稲妻チョップ ( No.4 ) |
- 日時: 2013/07/22 00:26
- 名前: かたぎり ID:TpQ4WxX2
撮影用の機材一式を背負い、避雷傘を片手に、市内バスに乗り込んだ。 僕は乗車口で運転手に軽く会釈をすると、いつものところで降りますから、と小声で告げる。四十過ぎと見える運転手は、こちらに顔を向けることなく頷き、ただフロントガラスの先を見つめていた。 大荷物を座席まで運び、ふうと一息はいて、腰を下ろした。エアコンの送風口を調整して全身に冷風を浴びると、身体に溜まった熱が流されていくようで、文明の利器に毎度感動してしまう。乗客は今日も僕ひとり。いかに公共交通機関といえど、このありさまではそのうち廃線になってしまうのではと心配になってくる。 目指す松原山山頂行きのバスは日に三本。そのうちの二本目となる昼三時過ぎのバスに乗り込むのは、中学二年の夏休みに入ってからの僕の日課になっていた。目的は山頂からこの町の写真を撮ること。ただし、その撮影には普通取られない方法を使う。今の今まで一度も成功していない撮影。しかし、だからこそ僕は今日もこうしてバスに乗り、松原山の山頂を目指しているのだ。 バスに揺られながら、窓の外に目を向ければ、相も変わらずの風景ばかりが流れてくる。 見上げるほどに高い建築物はなく、ひたすらに水田が広がり、その合間に住宅が点在している。一見どこにでもある田舎町。しかし、よく見るほどに、どんな人間だろうと、この町の異常に気づかずにはいられない。たとえばそれは、すべての家屋の屋根の上から垂直に伸びる長い針だ。 いかに田舎町だからといって、今さら地上波を受信しているわけもない。それは、まったく別の事情、十数年前から始まったこの町の特異な気象現象に抗するために、政府や地方自治体が設置を義務付けた避雷針なのだ。古い家屋だろうと、現代建築だろうと関係なくその避雷針が設置させられた様はそうとう不気味に見える。しかし、それは避けようもないことだ。 窓の向こう、遠くの空が曇り始めている。やがてそれは町いっぱいに広がり、黒ずんだ積乱雲へと変わる。そして、この町には今日もまた、雷鳴がとどろくのだ。
山頂に辿りつき、バスを降りた僕は、目当ての方向へと歩き始めた。 まだ昼の三時半だが、暗雲がその深みをまして、ゴロゴロという腹に響くような音が、空気を震わす。風も強まり、鬱蒼としげる木々の枝葉が揺れていた。 僕は、リュックにしまった厚手の全身スーツを取りだし、それを身につける。顔以外は覆れてしまうが、繊維に絶縁体が縫い込まれているらしく、落雷にあっても平気なのだそうだ。四六時中落雷の恐れがあるこの町では、外出する際はかならずこのスーツを携帯させられ、ひとたび空が曇り出せば、ただちにこれを着用しなければならない。通気性に優れているとはお世辞にもいえないため、夏場は猛烈に熱い。落雷の直撃を受けて負傷するより、熱中症で倒れる心配をするべきではないかという声のほうが多いとも聞くが、少なくとも即死の心配はないというのが、専門家といわれる人たちの統一見解らしかった。 一日に数十、年間にして数千の落雷にみまわれるこの特殊な町に生きるための苦肉の策、それが、全家屋に設置された避雷針と、この絶縁体スーツなのだ。 山道を数十メートルも歩けば、下着や肌着が汗にまみれているとわかる。不快感は急上昇し、いっそ裸になりたいとさえ思えてくる。それでも僕は、このスーツを脱ぐわけにはいかず、背にした機材と、手にした特性の傘を手放すわけにもいかない。たんに命が惜しいだけではない。僕がこれからしようとしていることは、これらがなければとうていかなわぬことなのだ。 車道から細い林道に入ると、左右は松林に覆われる。風がさえぎられると、湿った空気のなかに、緑と土の匂いが混じり、その匂いの濃さに一瞬むせ返りそうになる。そして匂いに慣れたころには、胸の内に、言いようもない懐かしさのようなものが湧き上がってくる。