Re: 即興三語小説 ―どうでもいいゴシップは平和の証― ( No.3 ) |
- 日時: 2013/06/14 20:33
- 名前: 雪国の人 ID:RNPzAeUk
シンプル
小学生だった頃など、全校ミーティングで校長先生の長い話を聞きながら欠伸をかみ殺したような思い出は誰にだってあるものだ。 つまり、と、ネオンの瞬く繁華街を歩く中年男は思う、つまり道行く人々は、みんなそんなような子供の頃の自分の思い出に何かしらのコンプレックスがあって、……あるいはその逆かもしれないが……(自分のことはよくわからない)……まだこうして、両親からもらったままの体、生身の肉体を捨てずに、しかし健康や長寿等にはさほど興味を示さず、夜毎のように酒を飲み、煙草をふかしている。中年男はムッとするきらびやかな熱気の中を黙々と歩く……人ごみ、汗をかいた人間の体臭……様々な味付けのソースや、汚いもの、何かの焦げたような臭い、ざわめきと、遠く、自動車のエンジンの音や、一体何か判別のつかない甲高い音、金属音のような……? 二十世紀の頃から、こんな風景は変わらない。 中年男はその夜に予定されたコースの半分程度を消化し終えると、立ち止まった。手のひらサイズのスマートコンピュータ(スマコン、であるが、通例的にはこれもパソコンと呼ばれる)へ今夜のたった今までの記憶を頼りに文章を書き込んでいく。 「○○市○○町通り……○○駅前の○○から○○までを歩き終えて……」 中年男はすれ違った人々の姿を思い出している。みな大なり小なり酒に酔って、笑っていたり、ふさぎ込んでいる様子のものもいたり、複数人のグループや、一人のもの、ノースリーブの現代風のシャツや、クラシカルな女性用ブラウス、青灰色をした作業用つなぎ(……これもやや時代遅れに見える)、髪の毛を短く刈り込んだ若い男もいれば、まっすぐ歩くのもおぼつかないような老人もいて、無論、女もいた。化粧の濃い女、それとは反対に、どす黒い人相をしたような女もいたし、年齢も様々。ただ遠隔腕足の人間の姿は……思い出せない……おそらく一人ともすれ違っていないのだ。この場所は生身の人間のテリトリーで、時間帯もそうだ。 中年男はWWWにパーソナル・ログを持っていて、たった今、そこへ本人の手により文字を書き込んでいるのである。その内容は変質的であり、(現代社会の常識を考えれば、生身の人間が本人の生の意思によって文章をWWWに書きこむこと自体がきわめて変質的といえるが……それはそれとして……この場合、内容が幼稚で、かつ開き直った下劣さの印象というものを見るものに与える。パーソナル・ログの管理者としての中年男の名前はおっぱい専門官といい、道行く人々、すれ違った生身の他者の背格好を思い出しながら中年男の手によって書き込まれるログの内容は、実直にそのパーソナル・管理者・ネームに則しているといえる……)中年男は高揚した気持ちでパーソナル・ログへの書き込みを終え、パソコンをズボンのポケットへ戻す。先ほどまでに歩きながらすれ違った女達の胸のふくらみについて、中年男の心にはもう興味の残りかすくらいしか残っていない。(たった今の男にとっては、パーソナル・ログの文章がより大切なのである……。満足感は何物にも勝るのであるが、……長続きはしない。男は次第にやる気を取り戻して、歩き始めることを考える) そうして中年男は夜の散歩を再開した。蒸し暑い夜であった。何時間も前に日が落ちてから、しかし気温はほとんど下がっていないようであった。というのも、地球温暖化の影響が何かというのが騒がれ始めて以来、世界中の平均気温は年々上がってきているようだ。ただ現在、それに伴う問題、……問題というほどの問題が男の耳に聞こえてきたことはなかった。蒸し暑いとはいっても……特にこの時間帯など、遠隔腕足の健全な大人達は自宅で眠りについているのである。それに加えていうならばすれ違う女達は一様に薄着で、このことはむしろ、男の趣味にとっては好都合であった。 「女の体を観察するのと、パーソナル・ログに文章を書くのと、どちらがいったい、俺の趣味の比重という意味では、俺にとって重要なのであろうか。