Re: 即興三語小説 ―GWはありましたか?― ( No.4 ) |
- 日時: 2013/05/02 21:20
- 名前: zooey ID:10f9g/u6
カーショ、カーショ、カーショ、カーショ。柔らかい金属を軽く叩くような音が、静寂の中で響く。ステップを踏むみたいに軽快だ。寸分のくるいもなく、一定のリズムを踏んでいく。カーショ、カーショ、カーショ、カーショ。 そう、時を刻む懐中時計の音は、常に同じリズムを保っている。彼が幼い子供だった時分から、ずっと。 彼は音を聞きながら、布団の中で寝返りを打つ。どうも床の中の体勢が定まらず、心地が悪い。そんな時に、頭が止むことのない柔らかな金属の音を捕まえてしまった。薄く、脳味噌の周りに漂っていた睡魔が、煙のようにふっと消えた。眠気の霧を突き抜けたその音は、一定のリズムで、鋭く頭に響き続ける。 眠れそうになく、気付かぬうちに、彼の意識は音の後を追いかけていた。ただひたすら、聞こえた音を、頭の中でなぞっていく。一定のリズムを。しばらくそうしていると、ふと、妙な感覚が脳裏をよぎる。 時計が刻む「時」は、こんな風に一定だったろうか。 その考えに当たってすぐ、彼の頭に別の言葉が浮かんでくる。まるで、二つの言葉が紐か何かで繋がっているみたいに。 時間は、禿げで老いぼれの詐欺師なんだ。 この妙な喩をしたのは誰だったか? たぶんイギリスかどこかの、昔の詩人だろう。そいつが誰であれ、どうでもいいことだ。しかし―― この喩を知ったのは、おそらく大学時代だ。何十年も昔。彼は英文学科の学生だった。当時は、言葉の真意が分からず、それでも――いや、それだから、魅力的に思った。ちょうど、卵と鶏のどちらが先か、という答えようのない問いが、不思議な吸引力を持つように、魅惑に満ちていた。 しかし、今はその言葉の正体がはっきり分かった。イギリスの詩人がどういう意図で言ったかなど、関係ない。一瞬にして、彼の脳はその言葉を、咀嚼し、呑み込んだ。そして彼の内奥にある醜も美もぐちゃぐちゃに混ざり合った魂に、すっと溶け込んできた。 詐欺師は「時」がたっぷりあると見せかける。少年期、無数の輝かしい「時」が彼を囲んでいた。彼はその一つ一つを捕まえるように、飛び回り、それでも「時」は溢れていた。青年期には、彼を囲む輝きは、ぐる、と暗く、重く、じめりとしたものに姿を変え、前途に影を落とした。永遠に苦しみが続くものと思わせた。心に痛みを感じながら、それでも暗闇から飛び出そうと遮二無二なった。しかし、どうあがいても少年時代のような輝きは、取り戻せなかった。働き始めた時は、その苦から抜け出したようなそうでないような、中途半端な状態だった。それからは、忙しさにかまけて、青年期に感じた精神の痛みなど、忘れてしまった。ただ、ただ、仕事をした。働いて、働いて、働いた。そして、ふっと気が付いた。自分が禿げた老いぼれであることに。たっぷりあったはずの、永遠に続くはずの「時」は、まるで手品のように、布をさっとまくり上げた時には、なくなっていた。 懐中時計の裏側には、子供の頃母が書いてくれた「青柳」という彼の姓が、はっきり残っている。その時から、変わらぬてらてらとした光沢を湛えて、同じリズムでステップを踏むように、「時」を刻む。様変わりしたその周囲のことなど、気にも留めないように。そして、この詐欺師はまだ何か企んでいる。そう彼は思った。時がたっぷりあると見せかけ、奪い去った後、その残された僅かの時間を、スローモーションで進めていく気だ。彼には、もう分かってしまった。 カーショ、カーショ、カーショ、カーショ。 彼は、まだまだ死ねない。
---------------------------------------- 久々の三語です。 大体一時間くらいで書きました。 よろしくお願いします。
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