隠し戸 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/02/10 16:12
- 名前: 朝陽遙 ID:wekfbuqY
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
冬のはじめ、父が死んだ。 規定通りの忌引きを貰うだけのつもりだったのだが、この際だから溜まった有給休暇を少しは消化しておいでと直属の上司が言ってくれたので、素直に甘えることにした。休みの間に席のなくなる心配をしなくていい勤務先というのは、有難いものだと思う。十日かそこら私がいなくても仕事は回る。十年早ければそのことを悔しがりもしただろうが、もうそれほど若くもなかったので、そもそも仕事というものはいつでも誰かに代わりの勤まるようにしておくのが理想的なのだということを、建前でなく信じられるようになっていた。 不在中のことを簡単に引き継ぐと、急のことに備えて会社のロッカーに入れてあった喪服と黒ネクタイを引っ掴んで、慌ただしく新幹線に飛び乗った。 実家に戻るのは、数えてみれば七年ぶりだった。盆も正月も、仕事が忙しいと嘘を吐いて、まるきり帰らずに済ませた。七年前に一度だけ、母が入院したというので、さすがに慌てて駆け付けたことがあった。その時にも、父とはほとんど会話を交さなかった。病院に持ってゆく母の着替えや何かについて、事務的な言葉をひとつふたつ口にしたきりではなかったかと思う。 父は無口な男だった。ただ口下手なだけならば可愛げもあるが、たまに口を開いたかと思えば人を貶すようなことばかりを言うので、弟と私からはいつも煙たがられていた。本人もそれが厭だったのだろう、歳月を追うごとにますます口数は減っていった。口に出さなくなった分だけ、胸のうちではさらに毒を溜めていったのではないかと思うと、余計に父と話すのが嫌になった。 対象的に母はとにかくよく喋る女で、人の話はろくに聞かず、自分の言いたいことばかりを捲し立てる性質だったから、父が毒舌を吐いても軽く聞き流してしまうようなところがあった。破れ鍋に綴蓋という言葉はまさしく彼らのような夫婦のためにあると、私と弟はよく言い合った。まあ、相性がよかったということなのだろう。 母のことまで嫌っていたわけではなかったのだが、とにかく口うるさくて何のかのと口出しされるのが煩わしく、また気恥ずかしくもあり、父への反感を抑えてまで帰省しようというだけの意欲を見出すことはできなかった。母の方でも父子の不仲についてはとうの昔に諦めたという様子で、帰って来いと言う代わりに頻々自分のほうで上京してきて、兄弟それぞれの部屋を訪ねた。そうしてやれ生活がだらしないの、いい加減に結婚でもして親を安心させろのと、小うるさく嘴を突っ込んで帰っていった。
七年ぶりの生家に足を踏み入れると、その母が別人のようにひっそりと黙り込んで、通夜の準備なのか、大量の皿だのコップだのを洗っていた。集まりだした親類や、父の遺体の前で神妙に座り込んでいる弟に話しかけることもしなかった。叔母がその腕を掴んで、姉さんこっちは私たちがするからと休ませようとしても、ただ無言で首を振って、黙々と手を動かしていた。 田舎のことで、広さだけはそれなりにある家だったので、通夜も葬式も自宅でやると聞いていた。死んでしまった後にさえ父の傍に寄るのに気の進まなかった私が、いつまでも突っ立っていると、母がようやく気付いたように振り返って、瞬きをした。そして思い出したように「お帰り」と言った。普段の様子からは信じられないような小さな声、静かな口調だった。 死んだ父にというよりも、気落ちしている母に対して、この期に及んで父子の確執を見せつけることのほうが悪いような気がして、ようやく遺体の脇に座った。納棺もまだで、ただ眠っているかのように、父は布団に横たえられていた。 父は老いていた。記憶の中でさえすでに初老というような年ではあったが、それからの七年の間に、目を疑うほどの衰えを見せていた。 少し前に病気をしたというのは母の口から聞いていたが、そんなに悪いとは知らなかった。言い訳のようにそういうと、急なことだったのよと叔母が教えてくれた。昨日の夜にはぴんぴんしていたのだと。 まさか遺体を腐らせないために暖房をおさえているというわけでもなかったろうが、隙間風のする田舎家は、広さがあるだけによけい寒く、部屋のストーブの上では薬缶が鳴っているのにも関わらず、吐いた息がかすかに白んだ。母はいつまでも皿を洗っていた。