この土地に育ったのだから、懐かしさも何もないと思うが、ここに来るたび同じことを感じてしまうのはなぜなのだろう。 林道の果てにある石段を上り、ぱっと視界が開けた平地が、目的の場所だった。特別何があるというわけでもない。低木や雑草がざったに生えているだけで、神社仏閣どころか、ちいさなお地蔵様さえ立ってはいない。それでも高台にあることには違いなく、そこから自分が住む町を見下ろすのが妙に好きだった。 避雷傘と、背にした機材を地面に下ろすと、僕は大福の形をした大岩のうえに登り、世界を見下ろした。僕が生まれてから今日まで暮らした町が、今は小さく遠い。 針山の町。呪われた町。見放された町。 誰がどんな呼び方をしようと、僕はこの町に生まれ育ち、今日も明日もここに暮らす。言葉にならない切なさを受け入れるような、誇るような――、ここに来るたび、そんな改まった気分が湧いてくる。 よし、と一言気合いを入れて、僕はいつもの準備に取り掛かった。 三脚を地面に固定し、その上にデジタル一眼レフカメラを備え付ける。レンズを覗いてピントを合わす。フレームに切りとられた僕の町は、相も変わらず灰色の雲に覆われ薄暗い。まるで被写体には見合わない町。でも、だからこそ、僕は自由研究にこの町の撮影を選んだ。この町に生きるものが、この町だからできる方法で撮る一枚の写真。出来が良い悪いではなく、僕はたぶん、その行為自体に価値を見出そうとしている。 カメラの設置が終わると、そのかたわらに別の機材を取り付ける準備にかかった。ラジコンの伸び縮みするアンテナに似た形状を持つ避雷針だ。限界まで伸ばすと三メートルに達する。技術屋の親父に頼み、製作を手伝ってもらった。この避雷針は、雷の電流を地面に逃がす一方、電流の一部を特製の電気コード越しにカメラのシャッター部分にまで流し、落雷と同時にシャッターが押される仕組みになっている。雷という自然のフラッシュを利用して、僕はこの町の写真を撮ってやろうと目論んでいるのだ。 時刻は午後四時を過ぎた。空を覆う灰の雲がしだいに黒ずみ始めている。陽の光ははるか遠い。積乱雲のなかで、雷が生まれるまでそう時間はかからないだろう。 僕は撮影の最終調整に入る。 動き続けた身体が熱くてたまらない。額に浮かんだ汗の粒が、眼に入る。口が乾く。絶縁体スーツを全身に着込んだ身体は熱を上げ、意識がぼうっとしてくるのを感じる。急げ、急げ。落雷は近い。 「ねえ、きみ、なにしてるの?」 それは、まったく不意に聞こえた女の声だった。 まさかと思いつつも振り返ると、そこに僕と同い年ほどと思える少女が確かに立っている。おかしなことがいくつもあった。ここに僕以外の人間がいるはずがないのだ。先ほど乗ってきたバスに乗っていた乗客は僕一人だった。それもそのはず、ここは、この町で最も落雷の可能性が高い場所で、地元の人間はまず寄り付かない。それなのに、どうして、どうやって彼女はここにやってきたのか。そして、その格好だ。いつ落雷があってもおかしくないこの町で、この場所で、絶縁体スーツを身につけずに、白のブラウスと、薄いイエローのパンツをはいて、突っ立っている。まさかハイキングということもないだろう。 「ねえ、なにしてるの?」 彼女は僕の目の前までやってきて、顔をぐっと寄せて問う。思わずのけぞりながら僕は答えた。 「なにって、撮影を」 「撮影? こんな場所で撮影か。変わった人もいるもんだ」 そう、飄々という彼女のほうこそよほど変わっていると思うが、そんなことを気にしている暇はない。 「ここ、危ないよ。もういつ雷が落ちてきてもおかしくない。すぐ避難しないと」 「そりゃそうよ。だから、撮影なんてやめたほうが良いんじゃない?」 なんだか、心配している自分が情けなくなってきた。 「いや、きみこそ、自分の恰好がわかってるの? そんな恰好じゃ、落雷にあったら、死んじゃうかもしれないんだよ」 「うん。