ある男の余命宣告 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/02/14 01:17
- 名前: RYO ID:wM/.CGA6
「何もかもが終わった。やるべきことは終わった」 沈んでいく夕日に、ぼそりと鎌田は独り言のように呟く。イームズのラウンジチェアの感触を楽しみながら、お気に入りのホットアップルシナモンティを飲む。その芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、その熱は喉元を通り胃に至り、ゆっくりと全身に伝わっていくようである。 「それにしても美しいな」 窓の外は、夕焼けに赤く燃えている。目眩さえ覚える。この夕日が沈み、再び朝が来たとき、鎌田にとって新しい戦いが始まる。 机の上に置いた携帯が鳴る。 こんな良い時間に、なんと無粋な。この私の至高の一時が台無しじゃないか。 鎌田は携帯を一瞥して、無視した。 考えようによっては、これも良いBGMか。 鎌田はイームズに体を預けて、ゆっくり目を閉じてこれまでのことを思い出す。 鎌田が末期の胃がんを宣告されたのは、年末のことだった。余命は、三ヶ月と言われた。食欲がなくなったり、便通がおかしかったりと、軽い自覚症状はあった。それでもまさか、がんだとは思いもしなかった。レアアースを中国から輸入する仕事についていたのだが、中国の対日感情が、首相の余計な一言によって最悪になっていたために、休むに休めなかった。結果、発見が遅れた。 仕事を優先した。会社を愛していた。それには間違いない。海外の会社から破格の待遇でヘッドハンティングの話が来たときでも、その誘惑に負けそうになりながらも、会社を思い鎌田はその話を蹴った。 その結果がこれか――鎌田は静かに笑う。会社はきっと自分の頑張りを認めてくれる。そう思っていた。会社に末期がんであることを告げると、あっさり閑職に飛ばされた。突然野ざらしにされ、野良犬にでもなった気分がした。閑職に回されて横領しただの、多額の借金が発覚しただの、浮気がばれたのだと、ひそひそと噂されるのは耐え難かった。懸命に働いて、上司からも部下からもそれなりの信頼を得てきたのだと思っていた。そう思ってきた。 それは私の勘違いだったんだな。 鎌田は遠い目で、夕日を見つめる。もうじき、ビル群の中に沈んでいく。 鎌田は年が明けて、有給休暇を全て使うことにした。思いのほかあっさり取ることができた。もうすでに自分は用済みなのか、それとも病気を気遣ってくれたからなのか鎌田は考えたけれど、それが分かるはずもなく、すぐに考えるのはやめた。 有給は四十日も余っていた。こんなにも余っていたことが悔しくもあり、嬉しくもあった。と、同時にどうせ死ぬのだからという思いも芽生えた。貯金も何もかも、使ってしまえ、と。離婚して、どうせ独り身。家族もいない。仕事一筋に生きてきたのだから、最後にぱーっと散るのもいいだろう。心残りがあるとすれば、一人娘の桃のことくらいだ。元女房には何の未練もないけれど。 鎌田はまず、元女房に連絡をとって、桃と会う約束を取り付けた。 「一体、どういう風の吹き回し? 突然桃と会いたいだなんて」 「娘に会ったらまずいのか?」 「そういうわけじゃ、ないけど。なんかね……」 「なに、仕事が一段落して、休みが取れたのさ」 「驚いた。あれだけ仕事一筋で、家庭のことなんかまったく顧みなかった貴方から、そんな言葉が聞けるなんて」 元女房は本気で驚いていた。それを聞いて、鎌田は胸を締め付けられる思いだった。それでも平静を装って、 「お前にも迷惑かけたな。申し訳なく思っているよ」 「嘘八百ばかり並べないで頂戴。全く。貴方はそうやっていつも、自分の都合の良い方に話を持っていこうとするんだから」 「ああ……そうだな」 涙が出そうだった。