帰ってきた裁判長シド ( No.3 ) |
- 日時: 2014/10/26 21:36
- 名前: RYO ID:w3y735Gs
良く晴れた午後の昼下がり、風は穏やかで、木々は揺れて、木漏れ日の下で睡魔におそわれる。この現実とも夢ともつかない狭間の時間。意識はゆらゆらと心の表層に上っては落ちていく。このまま深く無意識の中を漂う。現実の喧噪もしがらみも何もかも遠く離れて、夢うつつ―― 「やはり幻は幻か」 シドは嘆息する。目の前で繰り広げられるのは、意地汚い罵り合いだ。 ここは月面にある動物裁判所。とりあえず荒れる法廷になりそうだったので、穏やかな情景とまどろみを演出したかったが、どうやらそれは徒労におわったらしい。三百六十度、まさにその場にいるような錯覚を及ぼすプロジェクターをシドは切った。 人類の月への移住が常識になったころ、アニマルリンガルの発明により、動物たちは言葉を覚え、種族間を越えてコミュニケーションが可能となった。コミュニケーションは急速に動物たちの知性を高め、権利意識まで主張させ、時としてそれはヒトとの争いを生んだ。その争いを収めるために作られたのがこの動物裁判所である。シドはこの月面動物裁判所の長であり、白い毛並みの美しいペルシャ猫だ。今日の法廷もヒトと動物の仲裁である。ちなみに、今回の動物はシドと同族の猫だった。雄の雑種で、名前をヒデといった。 「おまえ、俺が楽しみにとっていたサンマの蒲焼きを食べただろ!」 今にも飛びかからんとする勢いでヒデが叫ぶ。 サンマ――まさに今が旬だ。猫の好物でもある。はて、猫の好物が魚というのは、いつの時代に刷り込まれたのか? お魚くわえたドラネコのせいというのが、猫たちのもっぱらの常識ではあったが、猫だからといって必ずしも魚がごちそうとは限らないのだが、このヒデはとりあえずサンマが好物だったのだろう。食べ物の恨みとは、恐ろしいものだ。動物たちしてみれば、先の時代まで死活問題であり、動物たちがヒトの食文化にふれてからは、別の問題を生んだ。身も蓋もない言い方をすれば、味を覚えたのである。動物たちが――。 「そもそも猫なんだから、キャットフードでいいでしょう」 飼い主の、いやここは同居者というべきか、とにかく奈美子はそう答える。ヒトとして当然の主張である。奈美子はまだ若く二十歳そこらで、野良だったヒデを半年ほどまでに拾ったのだった。 「これだから食い物のことがわからないヒトは困る。キャットフードが問題なのではない。サンマの蒲焼きが食えなかったことが問題なのだ! 分かるか、楽しみにしていたものが食べられなかったこの悔しさが! 貴様に分かるか!」 ヒデが毛並みを逆立てて怒りを露わにする。 「何よ! 私がいなければ味わうこともできないくせに、偉そうなことばかり言わないでほしいわね」 奈美子も負けていない。「こんなことなら、拾わなければ良かった」と小声のつぶやきが聞こえてきたが、シドは聞こえないことにした。 「いちいち、言葉の揚げ足を取っていては審理が進まない。それにしても、最近この手の審判が増えたな」 シドは柿渋色の法廷から、美奈子とヒデを見下ろして、独りごちる。動物たちは食べ物の恨みを口にし、ヒトはなぜ食べさせないといけないのかと不満を口にする。ペットとしての扱いが動物における基本的尊厳の権利として禁止されて早百年。未だにこの問題は根深い。ヒトと同様の権利のある主体としての動物が認められことによって、法の下では平等となった。 「現実はどうだ? 結果、ヒトが動物の世話をする義務はなくなり、動物は権利ばかりを主張し、この世の王にでもなったような有様だ」 自身の尊厳を保守するために、ヒトとの共存を拒み、野生に帰っていく動物も数知れなかったし、ヒトも動物を対等の存在を受け入れることはなくなり、距離を置く者も増えた。もちろん過激に排斥するようになったヒトも増えてきている。 これが環境問題ではなく、社会問題と語られるようになって初めて、社会の中に動物も含まれたことを実感したものだが――。 「これが目指したものではなかったことは確かだな。