まあ、それはそうなんだけど」 「じゃあなんでこんなところに」 「なんでって、雷に打たれてみようかと思って」 「死ぬかもしれないんだよ」 「うーん、その時はその時かな」 わからない。まるでわからない。この場合はたぶん、女心の機微というわけでもないだろう。根本的な何かがそもそも違っているとしか思えない。 「へー、カメラから覗くとこんなふうに見えるんだ」 僕の当惑などつゆ知らず、彼女は僕が設置したカメラのレンズを覗いている。 「ともかく、目の前で落雷事故に合う人なんて見たくないんだ。避雷用の傘があるから、まずはその下に避難してよ」 女の子と話すのが苦手な僕ではあるが、今に限ってはそんなことをいってはいられない。 「しかたないか。きみに嫌な思いもさせられないもんね」 「ちょっと待ってて。今用意するから」 避雷傘を大急ぎで設置する。これも、地面の下に雷を逃がす仕組みで作られた傘だ。万全とはいかないまでも、裸同然でいるよりははるかに安全といえる。 「さあ、こっちに。ちょっと狭いけど、そこは勘弁してよ」 僕の手招きで、彼女は傘のなかに入った。 「へーえ、準備が良いんだね」 「本当は、バス停の近くに避難場所があるから、そこまで行ってもらった方がいいんだけど」 「いいよ。ここにいたい。きみともう少し話してもみたいし」 そういわれると、無理に避難場所へ行けともいいにくい。 「ねえ、きみはなんで、こんな場所で、あんなへんてこなカメラを使って、撮影しようなんて考えたの?」 「へんてこってのはひどいな。まあ、見た目はたしかに変わってるだろうけど」 説明し出すと長くなる。かといって、彼女を放っておくわけにもいかないだろう。僕は小さなため息をついて、自分の目的について話しはじめた。 「へえ、すごい。雷の光を利用して撮影するんだ。きみって発明家かなにか?」 「そんな大げさなもんじゃないよ。あの装置だって、ほとんど親父に手伝ってもらって作ったんだし」 「そうなんだ。でも、そういうことを考えつくってこと自体がすごいってわたしは思うな。それに、思いついても行動に移すのって大変じゃない。すごい人だよ、きみは」 彼女はしきりに、すごい、すごい、と繰り返す。目が合うのがどうも照れくさく、僕は自分が設置しているカメラのほうばかりを向いていた。 その時、一瞬の閃光がはしり、少し遅れて雷鳴が轟いた。間隔は秒数にして8秒。そう遠くない。いつ僕が設置したカメラに雷が落ちてもおかしくないといえた。 「雷だね」 彼女がしばらくしていった。 「うん、今から避難所にいくのはかえって危険かもしれない。止むまでここでまっていたほうが良いと思う」 こうして、僕と彼女は雷のなか、ひとつの傘のしたで一時を過ごすこととなったのだった。 「今まで何回撮影には成功したの?」 「一度も」 「え? 一度も成功してないの?」 「ああ、夏休みに入ってから毎日ここにやってきてるんだけどね。残念なことに今のところは全敗、ボウズつづきだよ」 「ボウズって?」 「だから……、成果ゼロってこと」 「そういうことか」 「そういうこと」 空が黒い雲に覆われ、風が強まり、雨が降ってきた。カメラのレンズには一応雨除けをつけているが、本降りになってしまうと、被写体が綺麗に撮れないおそれがある。撮影は、ある種の奇跡待ちとさえいえた。 閃光と雷鳴が幾度と繰り返される。それらの時間差によってある程度雷の位置が推測できるが、こちらから雷の真下に向かっていけるわけもない。ただ、向こうがこちらにやってくるのを、ひたすら待ち構えることしか僕にはできないのだ。 「なかなか、落ちないね」 「うん。でも、もう慣れっこさ。あとは根気との勝負かな」 「根気か。わたしには縁遠い言葉だな」 そういう彼女の横顔を、ちらり横目に見る。じっと、僕が設置したカメラを見つめているようだが、もっと遠くのものを見つめているようにも思えた。人の心をのぞき見しているようで、言い知れない後ろめたさのようなものを感じてしまう。 「きみは、本当はここで何をしようとしていたの?」 