……もしかして、女の体を観察するのは遠隔腕足でやればより効率よく、俺自身の視覚と腕と指の生の筋肉をパーソナル・ログの更新へ没頭させられるのではないか……?」 それは中年男にとって、何度か考えた問題であった。現代社会において、人々は日常生活を営むために遠隔腕足を用いている。最初に実行されたアイディアは牧歌的であった……とある大企業の社長が、とある高層ビルディングの最上階で、閃いたのであった……すなわち、脳の働きを電気信号に変換して電波に乗せれば、自分自身の腕……金属のモーターによって動作するシシオドシのような自分自身の腕によって、遠く離れた別の場所で、印鑑を押す業務を遂行できるのではないか、と。電波の暗号化技術はパッケージ化され、商品となって、時代とともに安価となって一般大衆へ広がっていった。現代の遠隔腕足とは、都市の隅々まで侵食しつくした毛細血管のようなものであるといえた。これはオーバーな比喩表現ではなかった。一般的な社会人は、本来持つ、生身の肉体は自宅で保管するのがふつうで、昼間、本人の行いを代行するパーソナル遠隔腕足を操縦し、社会生活を営み、人間社会の歯車の一部となって働く。ノンパーソナルである公共の遠隔腕足は社会の至るところに存在する……すなわちバス、タクシー、エレクトロ・カーの改札や、ビルディングの電動ドア、スナックやソフトドリンクの電動販売機……こうしたものは、暗号電波の発信装置さえパーソナル遠隔腕足に備えていれば、誰にでも操縦できるというわけだ。 「俺には馴染めなかった……」 遠隔腕足による当人同士で体を共有したパーソナルセックスというものに、中年男性は興味をひかれたことがあった。かつて一度、それを実際に試してみたこともある。しかし、合わなかった。男にはコンプレックスがあったのであった。それは幼年時代の、パーソナル遠隔腕足をまだ両親から与えられてない、小学生時代の男が幼かった頃のものであるのに、違いなかった。男にはそう思えた。自分自身の奇行だって、コンプレックスに原因があるような気がする、と男には思える。 男は考え事をしながらも、黙々と人間観察を続けながら、夜のネオン街を歩き続けた。しばらくそうして時間が経つと、その夜のルートも終わりが近くなっていった。人通りはまばらになり、色とりどりのネオンも、いつの間にか、視界から消えて、今では寂しくパタパタと明滅する蛍光灯がわずかばかり浮かんでいるだけである。 そしてそんな夜道の、暗いビルディングの陰に、ひとつの人影があった。小柄で、おっぱい専門官を自称する中年男はすぐにそれを意識したし、記憶に焼き付けた。ただそれはそれとして、小柄な人影はどうも妙であった。落ち着きなく周囲を見回して、それでいて、誰か特定の目的の人物をその場で待っているというような様子ではなく、ありていに言えば挙動不審であった。それとも、壁にもたれて立つ様子から男には前時代的な売春婦が連想されたが、もちろんそんな身なりには見えず、……(ポリエステルのオーガスト・コート、頭にかぶったツインテール・キャップはマンガ趣味のようだが、(少なくとも外見的には)年齢相応といえそうである)ともかく見た目の年齢は若すぎる。(それともあるいは、若い見た目のバイオ・遠隔腕足なのであるのかもしれない。ということはすなわち、女装趣味の変質的遠隔人間である可能性を考えなければならなかったが……(今の時代、売春婦は遠隔腕足を用いるのが一般的といえた。場合によってはその用途に特化したとびきり淫乱なタイプも使用されるのである)……。)男はしばらくじっと立ち止まって、危険なものを遠目に観察するようにしていたが、ようやく頭の中で、得心のいく答えを得た。つまりその小柄な人影は家出少女なのである。何度か目を閉じて思いつきとその人影の実際の様子を照らし合わせてみて、それはどうやら間違いないように思えた。 「あのう……すみません……」男はなんと声をかけたものか迷った。一瞬前の第一印象から着想を借りて、ポケットから財布を出して、「ええとお、いくらなんでしょうか……」と少女へ向かっていった。