らは、干渉しすぎてはいけない。星卵の上に住むものたちからすれば、僕らは自然現象にひとしい存在だ。生命体としての次元が違うんだよ。無計画な干渉をしてはいけない」「そんなに大変なことに?」「ヒト型の知的生命体が確かに繁栄している。爆発的に数を増やし、自然界の頂点にたっている。知的水準は高く、科学技術がものすごい勢いで進歩もしている」「それがどうして駄目なの?」「問題は進歩の速度さ。自分たちが持つ能力を律する術を、彼らは持ち合わせていない。大きな戦争が何度かあって、今はひとまず落ち着いているが、おそらく近いうちにとりかえしのつかない事態がおきるだろう」「とりかえしのつかない事態って?」「昨日、僕が卵を小指で弾いただろう? その星の生命系をいっきに激変させるほどのショックだ。それを彼らは、自分たちの力で引き起こす。必ずとは言えないけれど、ほぼ間違いない。そういう例を、そういう星卵を、僕は何度も見てきた」「じゃあ、この星卵は?」「そうだね、悲惨なことが起きる前に、料理して食べるのが一番かもしれない」 私はそこで黙り込んだ。 星卵が駄目になる。そんなことはどうでもいい。星卵の上には、何十億の知的生命体がいて、それ以外にも何兆という生命体がいるんだろう。彼らが滅ぼうが、どうなろうがどうでもいいことだ。そんなことより私は、ケンジくんを目の前にして、何も言い出せない自分が嫌だった。願掛けは失敗に終わったのかもしれない。それでも、私は今さら自分の気持ちを抑え込むことなんてできない。「ねえ、ケンジくん、私は――」「佐伯さん、今回はまた残念だったね。でも、まためずらしいと思うものがあれば持ってきてよ。佐伯さんとは、これからも星卵探し仲間として仲良くしてもいたい」「そうじゃなくて、私」「ごめん、佐伯さん、そういうことだから」 そういうこと? 私が事態を飲み込めないでいると、彼は、用があるからと、カバンを背負って理科室を出て行った。私はひとりたたずむ。そして、そういうこと、をようやく理解しはじめると、恥ずかしさがこみ上げ、悲しさが溢れ、わけのない怒りまで感じ始めて、声をあげて泣きはじめた。 どれほどそうしていたのか、涙がようやく枯れたころ、彼が片付けていかなかった顕微鏡が気になった。星卵もまだ顕微鏡のステージの上にあって、何気なしにレンズを覗き込む。 どこまでも荒れ果てた世界が広がり、生命のほとんどが死滅しているということは私にもさっせられた。私のせいで滅んだ世界だ。ある廃墟を見つけると、そこに数百のヒトが、薄汚い格好で生活していた。そのうちの一人が空を――こちらを――見上げ、私の方に指さす。すると、周りのヒトたちも一斉にこちらを見上げ、私を見てケラケラと笑った。まともなものはもう一人も残っていないのだろう。それでも、最後の抵抗というように、私という人間を嘲笑っている。 私は、顕微鏡から眼を話すと、その星卵を手にし、一息に握り潰した。
ロレックス(Rolex)コピー ロレックス腕時計,人気新作腕時計コピーを販売していますロレックススーパーコピー:http://www.sakurawow999.com/hgwares/wow-Watch-6/人気ロレックスコピー品百万件突破!日本最大のスーパーコピー通販サイト