気づいたときには、そんな質問を口にしていた。いっそ口にした方が、気が楽になると思ったのかもしれない。 「雷に打たれてみようと思って」 そういって、彼女は顔をこちらに向けた。あらためて見ると、白い肌と、左目の下にあるほくろが印象的だった。肩まで伸びた髪も、そのまま伸ばしただけといった感じだ。あまり外見に気をつかうタイプではないのだろうかなどと邪推してしまう。 「死ぬ気だったの?」 「どっちかな。本当はよくわからない」 「自分のことなのに?」 「うん。自分のことだからわからないことってあるでしょ? そんな感じだよ。わたし、病気なんだよね。だから、一度雷に打たれたら治るんじゃないかなって思って」 「リウマチが治った、なんて話は聞いたことがあるけど、眉唾じゃないかなあ」 「いわれてみれば。でも、全身がビリビリーッてなれば、なんだかすごいことが起きそうじゃない? そういうのに賭けてみようと思ったの、かな。それで良くなれば生きていけるだろうし、雷のショックで死んじゃったら、それもまた仕方ないって」 「そんなに重い病気なんだ」 「そう」 踏み入り過ぎただろうか。深刻な問題に立ち入るには、僕はあまりに言葉を持たないし、なにより彼女という人を知らない。別の方法を考えたほうが良いといったところで、もし現代の医療ではどうしようもない病気だったなら、むしろ彼女を追い詰めるだけではないのか。 「でもさ、今はきみの自由研究の方に興味があるから、わたしのほうは、ちょっと先に延ばしにするよ。最終のバスが来るまではここにいることにする」 「なんだ、きみもこの町の人だったのか」 「そりゃそうだよ。朝一番のバスでここに来たんだ。なんだと思ってたの?」 「なにって、なんだろう……」 僕が返答に困っていると、彼女はアハハと快活に笑った。 どれくらいの時間がたっただろう。遠くのほうで何度となく落ちる雷と、目の前のカメラを見守りながら、たわいもない話をつづけていた。好きな食べ物、映画、本やマンガの話。学校の話に一度もならなかったのは、彼女がその話題を振らなかったからだし、彼女がそうしないかぎりはこちらから聞くのはよそうと僕が思ったからだ。なんとなく、それが良いと思った。 「落ちないね、雷」 「うん、落ちない」 「どうしたら落ちるかな」 「どうしたら落ちるだろう」 「祈ってみるとか」 「誰に?」 「そりゃ、雷様によ」 「雷様って、あの雷様?」 「そう、変な太鼓を担いだ、鬼みたいなの」 「まあ、積乱雲のなかにある氷の粒に祈るよりは良いだろうけど」 「でしょ? さあ、祈って」 「うーん、なんだか、心がこもってない気がする。僕は信心深くないから」 「じゃあ、わたしが祈るよ」 「どうぞ」 「あ、もっといいこと思いついた」 「なに?」 「お供えものするんだよ」 「それは良いけど、なにを供えるの?」 「おへそ」 「へそ?」 「だって、雷様の好物でしょ?」 「へそを取られるとは聞いたことあるけど、好物なのかなあ」 「そうだって。わたしが出してみようか、おへそ」 「それはいいけどさ。きみって――」 「わたしって?」 「でべそなの?」 彼女は一瞬押し黙ると、手のピンと伸ばし、 「なんでやねん」 と僕の頭にチョップを入れた。 その瞬間である。目の前が激しくスパークし、それと同時に空が割れんばかりの轟音が鳴り響いた。彼女のチョップの威力をものがたっているのではない。今視線の先に、僕が設置したカメラに、雷が落ちたのだ。 「きた! やった!」 僕は勝ち誇るかのごとく両手を掲げ、大声で叫んだ。 「落ちたの? 雷が? 本当に?」 隣にいる彼女も、ようやく事態を飲みこんだのか、声を荒げる。 「ああ、やったよ。僕はついにやったんだ」 「すごい、すごい!」 「ちょっと待ってて、今、カメラを持ってくる」 僕は大急ぎでカメラのもとへと駆けよる。 「ん?」 途端によぎる不安。落雷の衝撃のせいか、固定したカメラが三脚や避雷針から伸びるコードから外れて、地面に転がり落ちていた。