醜い」 相変わらず罵り合うヒトと猫を見ながら、シドは嘆息した。 「そろそろいいかな」 シドが低く口を開くと、はっと我に返るヒデと美奈子。 「これまでの、双方も言い分を聞いていても、どうも、和解することは難しいように思うのだがどうだろうか?」 シドの言葉に、思い沈黙が流れた。 「裁判所としての判断を、もうこの場で伝えようと思う」 驚いたように奈美子とヒデがシドを見るが、シドは意に介さない。これ以上、この不毛な争いを続けることは双方にとっても損害を生む。 「意見がないため、同意がされたものとして、話を進めます。まず、原告のヒデ」 わずかながらヒデの方を向いてシドは続ける。「原告は猫である。猫であるなら、猫並の生活を送ることが必要ではないか? 原告が求めはその猫並の生活の範疇はやや越えているものと考える。猫として人並みの権利を主張するのであれば、それ相応のスキルを身につける必要がある。もし、それを望むのであれば裁判所として、訓練所を紹介しよう。動物とはいえ、努力もせず権利ばかりを主張することは、ヒトとの生活に軋轢を生むしかないと知りなさい」 シドが諭すように述べると、ヒデは一瞬はっと息をのみ、頭を静かにさげていった。 「さて、被告奈美子。今回は我が同胞が迷惑をかけた。動物とともに生活することはそれなりの大変さがあったように思う」 シドはそこで一度言葉を止める。美奈子はややほっとしたような表情を浮かべる。 「が、だ。今一度問う。動物と寝食をともにする覚悟が、被告にあったのか?」 シドが冷たく美奈子を一瞥する。美奈子は思わず息をのむ。 「もしそれがあったのなら、このような事態には陥らなかったのではなかったのか? よりよい関係を築くことができたように思われる。よって、美奈子には裁判所の構成プログラムを受けること提案する」 美奈子がヒデを見る。ヒデも美奈子を見る。 「これは裁判所からの提案であり、双方がよりよい関係を作っていくためのものである。もしも、提案を拒むのであれば、命令としての別の措置を命じる可能性があること付け加えておく。お互い自分のことばかり主張していても、つまらんだろうに」 シドをそれぞれをもう一度見つめてから、閉廷を告げた。
「やれやれ最近はくだらない案件が増えてきたものだ」 裁判所近くの鮨屋のカウンターでミルクを飲む、シド。グラスには水滴がまとわりついている。 「動物として食い意地がはるのは分かる。だったら、自分で稼ぐしかないじゃない。それをいつまでヒトの世話になるつもりか。人並みの生活を主張するなら、人並みのことができるための努力をしないといけないというのに、そんなこともわかっていない連中が多すぎる、なあ大将」 シドはミルクを器用に前足でつかみあげて、ぐいっと飲み干してみせる。 「旦那くらいですよ。うちで普通に飲み食いできる猫は」 握りながらヒトの大将が苦笑している。 「ふん。われわれ動物が人並みの生活するか、その種なみの生活を営むか。野生に帰ること、ペットに戻ることも選択の一つだろうが、やはり進歩したいじゃない。ヒトだって、我々の合うよう道具の開発んい躍起というのに。先が思いやられるな」 「旦那、飲み過ぎですぜ」 「ミルクで酔っぱらうか。こんちくしょうめ。あんな案件はさっさと当事者で解決しちまえばいいんだ」 シドが管をまきながら、月面の夜は更けていく。
------------------------------------------------------------------------- 3000字くらい。もっとある気がしたんですけどね。 2時間くらいかな? 前回投稿できなかったので、その分のお題もあったりします。
久しぶりにシドちゃんを書いてみました。コミカルなところを書きたかったけど、あえて裁判ものにしてみました。 そもそもこの世界設定って無理があることを思い返しました。
シドちゃんは書くのは楽しいので、また三語でかくかもね。 相変わらず、描写がないな……
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