Re: 即興三語小説 ―「火山島」「音信不通」「神髄」 〆切を6/10に延期します ( No.3 ) |
- 日時: 2018/06/09 23:06
- 名前: ナカトノ マイ ID:.iHyBUuc
書き上げるのに60分以上かけてしまいましたが、投稿します。
どこかの火山島が噴火した。何気なくテレビを付けるとそんなニュースが流れていて、私の耳の奥では、ぼんやりと、彼の言葉が蘇ってきた。 「僕はさ、山へは畏怖を感じていたけれど、それ以上に人って恐ろしいものなんだって、今日、思ったんだよ。」 それは、山岳信仰を語る、彼らしい言葉だった。彼は何を思ってそう言ったのだろうか。彼の言う「人」には私も入っていたのだろうか。色々考えてしまうけれど、彼とはもう連絡を取っていない。しかし、日常生活のふとした瞬間に、彼のことが思い出される。彼がこのニュースを見たら何を感じるのだろうか、と意味もなく思いついて、私は過去からその答えを探し始めた。
彼と私は高校3年生の5月頃、席替えで隣の席になった。その席が決まるや否や、他の女の子たちが私の元へ来て「頑張ってね。」「可哀想に。」などと、私を哀れんでは声をかけてきた。初めはよく意味が分からなからなくてただ戸惑っていたが、後からそれが、彼と隣の席になってしまったことへの慰めだったのだと気づいた。 彼は所謂「陰キャラ」と呼ばれるような人だった。この呼び方は便利だけど、差別的で、でもその通り、彼はほとんどのクラスメイトから距離を置かれていた。私は彼に、あまり目立つ人ではない、といった印象しか持っておらず、実際はどんな人物なのか全く知らなかった。それだから、なんて失礼な女子達なのだろうかと思ったけれど、そうやって善人ぶっておきながら、私はすぐに彼と隣の席である現実を呪うことになった。 ある日、倫理の授業を受けているときだった。彼が妙にそわそわし始めたのが視界の端で分かって、どうしたのだろうかと思った。 彼の反応を見ていると、どうやら先生が板書した人物の名に反応したようで、彼は1人で何かをブツブツ呟き始めた。そして先生が「隣同士で話し合ってください。」と話し合いの場を設けると、彼は私に、堰き止めていた水を一気に流し込むかのように、その板書された人物についての思想や逸話などをベラベラと語り始めたのだ。 「二コマコス倫理学は読んだことがあるけれど、あれは面白いよ。アリストテレスの神髄に触れることができる。君も読んでみなよ。」 具体的な内容は覚えてないけれど、最後にそう言っていたことは何故か覚えていて、なんとなく宗教の勧誘みたいだな、当時の私は思っていた。 彼の声は小さく、だけど早口だったから、周りが騒がしいと何を言っているか分からなくて、適当に相槌を打つことが度々あった。さらに彼は哲学や思想が好きで、まるで知識をひけらかすようにマニアックな話ばかりをするから、私は内容をてんで理解できなかった。そんな彼の不遜な態度が周囲を不快にさせていたのだ。私も初めこそ真面目に話を聞いていたけれど、だんだん嫌になってきて、終いには、早く席替えをしないかな、と考えるようになっていた。 しかしある休み時間のことだ。その時間は世界史の授業を受けた後で、相変わらず彼は私にご自慢の知識をペラペラ語っていた。その時にはもう私はほとんど話を聞かなくなっていて、適当に相槌を打ってやり過ごすようになっていたのだが、その日は珍しく、彼が私に質問をしてきたのだった。 「中山さんは、世界史は好き?」 突然のことでとても戸惑った。いつも一方的に自分の話しかしない彼が、私に質問するだなんて!そう驚いた。今思えばその時の私も大概失礼な人間だったと思う。とにかく私は返事をしなければと焦った。 「うん。中国史とか面白いよね。三国志とか好きだよ。」 そこまで言って、はっとした。中国史が好きなのは嘘ではなくて、そのために大学に進学をしたくらいだから何もまずいことは言っていない。しかし、自分の趣味はあまり人に知られたくないと思っていた私は、無駄なことまで話し過ぎた、と感じたのだ。それを聞いた彼を見ると、それまで見たこともないくらい明るい笑顔をしたいた。そしたハツラツとした声でこう言ったのだ。 「僕もだよ!中山さんも好きなんだね。嬉しいなあ。」 それからというもの、彼は暇があると私に世界史の話をしてくるようになった。世界史の話なら私も多少受け答えができたから、彼は以前1人で喋っていた時よりも楽しそうだった。多分その時から私は、彼に同志として認識されたのであろう。 なんだか面倒なことになってしまったなと思っていたが、一方的に話を聞かされるのとは違って、自分が話をできるようになってからは、彼との会話も悪くないと感じた。世界史の話で盛り上がれるような友達はいなかったから、自分の趣味について遠慮なく話せることが嬉しかったのだ。