男が歩いて近づいていくと、少女は目に見えて警戒する。それはそうで、男は、自分自身、ジョークのつもりでそれを言っているのか、本心からの言葉なのか、判断がつかず、男がジョークのつもりで言う言葉は、周囲の人間にはたいていの場合、本心からのものと受け取られた。男の笑顔は引きつっていて、それは犯罪者になることを覚悟した人間の卑屈なへりくだりの態度に見えた。 少女はしばらくして答えた。「○○万円……」それで男は財布からそれだけの現金を取り出して、少女の目の前に持ってきて見せた。少女はまたしばらくじっとして、現金を受け取って、しかし何も言わないままで、その場から動こうともしないままなので、男はチラチラと少女を振り返りながら、歩き始めたのであった。少女は男のあとをついて歩いてくる。もし逃げようとしたら、体格の差から、簡単に捕まってしまうだろうことは男にも少女にもわかった。少女は遠隔腕足ではない様子であるし、それに、一体何を考えているのか、男にはよくわからなかった。それで少女が家出少女であるという前提を立てて考えるしかなく、歩きながら最初に見つけた飲み屋へ入った。 飲み屋ののれんをくぐると、そこは夢の中のようにハッとする居心地の良さを中年男と少女の二人に提供した。外の暗闇とは違って煌々とした暖色のランプと冷房にひやされた空気、良い匂いのする大なべ、談笑する人々のシルエット。男はカウンター席の一つにすわり、少女をその隣の席へ座らせて、手打ちの遠隔腕足に酒と料理を注文した。この場合、注文を承るのは学生のアルバイターであるに違いなかった。飲み屋の店内全体を走る配線の中を電子の大きさの学生アルバイターの意識が行き来し、はた目には無人の厨房の鍋や包丁、箸の一本に至るまですべて文字通りの意味で己の肉体へそうするように支配するのが料理人であり……中年男は考えるのをやめる。億劫だから、俺には遠隔腕足はなじまないのだ、と思う。 煮物や煮魚の小鉢が出てくると、少女は一度男の顔色を窺って、男は何も言わないで自分の取り分である同じ献立のメニューを食べ始めたので、少女のほうもそれにならって食べ始める。酒も同じものが出てきたが、男が飲み始めても、少女は酒には手をつけないままであった。飲めない、あるいは飲んだことがないのだろう、と男は思ったが、それでソフトドリンクを注文しなおすのは厚かましいのではなかろうか、と思うので、迷っているのである。男は少女の食べる料理の小鉢の横に、自分のポケットからパソコンを取り出して、置いた。男のパーソナル・ログが表示されていて、この時代、WWWを読むのは乳幼児にだって出来るので、とりあえず何か表示されていたら文章は読むという習慣によって少女がそれを読むのを男は待つ。 「俺が更新してるの、それ。俺、おっぱい専門官で、女の人のおっぱい見てるの」 男は周囲に聞こえないように小声でいった。遠隔腕足同士であれば、電波を使った内緒話を、それこそ、発声をするのに必要な時間さえ短縮して一瞬の隙間に完了してしまえるものであるが、生身の人間同士のコミュニケーションは時間がかかる。少女は明らかに緊張と怖れの表情を浮かべて男のパソコンの表示に目を奪われていた。男はもっと言葉を続けようか迷ったが、しかし何を言ったらいいのかわからなかったので、しばらくそうして二人とも黙ってしまった。少女には、彼女自身も中年男の変質的な興味の対象に含まれることがわかってしまった、というように男には見えた。 ぽつり、と少女がいった。「あたし、明日には家に、届くから、今日は死んでもいいって気持ちになって、……ふとそう思ったんだけど、理屈はよく……わからない……」 自分のことはよくわからないものだ、と男は思う。パーソナル遠隔腕足という、自分本人からは隔絶したまったく別の他者の機械の体で日々を過ごすようになれば、たった今の自分自身の肉体の感触というものは、今日限りのものになってしまう、幼い過去のもの、二度とは体験できない……すでに失われてしまったもの……、今の自分の人生とは違う、かがみ合わせの前世の自分のようなものになってしまうのではないのか、という危惧は、感じるに違いない。