手続きだの葬儀の手配だのと、数日間は目まぐるしく過ぎて、ふっと途切れるように時間の空いたとき、糸の切れたようになっている母のことが、恐ろしくなった。それで、急ぎもしない遺品の整理を言いだした。薄情な息子だと言われても仕方のないことだが、何かしら手を動かさせていたほうがいいような気がしたのだ。 ただの反射的な思いつきだったのだが、却って色々と思い出させて良くないかもしれないと考えついたときには、もう母はぼんやりとしたようすのまま、言われたとおりに作業を始めていた。 父が書斎と読んでいた避難部屋を、母と私とで片付けにかかった。整理といっても、どのみちすぐに処分するような決心はつかないのだから、片付けると言うよりかは、ものを引っ張り出しては戻してみたり、あっちにあったものをこっちに入れ替えてみたりという、何とも益のないような作業だった。それでもともかく何もしないでじっと座って、葉の落ちた庭木を見つめてばかりいることだけは避けられた。 母はまだ一度も泣いていなかった。悲しくなかったというわけではなく、まだ呆然としていて感情が現実に追いついていないのだと、ひと目でわかるような有り様だった。時折思い出したように目を赤くして鼻を啜っている弟よりも、泣かない母の方がよほど心配だった。 私の方はというと、本当に悲しくなかった。さっさと死んでくれて良かったというほどまで憎み抜いていたつもりはなかったのだが、父が死んで悲しいというような感情は、ちっとも湧きあがってこなかった。いくら嫌っていたからといって実父が死んだというのに、薄情なものだとは自分でも思ったが、元気なうちにあれをしておいてやればよかったとか、顔くらいはもっと見せておけばよかったとか、そんなことは何一つ思いつかなかった。 「あら」と母が言って、机の引き出しの奥から、小ぶりな段ボールを引っ張り出した。「何かしら、これ」 受け取ると、箱は存外に重かった。いつからそこにあったのか、ひどく古びていて、被った埃が貼りついて変色していた。 隠すように置かれていたことが気にかかった。人目に触れさせたくないようなものなのだろうか。エロ本か何かだったらいい年をしてと笑い飛ばして済む話だが、何かしら母を苦しめるものが入っていはしまいかと、そのことが心配になった。例えば浮気の証拠だとか、心ない悪意に満ちた書きつけだとか、そういう始末の悪いものが。 母の眼から少しでも遠ざけるように引き寄せて、封を開けた。古くなったガムテープは、何度か剥がして貼り直したものと見え、ほとんど粘着力を残していなかった。 中にぎっしりと詰まっていたのは、古びた原稿用紙の束だった。 不意をつかれて、私はその紙束をぼんやりと眺めた。父が書きものをするとは知らなかった。それもこんなに大量に、いったい何を書いていたのか。 呆気にとられたまま、ともかく一番上になっていた束を取り出してみると、数十枚ほどが糸で几帳面に綴じられており、最初の一枚に太い筆跡の万年筆で、題のようなものが記されていた。 ――名残りの雪。 あら、と母が呟いた。これって、あれよね。茫洋とした口ぶりでそう言って、母は机の引き出しを開け、いっとき中を漁っていたが、やがて一本の万年筆を取り出した。飾り気のない、黒い万年筆だった。長いこと使っていたのか、軸には細かい傷が目立っていた。ものに愛着を抱いて大事にするようなところをあまり見せなかった父に、その傷は何だか、似合わないような気がした。 「親父、そんなもの持っていたか」 言うと、母はふっと目を細めた。 「これ、結婚前に私がプレゼントしたのよ。失くしてしまったなんて言ってたのに」 ぼんやりとした眼差しのまま、母は首をかしげた。「何で隠してたのかしら」 その言葉の途中から、急に泣き声に変わったので、私は慌てた。母は立ち上がると、小走りに部屋を出て行ってしまった。私に泣き顔を見られるのが嫌だったのだろうか。こんなときだというのに。 遠ざかる足音を聞きながら、私は床に座りなおして、原稿用紙を捲った。黒のインクで綴られたその文章は、口下手だった父に似つかわしくない、流麗な筆跡を見せた。 仕事として文筆をやっていたのなら、母が知らなかったわけがないから、それは趣味の書きものだったのだろう。だがその筆致は素人目ながら、書きなれた巧みな文章と見えた。 一番上になっていた束は、短い恋愛小説だった。 読んでいる間、私はそれを書いたのが父だということを半ば忘れて、読みふけっていた。それでも読み終えてからあらためて振り返ってみれば、そこに書かれているのは、たしかに母のことだった。容姿や何かのことは変えてあったが、口癖の端々や仕草の描写に、母の気配が見え隠れしていた。 箱の中を探ると、下の方にある原稿の方が紙がまだ白く、新しいようだった。