爪食系男子 ( No.5 ) |
- 日時: 2011/08/29 00:12
- 名前: ラトリー ID:/SdRXH4M
爪を食べることをおぼえたのは、いつのころからだろう。 そう昔からの癖じゃない。少なくとも、噛み始めたのは大学に上がってからだった。友達作りに失敗し、講義についていけない孤独な毎日を過ごすうち、下宿先のアパートで繰り返すようになった。紙のように薄い壁を隔てて、遊び好きの同年代の男が女を連れこむようになると、本格的に食事が始まった。 今宵も乾ききった唇を、右手の親指に当てる。歯を突きだし、ギザギザになった爪の先端へ。最初は弱く、次第に強く。指は極力、唾液にさらさない。しばらく続けるうち、ごく薄い破片がはがれて舌の上に滑りこむ。 よし、今日もいい触感だ。邪魔する者は誰もいない。隣人は今日も今日とて飽きることなく、連れこんだ女の声と身体を楽しんでいる。だがそんなものはどうでもいい。興味があるのは、口から喉へと流れおちる人体の一部、ものいわぬカケラ、それだけだ。 テレビでは物騒な事件があったことを伝えている。また一人、近所で評判の良かった若い女性が失踪し、手足を切り取られた首と胴体だけで見つかった、と。バラバラにするなんて残酷だ、なんてひどいことをするんだ、亡くなった人の、遺された人の痛みを知れ。画面に映る人々は口々に、いまだ見知らぬ殺人鬼の糾弾を続ける。 痛みを知る。そんなものに関心はない。心を惹かれるのは食べること、それだけだ。いくつかの段階を経ての最終目的なのではなく、それこそが唯一の喜びなのだ。なぜそれを理解できない? どこに間違いがある? この気持ちに偽りはないというのに。 隣の男と女がひときわ大きく盛り上がり、激しい震動が音となって鼓膜を揺さぶる。そんなものなどおかまいなしに、破片は食道を流れ、タンパク質を消化する胃袋へとたどり着く。これで今夜も安らぎを得られる。壁を隔てた部屋で連中がどんなに高ぶろうと、いっさい関係ない。やがて一晩の関係を終えて日常に戻り、近所の評判を下げまいとするのだろうが、そんな努力は無駄にすぎない。ここに爪を食う楽しみを貪る者がいる限り。
そろそろテレビを消し、今宵の食事も終わりとしよう。 いつものように、自分のものではない指をケースにしまいこんだ。
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