Re: 即興三語小説 ―第110回― 締切りは8/7だ。何のことかは分かるよね? ( No.2 ) |
- 日時: 2011/08/08 07:20
- 名前: 二号 ID:X6onh4pY
「オウルよ、準備はよいか」 「はい、族長」 洞窟の入り口で族長はこの一日の間に何度も繰り返された同じ問いかけを私に尋ねた。何度聞かれても、私の答えは変わらない。 「よろしい。それでは、ついて参れ」 松明にともされた明かりが風と共に揺れる。揺れている炎はまるで生きているようだと思う。 「足元に気をつけろ。そして私から離れるでないぞ。ここから祭殿までの道のりは私しかしらん。光の届かないほどに深く、道も複雑に入り組んでおる。」 族長はそう言って、私は静かにうなずいた。 灯をともしながら歩いているはずなのだが、どんなに目を凝らしても洞窟の壁面をみることは出来ない。まるで暗闇が濃すぎて光を吸い尽くしてしまっているようかのように思える。今歩いているこの空間は思ったより広い道なのかもしれない。ただ、唯一光に照らされた足元の地面を見て、それが乾いているということだけは分かる。
どれほど歩いただろうか。族長と私はひたすら無言で歩き続けた。私は前を歩く族長の足元を眺めながら、これから自分の身に起こることについて考えていた。 私はこれから、部族の掟に従い精霊に仕える神官になるための試練を受ける。 神官の役目とは、端的に言ってしまえば精霊とリンクすることだ。精霊の言葉を聴き、それを人々に伝え、また人々の声をきき、それを精霊に伝える。それが神官の仕事だ。 そして、神官は部族内の全ての儀式を司る。新しく生まれてくるものがあれば、精霊にそのものの健やかなる成長と幸運を祈り、新たに結ばれる男女があれば、二人への祝福と誓いを精霊の元に伝える。 我々の部族の信仰は精霊と共にあり、常に精霊に守られている。人も、獣も、植物も、遠い空で生まれこちらにやってくる嵐でさえも、全てのものは精霊から生まれ、死後は精霊の元に返っていく。少なくとも、そう信じられている。 そして、精霊の元に送られていくものがあれば残されたものの声を届けることもある。死者の弔いや、先祖の供養を執り行う。旅立って行ったものたちに、残されたものたちからの言葉を伝えるのも神官の役割だ。 これから私は見たことも無いその精霊に試されることになる。
族長は私を祭殿まで送り届けるとこの洞窟を出で、私は暗闇の中で一人試練に臨む。声を上げることも、明かりをつけることも許されない。肉体を忘れ、暗闇の中で、精神のみで精霊と向き合うのだ。その中で精霊が私を試すだろう。見事に認められれば、精霊の声が私を導いてくれるはずだ。暗闇の中を、声を頼りに進んでいくのだ。逆に、精霊の声を聞くことが出来なければ、きっとこの深く暗い洞窟の中でのたれ死ぬことになるのだろう。 幸いなことに、そうなったとしても恐らく私の死を悲しむものはそう多くないはずだ。私に妻も子もいない。妻を娶ったことはあったが、彼女はもう五年前に精霊の元へ旅立った。
やがて族長が歩みを止めた。彼はここが祭殿だと言ったが、私にはそれを見ることが出来なかった。ただそこが広い空間の中であるということが洞窟の中に響く族長の声の響きから想像できただけだ。 「それでは私は失礼するよ。オウル、しっかりとな。暗闇に心を飲まれそうになったときは、なぜ自分が自らこの試練に赴いたかを思い出せ。それがきっとお前を奮い立たせてくれるはずだ」 「はい。ありがとうございました」 そう言って族長は明かりを持って、きた道を再び引き返していった。 暗闇の中に、一人取り残された。族長の持つ明かりが遠ざかり、やがてあたりは完全な暗闇に包まれた。 あたりには音も無く、どこからか吹いてくるかすかな風の存在だけが、私に感じられる唯一のものだった。
暗闇の中で目を瞑り、心を落ち着かせる。精霊の声を聞くための方法なら、この五年間の間に必死に身につけた。 大切なことは精霊と共にあろうとすることだ。それは、耳をすませながら何も聞かないでいるということだ。それは、何かひとつのことを心に思い浮かべながら、心を空のままにするということだ。自分が二つのものになる感覚。人の世にありながら、同時に精霊の元に向かおうとすることだ。 私は耳を澄まし、精霊の声が聞こえてくるのを待つ。 精霊の声は聞こえない。
精霊の声を待つ間、彼女のことを考えることにした。精霊の声を聞くことが出来れば、彼女の声も聞こえるのだろうかと。
以前、部族の外の神官に、彼女の声を聞きに言ったことが会った。 「声を聞きたい者はいるか?」と、彼は言った。 「死んだ妻がいる。できることならば、彼女に会いたい」と、私は答えた。 その神官は彼女は私にこれこれこう言っていると、もっともらしい話を私に伝えたはずなのだが、その内容を思い出すことは出来ない。なぜだかそれは彼女の本当の言葉ではないのだろうと感じられた。そして、このようなことを言って残された者たちの心を静めるのが、この男の役目なのだろうと理解した。 そんなことを思い出していると、やがて、風が止んだ。