男にはその恐怖はよくわかる。少女が「パーソナル遠隔腕足」などと一言も発声していないのにわかる。男個人による独りよがりな独善的解釈かもしれない……などという可能性は、しかし男には考えられなかった。男には少女の事情と怖れはよくわかった。男は今だって生身の肉体に固執しているのだ。遠隔腕足を使って当然という社会の風潮に一度は奪われかけた生身の俺本人の持ち物、小さいころからずっと使い続けている、これだけは胸を張って誰にだって俺の物だと言い張れるものだ。男は小学校の頃の全校ミーティングを思い出している。校長先生の話は長かった。男は自分自身について、思う、俺には子供時代に対するコンプレックスがやはり、あるようだ、と。あそこには大勢の子供たちがいて、みんな、他者だった。自分の意識を電波に乗せて一瞬のテレパシーをしたりしないし、テレパシーをし合って洗脳合戦をやったりもしない。人間同士のコミュニケーションはゆっくりであるべきなのだ……。男はシニカルに考えてしまう……つまりそんなような「言い訳をしたって仕方ない……俺は、自分の子供時代が忘れられないだけなのだ……心が小学生の時のままで、幼稚で、下劣で、おっぱい専門官などをやっているのも、俺のそうした歪んだ欲求をわずらう心根が原因なのだ……、……考えるだけ無駄なのだ……」「飲み薬みたいなものですよねえ、これえ」ふと、男は気がついて、考えに没頭する意識が眠りに落ちかけていたのだと気づく。うつら、うつらとしていた頭を、隣の少女の方へ振り向かせると、少女はグラスに入った酒をちびりと飲んでいる。 「え、うん、なに、何か言った……?」男は言った。少女は酒が「超まずい、おいしくないですねえこれえ」と言って、酔ったような眠そうな目をしていたが、不意に涙をこぼした。彼女にとって、人生でこれだけ最低の夜というのも、他にないに違いないのだから、それはそうだ、誰だって彼女の立場なら泣きたくなる、と男は思う。少女はしばらくそうしていたが、とうとう、意識を失うようにして眠りに落ちていった。男は夜明けのことを思うと少し憂鬱な気持ちになった。今、男の隣の席に、男のコンプレックスの対象である年頃の少女がたった一人で何の保護もなく生身の体のままで眠りこけている。人生で一度きりの、犯罪者になる覚悟を決めるとしたら、それは今しかない、と男は思う。そうしたら、無力な少女にたいするそれを暴力的になしえてしまえたら、もしかしたら、自分だって、意識をきちんと立てなおせられて、真っ当な大人として、遠隔腕足と向き合えるようになるかもしれない。代償として少女の人としての尊厳は芽吹く間もなく踏みにじられるであろうが……「代償……という考え方は誤りではないのか……尊厳にたいする暴力というそれこそが俺の目的の主たるものではないか」男は考えたが、結局、酒を飲んでいるうちに、眠ってしまった。目覚めたときに、まだ同じ飲み屋の同じカウンター席に突っ伏したままでいる自分に気づいて、「しまった、一世一代のチャンスを不意にしたぞ……」とつぶやいた。少女はまだ男の隣にいた。男が眠るまえよりもっとピタリと寄り添うように男にくっついて、彼女もまたカウンター席に伏せって眠っているのだった。「そういえば俺はこの少女に行為の要求代金として○○万円渡したのだった」と男は思う。ということはつまり、ピタリとくっついた温かい感触は、少女が男の要求に応じてくれたものなのである。男はそんな風に解釈して、それでなんだか、ドキドキして、落ち着かない気分のまま、少女が目を覚ますのをそのままの体勢で待った。
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こんばんは。はじめまして。 雪国の人といいます。よろしくお願いします。飛び入りになりますが、参加させていただいてよろしいでしょうか。 6500字くらい、執筆時間は3時間くらいです。ごめんなさい。
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