お手つき ( No.6 ) |
- 日時: 2013/05/19 16:14
- 名前: tori ID:zTDp6WoA
まさに呪詛だ。 腹いせに、夏子はコピー機から取りだしたA4の紙に赤字で「OL」と書いて、それをシュレッターにかけている。さっきからずっとそうしている。 時間は21時を過ぎたころで、残業していた社員もいない。残っているのは夏子だけ。オフィスにシュレッターの刃が紙を裁断する音だけが響いている。 何枚目? ―― 少なくとも10枚以上、夏子はOLの文字をシュレッターにかけると、ひと息ついた。 「・・・帰るか」 夏子が満足気にそうつぶやくと、 「何してんだよ」 と声がかかった。彼女はびくり、と肩を震わせて、油のきれた歯車みたいに後ろを向く。そこには主任の田中が立っていた。頬が少し赤く、ネクタイを外してボタンを緩めている。ほのかにアルコールの匂いがするところを見ると、どうやら彼は飲み会のあと、会社に戻ってきたようだ。 「それは・・・私の言葉です。今日は、資材部のキックオフに呼ばれたのでは?」 「行ってきたよ」 「見れば分かります。聞きたいのは、」 なんで戻ってきたんですか、と、その言葉は喉まで出かかって潰れた。田中が夏子のことを抱きすくめたから。夏子は瞬間的に身を強ばらせた、ぞっとするような恐怖と包みこまれる安心感、自分のそばにある田中の顔 ―― 絶望的に整っている ―― にへんな期待が。 夏子はただ、まっすぐヒールの踵で田中の革靴を踏みぬいた。田中が飛びあがる。 「セクハラですよ?」 「思わず」 そういって悪びれたふうにつぶやく田中は、何というか様になっていた。彫りの深い顔に無邪気な少年のような気配が交じる。無条件に抱擁したくなる魔性があって、 「いいですね、美形は。なにやっても許されますか、そうですか。しかし、残念でした! 私はそのへんの女とは違いますから!」 「ああ・・・そうだろうね」 田中はそういいながら財布を取りだし ―― コンドームか! と夏子は身構え ―― 中から折りたたまれたコピー用紙を取りだした。それを丁寧に田中は広げて、少し嬉しそうに夏子に中身を見せた、瞬間、夏子は無の境地に飛びだった。もしそばに窓があったら身を投じていたかもしれない。 田中の広げたコピー用紙にはイラストが描かれていた。ラフに描きながされていながら特徴をきちんと摘んでいる。アニメふうにアレンジされたその人物は、夏子の目の前で嗜虐的な笑みをうかべている田中そのひとだ。 「田中ァ なにが目的だ」 「敬語はどうした」 「知るか。誰であろうと、それを知ってしまったからには・・・」 虐げられた荒ぶる神のような邪悪な気配を発散させながら夏子は、前傾姿勢になって、じりじりと田中との距離をはかる。一撃必殺、そんな夜のオフィスに似合わない雰囲気をにじませる。 「落ちつけ」 「・・・」 「ぼくはきみのことが気にいっているんだ」 「そうやって何人のスケをヤリ捨てた」 「ひとを何だと思っているんだ、お前は」 「猿」 「ひどいな」 「私の肉体が目的か。それとも、私をいいように使いたいのか」 「違うよ。何か知らないけれど、好きになっちゃたんだよ」 「自分をか」 「きみを」 「なんだと?」 「はじめは、きみは堅いだけのひとだと思っていた。今日だって、ほかのメンバーは、ぼくがいないことを理由にさっさと帰ったのに、きみだけが今日やるべきことをちゃんと残ってまでやってくれている。堅いひとだと思ったけど、それだけじゃないことが分かって、」 田中は手にしたイラストをじっと見て、 「かわいい、と思ったんだ。そうしたら、もう忘れられない。今日はチャンスだと思ったんだよ」 「なんで?」 「絶対に、きみだけが残って仕事をしている。2人っきりになれる」 夏子は顔を真っ赤にした。田中はそれが夏子が恥じているのだと思って、余計に彼女のことを可愛く思った。純真なひとが好みというわけではない、好きでもないひとがつまらないことでいちいち赤面していたら、田中は煩わしく思ったに違いない。 ただ、夏子はこんな時間まで残っていたのが、腹いせ、コピー用紙に「OL」と書いてシュレッターにかけていただけ、という鬱屈したような衝動のせいだったから、なんとも言えなくなって、非難するように田中をにらむことしかできなかった。 「返事はすぐに、とは言えないけど、あまり待てないとも思う」 そういって田中は私用の携帯を取りだし、アドレスを交換しよう、と言う。夏子は言われるがまま田中とアドレスを交換する。田中は、じゃあ、と言ってオフィスから出ていく。その顔にどこか浮かれたようなところがあって、夏子は少し見惚れてしまった。 ふたたび夏子はオフィスにひとりになると、肩の荷を投げ捨てるように近くの椅子に座り、頭を抱えた。 田中のことは何となくイラストに描いたぐらいだ、普段なら好きな漫画のキャラしか絵にしないのに。だから、自分が田中にどういう感情を持っているのか、夏子は分からないわけではない。 夏子の口の端は知らず緩んでいた、本人は気づいていないけれど。
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