ランプは点灯しているから、壊れてはいないのだろうが、果たして撮影はできたのだろうか。僕はカメラを拾い、今度はゆっくりと避雷傘のもとへ歩いていく。 「どうだった?」 興奮気味の彼女が、僕の横に立ち、カメラの液晶画面を覗きこむ。 僕は緊張気味に撮影済みファイルの欄を開き、最新の写真を画面に開いた。 そこには、この町が普段とはまた違う一面を見せた、素晴らしい一枚の写真があるはずだった。タイトルは撮影する前から決まっていた。雷光の町。僕がこの夏休みのほとんど全てを費やして撮ろうとした青春の一枚だ。 しかしそこには、眩いフラッシュに照らされ、大きな傘のもと、女の子に空手チョップをされている、間抜けな男の写真が写っていた。 「ありゃ?」 彼女は、なんじゃこりゃ、という意味を込めていったのだろう。 僕も激しく同意する。 そして僕は、その場にただ呆然と立ちつくし、最後の気力をしぼって、そりゃないぜ、とつぶやいた。
僕と彼女は最終バスに乗って、山を降りている。ふたりで一番後ろの席に陣取り、今日の反省会のようなものをしていた。 「それにしても、急に笑いだすから怖かったよ」 彼女のいうとおり、僕はあの後その場にうずくまると、わけのわからない可笑しさに、腹を抱えて笑い転げた。彼女は僕がおかしくなったのではないかと、真剣に心配したらしい。 「もう、人間あそこまでくると、笑うしかないって今日学習したよ」 「でもさ」 そういって、彼女はもう一度カメラを手にし、あの写真を覗きこんだ。 「わたしはこの写真好きだよ」 「じゃあ、今度プリントしたものを渡すよ」 「本当? やった!」 「何か連絡先を教えてくれる?」 「わたし、携帯持ってないんだ」 「へえ、今時珍しいね。でも、実は僕も持ってないんだ」 「じゃあ、またあの場所で会えない?」 「ああ、あそこで会おう。僕はまだ目的の写真を撮れてないからね。明日も明後日も、この夏休みが終わるまではあそこにいくつもり。ただ、その時はちゃんとした恰好で来てくれよ。それだけは守ってほしい」 僕はそういって、今は畳まれている絶縁体スーツを指さした。 「わかった。暑苦しいからそのスーツって嫌いなんだけど、それくらいは守るよ」 「あと、できれば雷に打たれようなんていわないでほしい」 「うん。そうだね。当分はそんなこと思わないと思う」 「病気は大丈夫?」 「うん。死に至る病とは、しばらくお別れかな」 「なんだか怖そうな病気だね」 「でしょ。でも、自分からなにかを始められたなら、それをおそれない気持ちがあるなら、どうってことない病気なのかもしれない」 「それはなにより」
僕と彼女は、バス停で別れ、それぞれの帰路についた。 楽しい一日のあとは、自宅に近づくほどに湧いてくる現実感が嫌になる。 今年三度目になる市長選の選挙ポスターが破られ、濡れた地面に張り付いている。 呪われた町、捨てられた町、針山の町。そう、確かにここはそんな場所だ。でも、だからこそ、ここに生きる僕は、この町の別の一面を切り取りたいのだろう。 カメラを手にし、電源を入れて、もう一度あの写真を見てみた。 相も変わらず滑稽な男の間抜け顔が写っている。 雷光の町、ではないけれど、彼女のいうとおり確かにこれはこれで良い写真なのかもしれない。これもまた、この町に生きる者の、人生の一ページには違いないのだ。タイトルをつけるなら、稲妻チョップ、というところか。滑稽なようで、一度つけてみると、これ以外にはないタイトルだと思える。彼女は気に入ってくれるだろうか。そう思って、自分があの子とまた会える瞬間を心待ちにしていると気づく。まだ、互いの名前も知らない仲だけれど、それはこれからまた教えあえばいい。僕たちはまだ出会ったばかりなのだから。 そう、僕と彼女は、確かにこの町で出会った。
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