二人 ( No.7 ) |
- 日時: 2013/06/09 01:36
- 名前: tori ID:MpHcHAt6
美術室はテレピンの臭いが染みついていた。 油絵がほとんどの中で、彼だけが日本画をやっている。油の絵具とは違うあざやかな岩絵具を白い皿にいくつも並べ、白い紙のうえに儚い娘の絵を描いている。 冬の放課後で、窓の外はすでに暗い。他の美術部の部員はさっさと帰ってしまっていて、美術室には彼とぼくとだけがいる。ぼくは彼のそばに椅子を持ってきて、小説を読むふりをして、彼の絵を描く姿を盗み見ていた。 彼は少し長めの髪を頭の後ろに撫でよせて縛っている。制服が汚れないように青や赤の染みのついたエプロンをつけている。右手に持った筆、下書きのされた紙に向ける眼ざし。研ぎに研いだような、透明に近い顔つき。 帰りのHRが終わったあと、部活にいく彼について美術室に入ったときのことを思いだす。 彼は画材を準備したりしながら、
―― 待たなくていいんだぞ。 ―― べつに、構わないよ。ていうか、駅前に新しいバーガー屋ができたんだよ、そこ行こうぜ。 ―― 遅くなるぞ。 ―― そのほうが腹へっていいでしょ。 ―― そうか。
彼は嬉しさの混じった困り顔をしていた。それと絵を描いているときの顔。どちらもぼくは好きだけれど、嬉しさと困ったのが同居したあの顔は、ぼくだけに向けられた顔で、ぼくしか知らない顔で、と思うと、ぼくが関係しないいまの彼の表情は惚れぼれするのだけど少しだけ、ほんとうに少しだけ恨めしく思う。 じっと見つめすぎた、のか。彼が表情をくずし、筆を絵皿に置いた。 「今日はここで切りあげよう。お腹もすいたし」 ぼくのことを見て笑いかけてくれる。ぼくは頬が赤くなるのを感じながら、椅子から立ちあがって彼のそばに寄る。彼の背に抱きつくようにしながら、 「いいの?」 「横で、そんな顔されていたら描けるものも描けないさ」 「ちょっと……それはごめん」 「お腹がすいた、それはほんとうだよ」 ぼくは彼の肩に顎をのせながら、少しずつ完成にむかっている娘の絵に目をむける。下町の平屋のならんでいるようなところの舗装されていない道、そこに家々が小さな台をだして涼んでいる。軒先からつるされた電球をたよりに将棋に興じている中年の男が二人、彼らにグラスに入った白ビールを渡している娘がいる。その娘が絵の中心だ。 湿気の多い夜の光景。肌寒さを感じる冬の美術室のなかにあって、彼の描いている絵のなかには夏が息づいている。 「あいかわらず、すごいね」 「まだまだ届かないよ」 「モデルいるの?」 ぼくは絵の女を指さす。 「おばあちゃんだよ」 「そうなんだ」 「おばあちゃんの昔話とおばあちゃんの昔の写真から描いているんだ」 「その写真は? どこにも見当たらないけれど」 「頭の中にだけ」 「いいの?」 「なんというか、目の前の光景を筆で描きなおすことが絵じゃないと思うんだ」 「そういうもの?」 「俺にとってはね」 彼はそういって立ちあがり、後片付けを始める。それを手伝って、美術室を出る。そのあとは予定どおり、駅前に新しくできたバーガー屋に行った。 バーガー屋は、ダイナー風の作りをしていて、夜はお酒をだしている。高校生の二人では少し入りにくい雰囲気だった。彼と顔を見合わせてから、まあ、と彼がさきにお店のなかに入った。 少し高めのハンバーガーは、思ったよりも美味しかった。ハンバーグは肉の旨味があったし、ソースも食欲を刺激した。濃い味つけで、きっとお酒に合うんだろう、と思った。 ハンバーガーを食べながら、彼と来年の話をした。受験がある。気の早い同級生はもう受験勉強を始めている。芸大にいくのか、と彼に聞くと、彼は分からないと答える。あんなに絵がかけるのに? ―― ぜんぜんだよ、もっとうまい人はいっぱいいる。―― 自信もってよ、ぼくはすごく好きだよ。―― 俺の絵は自分の知り合いしか喜ばすことができない、それが自分の限界なんだと思うんだ。 そういった彼にぼくはあとを続けられなかった。 彼は彼の描いている絵の中の娘と同じように儚い雰囲気で、ハンバーガーの付け合せのフライドポテトを口に運んだ。
---- 白ビールがキレイに入らなかった・・・orz
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