「聞こえる?」かすかに、どこからか声のようなものがが聞こえた。 「はい、聞こえます」 「そう」と、声は言った。 「あなたが私を導いてくれるのですか?」私がそう尋ねると、どこからか、笑い声が漏れる音が聞こえた。 「どうかしら? 私が悪魔だったら、あなたはどうする? もしかしたら、私はわざとあなたを迷わせて、私たちの仲間にしようとするかもしれない。そんな風に考えてみて。どう? 私を信用できる?」 「あなたは精霊ではないのか?」 「質問はしないで。あなたはただ聞かれたことにだけ答えればいいの。試されているのはあなたで、私ではない。私があなたを試しているの」 実際には、風を頼りにして進んでいくことだって私には出来る。先ほどからここに吹き込んでくる風から考えるに、恐らく出口は複数あって、それらが風の通り道を生み出しているのだろう。声はもう聞こえた。精霊でも悪魔でも、その声が私を惑わすならば、自分の足で帰ることにすればいい。私はそう考えていた。 しかし、私の考えを見透かしたかのように、笑い声が聞こえた。 「ここにはいたるところに深い竪穴が散らばっているの。そこに落ちたらもう二度と上には上ることはできない。風を頼りに出口を探すというのは全くの自殺行為ね」 再び、どこからか笑い声が聞こえた。 「わかりました、信用します」と、私はいった。 「そう、ならついてきて」と、彼女は言った。 それからしばらく、彼女に導かれるままに暗闇の中を進んでいった。暗闇の中であったが、声に従っていれば不思議と道は平坦なものだった。もちろん深い竪穴に落ちることも無く。私は歩き続けた。どれくらい歩いたのかはわからないが、同じところを何度も歩かされている感覚はあった。私はただひたすら耳を澄まし、かすかな精霊の声を見失わないようにと努めた。この声に従っている限りは、私はきっと安全だという気がしていた。他のものには聞こえない声。この声に従っている限り、私は常に精霊に守られていることになるのだろう。これは精霊に認められることで私が手に入れた力だ。精霊に認められない他のものたちにはこの声を聞くことは出来ない。私はこの声が聞こえない者たちを哀れに思い、それと同時に、心地よく暗い優越感に浸っていた。
そんなことを考えていると、突然彼女の声が消えた。私は暗闇の中に取り残され、身動きひとつ取れなかった。先ほどのよこしまな気持ちが精霊に伝わってしまったのだと、私は理解し、そのことを後悔した。どれだけそうしていたかは分からない。ただそれはとても長い時間のように感じられた。心臓の鼓動が早くなるのを感じた。暗闇が一層身近に感じられる。体がその中にとけていってしまうかのような。やがて思考までもが暗闇の中に溶けていく。薄れていく意識の中で、最後まで残っていたのは、自分の愚かさを恥じる気持ちと、神官を志した理由についての記憶だった。
「思い出せたかしら?」 しばらくして、再び、突然彼女が口を開いた。その声によって、暗闇の中から意識を引き上げられていくのを感じた。 「目の前にはとても深い竪穴が広がっているわ。底も見えないくらいの。そしてあなたが立っているここはもうがけっぷち。どう? 怖い?」 「怖がらなくてはいけないのですか?」 「このままあなたを突き落としてしまうことだって出来る。 恐ろしくはないの?」と、彼女は言った。 「恐ろしくはありません」 「なぜ?」と、彼女は尋ねてきた。 「あなたが確かに精霊であることは分かっています。これ以上の問答は不要です。ましてや、君がそんなことをするとは思えない」 彼女は答えなかった。
再び、懐かしい声で彼女は語り始めた。 「精霊は、私たちは、誰かに声を聞かれることを待っているの。ねえ、死んでしまった後に、自分と親しかった人たちみんなが自分のことを忘れてしまうことって、怖くない?」 「私は死んでしまったくらいで誰かのことを忘れたりはしない」 「ありがとう。でも、怖いの。精霊とはそういうものなのよ」彼女はそういった。 しかし、残されたほうだって、それは同じだ。私たちはいつだって去っていった人々に声を届ける方法を探している。それがどんなものであれ、突然去っていった人々から何か言葉が来ることを待っている 彼女が伝えようとしていることが、分かったような気がした。 「自分自身のみでなく、人と精霊を結ぶことが、神官の役目ということか」 「そう」彼女は言った。「いい神官になれそうね」 それから私たちは無言で対峙していた。 「本当は、もうすぐ出口なの」と、彼女が言った。 「試練が終わったら、君は消えてしまうのか?」 彼女は答えなかった。答えないということはそれが答えなのだろうと思うことにした。 そのかわり、背中に何か暖かいものが触れるのを感じた。耳元を暖かい風が撫でた。
「また会えるだろうか?」と、私は尋ねた。 「どうかしら? あなたが精霊の元に帰る時がきたら、その時には会いに行くつもりよ」 「そうか」 「残念?」 「ああ、どうやらそれまではまだまだ長い時間がかかりそうだ。それまで、君を待たせるに忍びないよ」 彼女は何も言わなかった。 「ならもう少し、こうしていることにしよう」 それからしばらくして、彼女のぬくもりは私の背中から消えていった。 暗闇は再び熱を失い、その中で熱を放っているのは、ただ一人、私だけだった。
すいません。書いている途中で眠ってしまって、遅刻記録を大幅に更新してしまいました。ホントにすいません。めでたい感じの話にしようとしたのですが、なぜだかなりませんでした。すいません。
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