どういうつもりで父がそんなふうに片付けておいたのかは知らないが、単純に最近書いたもののほうが、より人に読まれたくなかったということなのかもしれない。 二つ目の話は、少年を主人公にした物語だった。幼いころの父がモデルなのかもしれない。とりたてて事件の起こるわけではない、ありふれた日々の一片を切り取ったようなごく短いものだったが、そこには胸の詰まるような郷愁が滲んでおり、読み終えたあとに何か、柔らかい感慨のようなものを胸に残した。 これをあの口を開けば人の悪口しか言わないような父が書いたとは、とても思えなかった。そこには他者を見下して嘲るような視線はなかった。ただ周囲にあるものへの憧憬と愛情ばかりが綴られていた。 三つ目の束を手に取ったとき、私は動揺した。題名のところに、私と弟の名前が書かれていたからだ。 迷ったが、好奇心が勝った。疲れた目頭を揉むと、指を舐めて原稿用紙を捲った。 その小説には、幼い兄弟が登場した。利かん気は強いが弟思いの兄と、その兄にべったりと甘えていてすぐ泣く弱虫だが、芯のところに強情さの見える弟。私小説ということになるのだろうか。実際にそこに書かれているエピソードのいくつかには、私の覚えていることが混じっていた。 濃やかな情愛に満ちた眼差し、兄弟の成長を喜びつつも一抹の寂しさを感じている父親の心境が、自分の知る父の姿と、どうしても重ならなかった。理不尽なことで癇癪のように怒られたり、何かの賞をとって喜びながら家に帰っても鼻で笑って小馬鹿にされたり、そういう記憶しか、私にはなかった。 最後まで読むことができずに、私は紙束から視線を外した。 色あせた原稿用紙の束を発作的に破り捨てかけて、直前でどうにか思いとどまった。母や弟にも、これを読む権利はあるだろうという考えが、頭を過ったからだった。だがその考えは、余計に私をいらだたせた。 二人がこれを読んで、驚いたり父を見直したりするところを想像すると、いっそ今すぐに箱ごと燃やしてしまいたいくらいだった。 小説だ。後から振り返って文章に起こすのなら、いくらでもきれいごとを書ける。思い出を美しく装い、自分の都合のいいようにいじりまわすことができる。もし本当にここに書いてあるような情愛を、父が心に抱いていたというのなら、そのように振る舞っていたはずだ。口下手なりにも、態度の端々に何がしかの思いやりを滲ませていただろう。 今さらこんなもので、事実を美しく歪めて自分の人生をきれいに纏めてしまおうだなんて、そんな都合のいい話があるものか。 こんなものは読みたくなかった。怒りで頭のくらくらするのを感じながら、手の中で紙がよれて皺になったのを、箱の中に押し込むようにして戻した。 弟が入ってきた。 「母さん、やっと泣いたな――あれ」 弟は当惑したように入口で立ちつくし、それからばつの悪いような照れ笑いで鼻を掻いた。「何を見つけたの。兄貴までそんな顔して」 言われて、自分が泣いていることにようやく気付いた。拳で乱暴に顔を拭いながら、この弟に対しても、私は腹を立てた。 弟の人の好い顔には、やっぱり兄貴も父さんが死んで悲しいんだなというような、鈍感で善良な安堵が、はっきりと描きこまれていた。悲しいのではない、俺は腹を立てているのだ、これは悔し涙なのだと怒鳴りたいような気がしたが、私が実際にしたことといえば、黙って段ボールを丸ごと弟のほうに押しやっただけだった。 原稿用紙の束を見て驚いたような顔をした弟が、父さんの字だ、としんみり呟いたので、私は自分だけが父の筆跡を知らなかったということに気付かされた。 「父さん、文章なんか書いたんだなあ。似合わない気もするけど、でも、そういうものなのかもしれないな。口下手な人間のほうがさ、書きものが巧かったりさ……」 読みかかった弟に背を向けて、私は書斎を後にした。逃げ出したのだった。この人の好い弟が、父の小説を読み終わったときに、ちょっと涙ぐみながら「父さん、こんなふうに俺たちのこと、見てくれていたんだな」などと言うところが、くっきりと見てきたように想像されて、それがどうにもならないほど耐えがたかった。 廊下に出ると、母のむせび泣くのが台所のほうから微かに響いていた。怒りを噛み潰そうとして巧くいかないまま、かつて自分の使っていた部屋に逃げ込もうとして二階に上ると、古くなった階段がいやに軋んだ。
---------------------------------------- 時間オーバー(一時間半くらい+推敲)でした。
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