彼は自分の好きなことを好きなだけ話すから、それでやはり嫌な気分になることもあったけれど、私もその分、負けないくらいに好きなこと喋った。お互いに気を使うことがなくて楽だった。しばらくして私たちは、趣味以外の他愛のない話もするようになった。その時には彼への印象はかなり良くなっていて、彼はよく自分の話をしたがるところはあるが、他人の話もしっかりと聞けるし、よく気を遣える人だということも分かった。仲良くなってくると、私たちは連絡先を交換して、携帯でもやり取りをするようになった。 彼の山岳信仰の話を聞いたのはちょうどその頃だった。確か何かの流れで将来の話になって、そこで初めて彼が進学を目指す理由を聞いたのだ。メールでのやり取りだったから『明日詳しく聞かせてよ。』とメッセージを送ると、『オッケー^ ^』と嬉しそうな返信が来た。そして次の日になると、 「中山さんが興味を持ってくれるなんて!嬉しいなあ。」 と言って、山岳信仰について教えてくれた。山岳信仰は、山を神聖なものとする自然信仰の一種らしく、それを研究したくて彼は大学を目指しているらしい。彼のおじいさんがそういった思想を強く持っているそうで、その影響だと言っていた。 「信仰対象は沢山あって、水源としての山に対してだったり、火山に対してだったりするんだ。他にも色々。」 彼の山岳信仰に関する話は、いつもの哲学や、世界史の話をするときよりも熱が入っていた。そんな彼を見て、もしかすると、彼が哲学や思想の話を好むのは、宗教に熱心だからで、私が考えている以上に、彼は山に対して深い信仰心があるのではないかと思った。ただそう考えると、何だか少し不安になった。そういったものに無縁だった当時の私は、宗教に対して偏見があり、あまり良いイメージを持っていなかったのだ。勝手に私が不安がっていると、彼はこんな話をし始めた。 「かつて、山は女人禁制だったんだ。」 彼がそう言ったのを聞いて、少し、どきりとした。 「女の人は入れなかったってこと?」 「そうだよ。」 「何で?」 私は反射的にそう尋ねた。するといつもより声高らかな彼は、こう言った。 「何でって?女性が穢れたものだからだよ。」 ——思わず、固まってしまった。そして「は?」と間抜けた声が出てしまった。その時私は、聞きたくないことを聞いてしまったと思った。 「何それ。」 そんな私の反応を見て彼は、少しキョトンとして、それから、あっと小さく声を上げると、焦って申し訳なさそうな顔をした。 「ごめん。誤解しないで」 彼がそう言いかけたところで、私の斜め前の席から鋭い声が飛んできた。 「女性差別?」 声のした方へ顔を向けると、クラスの中心的な女の子の水谷さんがいた。彼女は明らかに不機嫌な顔をしていた。 「最低だね。」 彼女は強い言葉で彼を突き放した。彼は小さな声で、何かを言っていたが聞こえなかった。そしてそんな彼に追い討ちをかけるように、彼女はこう言い放った。 「そんな話ばっかりで、中山ちゃん、嫌じゃないの?」 何故そこで私が出てくるんだろう、と単純に思った。はっとして、彼の方を恐る恐る見ると、彼は少しうつむいて、黙り込んでいた。 「私は、別にそんなことないよ。」 私がそう答えると、水谷さんは難しい顔をして、 「本当に?」 と聞き直してくた。そんなこと、聞かないでほしかった。彼女の視線が真っ直ぐで、耐えられなかった私はポロリ、 「本当はちょっと、怖かった。」 と言葉をこぼした。
確か、そこでチャイムが鳴って、会話は途切れた。それからは気まずくて、私たちは一切口をきかなかった。しかしその日の夜、彼からメールが来た。 『今日はごめん。』 直接言えばいいのに、と思った反面、私は彼からメールが来たことにとても安堵した。私はすぐに返事を返した。 『そんなことないよ。誤解だったんでしょ?』 少し遅れて返信が来る。 『うん。昔は女性に対して差別的な考え方があったってだけで、今は無いし、僕も差別はしてないよ。ただ、誤解させるような言い方をしたことは、嫌だったよね。ごめん。』 『私は気にしてないよ。』 そう返信すると彼は短く、 『うん。』 とだけ返事をした。 何の「うん。」か分からなかった。私にそれは「う」と「ん」と句点にしか見えなくて、遠距離での会話で表情が見えないことを、もどかしく思った。私が彼への返事を考えていると、それより早く彼からのメッセージが届いた。 『もう馬鹿みたいに話したりしないから。安心してよ。』 その文面はなんだか別れ話をしているみたいで、私の心臓は大きく、どくん、と跳ねた。 『私は2人で話すの楽しいよ。』 私は勢いでそうメッセージを送った。その言葉は自分の率直な気持ちだった。今後も今までのように彼と付き合っていくつもりだった。しかし、彼は違った。 