内の裸と外の錦 ( No.5 ) |
- 日時: 2015/09/06 23:41
- 名前: ラトリー ID:ikkkEfO6
池に餌を落としてやると、たちまち水面に錦鯉が集まってきた。 鮮やかな模様が浮かび上がる身をくねらせながら、我先にと塊に群がって忙しく口を動かしている。野性の力強い本能を間近に見るようで、悪い気はしない。 食欲旺盛なのがこの魚の持ち味だ。雑食性で、小魚に水草、ミミズにカエル、口に入るものならたいてい何でも食べる。錦の名を冠する美しい外見を手に入れても、その貪欲な性質は変わらない。人間の都合など魚の知るところではない、ということか。 池から広大な庭へと視線を移し、ため息をつくように深呼吸をする。 こんな立派な建物が親の持ち物とはとても思えない。だが現実は現実だ。 俺が都会で苦労している間、祖父母の遺した屋敷を相続していろいろと手を加えたらしい。親父が退職金をかなりつぎこんだのだろう。 錦鯉の泳ぐ池、瓦をふきなおして長屋が二つ直角に交わるような様式に改築した住居部、縁側沿いにずらりと並んだ盆栽。どれも金に困らない定年世代の贅沢趣味を体現したようなしつらえだ。装飾自体に罪はないが、果たしてその持ち主はどうか……? つい数時間前の出来事に思いをはせていると、秋風が頬をなでた。 昼下がりの穏やかな日差しが、夏の遠くなったことを教えてくれる。夜ともなればなおさらで、ゆうべは心地よく眠ることができた。 だが、親父はそうもいかなかっただろう。二人いる子供のうち、出来の悪いほうの長男がこうして帰ってきて、気にくわない「将来の夢」の話など持ち出したのだから。 親父は会社勤めを引退したが、おふくろはラジオのパーソナリティを続けている。六十を超えても若々しい……いや、かん高くて若すぎるとさえ思える声質を生かし、毎回やたらと高いテンションで、悩める少年少女の友達のようにふるまっている。 バカバカしいとは思うものの、俺だってそんなおふくろの息子だ。声を使う仕事にあこがれた。ルックスや立ち居振る舞いに自信がなかったというのもある。妹のように化粧品を売るなんてことはできない。だが、それに負けない何か「大きな」仕事をしたい。 人前にはあまり出たくないが、世の中に俺の実力を示したい。すごい奴だと、一人でも多くの人間に思ってほしい。そう夢見て、長く都会に身を置いてきた。 親父はそんな俺の訪問を冷たくあしらった。自分が公務員として勤め上げた三十八年を栄光ある過去のように振りかざし、いまだ定職に就かない俺を邪険に扱った。 夜の訪問だったから、おふくろはラジオ局のほうに行っていて不在だった。二人でおふくろの出ている番組を聴いた。現役時代さんざん暴力を振るっていたくせに、さも「できた夫」のように耳を傾けているのが腹立たしくて仕方なかった。 昔から水と油の関係だと思っていたが、久しぶりの再会でも変わらなかった。むしろ悪化していた。親父はこんなにも醜い男だったのか。老いてますます私腹を肥やし、輝き続けるおふくろと対照的にどこまでも堕ちていく。俺の眼にはそうとしか映らなかった。 将来の夢を伝えるのとあわせて借金の申しこみをするつもりだったが、その気もなくなった。こんな男に金の問題で頭を下げる必要はない。金を得るならもっとうまいやり方があるだろうと、俺はあらためて自分に言い聞かせたものだった。 そして今、日の当たる時間にこうして池のほとりに立っている。懐には親父の財布から抜き取った一万円札が十枚。行きがけの駄賃には充分な金額だ。 おふくろはまた局のほうへ出かけている。ゆうべ遅くに帰ってきて今朝早くの出発で、ろくに会話する機会もなかった。仕事を楽しんでいる身を邪魔したくはない。さっさとやることをすませて帰ろう。そう思い立ってからはすばやく行動できた。 また秋風が吹いた。身につけたダークスーツに鼻を近づけ、かいでみる。特に匂いはしない。見たところ、黒い見た目のおかげで付着した斑点も目立たないようだ。 親父には葬式に着ていくみたいな服だと言われたが、別に間違ってはいない。もともと軽い冗談のつもりでコーディネイトしてみた。それがたまたま、ジョークの切れ味を増した上に本当に喪服として機能するようになっただけのことだ。 息の根を止めるときは、勢いに任せて一瞬で終わらせた。服を脱がせ、風呂場へ運んで解体するのはさすがにくたびれたが、どこかで聞いたか見たかした話を思い出しながらやれば何とかなった。居間のパソコンも、手口の詳細を調べるのに大いに役立った。 あらためて深呼吸しながら、池を見下ろす。鯉たちはみんなほうぼうに分かれてのんびりと泳ぎ回り、さっき落とした餌は影も形もない。 ――これはひょっとして、予想以上にうまくいくかもしれないぞ。 大量の肉をどう処分するか迷っていたところだった。骨は鍋で煮てやわらかくしてから砕けばいいが、肉塊の処分はそうもいかない。保存だって利かないし、さっさと人目につかない形に変えてしまうに越したことはない。 その点、別の生き物に食べさせるのはてっとり早い。鷹や鳶に何匹かさらわれたとはいえ、広大な池には軽く二十匹以上の鯉が悠々と泳いでいる。好きで池に放した鯉に食われるのだ。親父もきっと悪い気はしないだろう。 俺はさらなる餌を運ぶべく、親父を置いた風呂場へ戻ることにした。
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今回も三時間ほど使ってます。
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