ごめんな三語 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/07/23 23:25
- 名前: 片桐秀和 ID:HG2F1jOg
「こら、困ったなあ、わいの引き出しをいくら開けたところで、今回のお題にはお手上げや」 おむすびは顔をしかめて、パソコン画面をにらんでいた。左手に持った団扇がせわしなく動き、彼の熱を帯びた頭を冷やしている。それでも熱は冷めないのか、頭をかきむしり、襟元をつまんでシャツの中に風を送り込んでいた。 「あかんわ、今回の三語も、また失敗やろか」 そういって彼――おむすび秀和は、キーボードを打ち、打ち込まれた文章を消し、そしてまた打ち込むという行為を繰り返していた。 おむすび秀和は素人物書きだ。あえて「物書き」ということもないとするなら、たまに雑文や小説の真似事をしている一般人というべきであろうか。おむすびはネット上の小説投稿サイトに顔を出しており、自作の投稿や、月に何度か催されるイベントに参加する。今回のイベントは、提示された複数のお題の中からみっつを選びだし、小説を書き上げるという、「三語」と呼ばれるものであった。おむすびは、過去に何度もこのイベントに参加しており、時にはそこそこの作品を、それ以外の多くには駄作や駄作とさえも呼べないものを書いてきた。つまりは、優れた書き手には程遠いということだ。それでも、彼なりに佳作なり良作なりと仕上げてやろうという意気込みだけはあって、今回の三語にも、奮起して望んでいた。 おむすびの場合、三語の出来不出来は、書き始める前から決まっているといっても過言ではない。決められた幾つかのお題から、物語の核を見出し、それを他のお題と絡めて展開していく。それが彼の創作スタイルなのだ。そのため、書き始める前段階からある程度の勝算――すなわち物語の全体像が見えている場合は、いざ書き始める段になってもスムーズに筆が進み、とどまることなく完走することができる。たいして、全体像が見えないままに書き出すと、大概失敗する。すなわち、筆が止まり、その前の文章をなんどと触り、ただ時間だけが過ぎて、結果物語として成立していない、あるいは、作品として読むに耐えない作品になってしまうのだ。 「こんなお題でどうせえっちゅうねん」 おむすびの悲痛な独り言は続いた。 ちなみに今回のお題は、「怒涛の刺激」「いかそーめん」「下痢」「サーカス」「不浄滅却四肢切断無希望菩薩」「日焼けのはがれた黒皮」の六つであり、その中から三つ以上選んで作品を投稿せよとのことであった。 おむすびは考える。 まずA案として浮かんだのは、夏のある日、腐ったいかそーめんを食べて腹痛に襲われ、肛門への怒涛の刺激と戦いながら、下痢の日々を送る男の物語だ。却下だった。 続いてB案。近所にサーカス・腐ったいかそーめんがやってくる。それをみた観客は脳に怒涛の刺激とでもいうべき感動を覚える、というものだ。却下である。 さらにC案。「不浄滅却四肢切断無希望菩薩」を本尊に据える、「新興宗教いかそーめん」は、信者を得るべく、日夜サーカスを装い客を集め、そこで配る水に下剤をまぜて観客をすべて下痢状態にし、怒涛の刺激に苦しむ彼らに、聖者降臨という様相で教祖がセイロガンを配って回るというものだった。却下であった。 おむすびはあいもかわらず左手団扇をあおぎにあおいで、あーでもないこーでもないと呟いていた。 そんな時、彼に天啓が訪れる。 最後のお題、「日焼けのはがれた黒皮」に目をつけたのである。一見なんの変哲もない夏の出来事だが、日焼けという状態は、柔らかなものが強烈な刺激に晒されていることを示し、はがれた黒皮は、刺激に晒されてついには膜を失うという他の事物に投影可能な事柄をあらわしてはいないだろうか。そうだ。これだ。この路線で行こう。そこでいかそーめんで、下痢で、サーカスで、不浄滅却四肢切断無希望菩薩でって、やっぱり駄目じゃん。却下。
こうしておむすびの苦悶は続いたものの、ついに〆切時間を向かえ、彼は爆発した。
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たまにこういうの書いちゃいます。せめて描写をもうちょっと入れたらよかったかなあ。でも、たまになんで許してください。
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