『でも、嫌だったんだろ?そうならそうと言ってくれれば良かったのに(笑)。気を遣ってくれてありがとう。おやすみ。』 その文を読んで、気づいたら私は彼に電話をかけていた。コールが3回くらい鳴ってから、彼は電話に出た。 「もしもし。中山さん、どうしたの?』 電話越しで彼の声を聞くのは初めて、なぜか少し緊張した。 『私は、本当に気にしてないよ。なんでそんな…。』 私は次に言う言葉を見つけられなかった。ただ、今の状況は良くなくて、漠然とここから抜け出したいと思った。でも何をしたら良いのか分からなかった。私が沈黙すると、彼はゆっくり、と言っても十分早口だが、彼にしては落ち着いた声でこう言ったのだ。 「なんでって?僕はさ、山へは畏怖を感じていたけれど、それ以上に人って恐ろしいものなんだって、今日、思ったんだよ。それだけ。じゃあ、おやすみ。」 ブツリ、と彼は会話を終わらせてしまった。耳元には、彼の言った、ジャミジャミした機械越しの皮肉が、薄く残っていた。私は悲しくなって、もしくは怒りで、泣きそうになった。 それから私と彼は、必要最低限のことしか話さなくなった。しばらくすると席替えがあって、私と彼は席が離れてしまった。彼は他の人にも同じような態度で、もう自分の趣味の話を語らなくなってしまった。それが良いのか悪いのか分からないが、クラスの人達は彼が大人しくなったと内心で喜び、水谷さんを持ち上げた。水谷さんはそんな周りに、自分は言いたいことを言っただけだと、別に得意になることもなく、クールな対応をしていた。それが私にとってせめてもの救いだった。
時が流れるのは本当に早くて、私と彼はどうにもならないまま、受験を迎え、卒業式を迎え、今はもう、大学生になってしまった。 あれから彼は音信不通で、春休みに一度だけ「最近、元気?」とメールを送って見たけれど、彼からの返事はまだ来ていない。私の送った短い文章が放置されて、時間が経つにつれ、諦めの気持ちは次第に強くなっていった。 そして今日、実家に帰ってきた私は火山島噴火のニュースを見た。モクモクと煙を上げる島がテレビに映し出される。私は、あの夜電話で彼が言っていたことは、彼の怒りだったのだと、今更になって思った。この火山島のように、彼は怒った。そんな気がする。私は何も見たくなくて、テレビの電源を切った。 私は気持ちを紛らわせたくて、高校時代に繁く通った本屋へ行った。別に何を買うわけでもないけれど、取り敢えず「歴史」と分類された棚を探した。するとそこには先客がいて、そのことを確認すると、私はすぐに踵を返して別の棚へ行こうとした。 「中山さん?」 ふいに、そう声をかけられた。振り返ると、棚の前にいた人がどうやら私を呼び止めたようで、こちらに向かって近づいてくる。まさか、と思った。 「葉山君?」 「うん、久しぶり。」 そう言って少し戸惑ったような笑顔を見せるのは、彼だった。 「元気だった?」 彼は私にそう尋ねた。彼の声を聞くのはあの電話以来で、心なしか高校時代より声が大きくなったような気がする。 「うん、元気。葉山君は最近どう?」 「僕もそれなりに元気だよ。」 「そっか。」 私の中では嬉しさと気まずさが入り混じっていた。私は言葉に詰まってしまって、それを察してか、彼はゆっくりと口を開いた。 「あの時のこと、やっぱり怒ってる?」 少し、返事に困った。だけど私は正直に、 「ちょっとだけ。」 と答えた。しかし本当に怒るべきは誤解を受けた彼で、私ではないのだと思った。 「『怖かった。』って中山さんに言われて、恥ずかしいことだけど、僕はそこで初めて自分のことを反省したんだよ。」 「……そうなんだ。」 「ネガティブなことって考え始めると止まらなくてさ。僕はあの時、女性差別なんてしてないって言ったけど、刷り込まれて身についた思想のせいで、本当はどこか他人を差別したり、自分は他人より学があると勘違いして馬鹿にしていたり、していたのかなって、そうやって思ったら、人と話すのが恐くなった。」 「……。」 何を言えばいいか、分からなかった。彼がそんな風に考えていただなんて、思わなかった。そして私は、山岳信仰について話す彼を無意識軽蔑していた私に、そこで気づいて、どうしようもなく恥ずかしくなった。そんな私に、彼はとても優しかった。 「中山さんが良ければなんだけどさ。」 「……うん。」 「また、連絡してもいいかな。」 彼は少し吃りながら言った。 それは私にとって最高の救済だった。なんだかその言葉が、私のいちばん欲しかった言葉だったのではないかと思ってしまうくらい、嬉しかった。 「もちろんだよ。」 声が裏返ってしまった。顔が赤くなるのが自分で分かった。でもそんなことはどうでも良かった。止まってしまった彼との時間が、再び動き始めたのだ。そのことが私には何より嬉しかった。
|
|