元女房であってもこらえるらしかった。 「どうしたの? なんか声の調子が悪いみたいだけど」 「多分、携帯の調子が悪いんだろう」 「ふーん。桃と会わせてあげられるのは――」 これが自分の蒔いた種かと思うと、鎌田はやり切れなかった。 桃とは遊園地に行った。昔、約束をしていて、結局連れていけなかったから。いつのまにか桃は十歳になっていた。離婚したのが七歳のときだったから、もう三年になる。 十歳にもなると、娘というのはどこかよそよそしかった。父親であるはずなのに、という思いが鎌田の中に過ぎる。どこか固い娘の笑顔。いつかほころぶと思っていたけれど、それは最後までなかった。どこか好きな物を買ってくれるおじちゃん、遊園地に連れて行ってくれるおじちゃん程度でしかなくなっていたのだと、実感する。 「ねぇお父さん。今度はね、私――」 そう言って鎌田が桃からせがまれたのは、ブランド服だった。 「ああ、分かったよ」 鎌田はそう答えながら、娘と援助交際でもしている気分になる。 「今度、お母さん。再婚するって」 「そ、そうか」 「新しいお父さんは、優しくて、いつも家にいて、何でも買ってくれるんだよ」 そう笑顔で話す桃に、鎌田は悲しくなる。 これも私が悪かったのだろうか? いつも家にいるって、ちゃんと働いているのだろうか、それで収入はどこから――桃にそんなことを聞いても仕方ない。ただ、それでもいつも家にいてくれることを、この子は喜んでいるのだから。死に行く私には関係ない。 そう鎌田は自分に言い聞かせていた。 娘と会ってしまったら、鎌田の心残りはなくなってしまった。いや、自分の信じていたものが、何もかもが脆く崩れ去ってしまって。どうでも良くなってしまったというところが実際のところだった。 鎌田は独り、旅行に行き、美味いものをたらふく食べ、クラブに行きホステスをはべらせては散財した。 何もかもが虚しく、それでも何か使い切らなくては収まりがつかなくなったしまった。 仕事も、元女房も、娘も忘れて、独りでただ金を使っているときだけが最高のときだった。貯金はすぐに尽きて、借金も作った。あっという間に、有給休暇は過ぎてしまって、立春を迎え、今に至る。 夕日に照らされ、鎌田はアップルシナモンティを飲む。 「思えば、結構元気に過ごせたな。本当に俺は死ぬのか。残った時間はせいぜい――」 夕日が沈んでいく。携帯は今も鳴っている。鎌田は重い腰を上げた。 「もしもし。鎌田です」 鎌田は静かに言った。思いの外静かだったから、思わず笑みが漏れた。 「ああ、良かった。やっと繋がった」 声の主は鎌田の主治医だった。 「どうかされたんですか、先生?」 「い、いや、申し上げにくいことなんですが」 主治医の歯切れは悪い。 「先生、どうせ私は時期に死ぬんですから、はっきり言ってくださいよ」 「いや、はっきり言えば、喜ばしい話ではあるんですよ」 「どういうことです?」 「まぁ、鎌田さんのカルテを他の患者さんと取り違えていることが発覚しましてね。鎌田さんが余命三ヶ月というのは、間違いだったということです」 「は?」 「いや、大変申し訳なかったです。明日からの入院についても、必要がなくなりましたよ。病院としても、ベッドが足りなかったわけで、一つでも空いてくれて助かります」 主治医の声は底抜けに明るい。鎌田は現実が飲み込めない。 「いや、ほら、驚きで声が出ないのは分かります。こんな初歩的なミスは私も初めてではあるんですけど、鎌田さんにしてみれば天国から地獄じゃなかっった、その逆ですね、この場合」 主治医の笑い声はどこか別の世界のように、鎌田には聞こえていた。 「そんなわけで、また明日にでも、鎌田さんは診察させてもらいますので、そのままいらしてください」 そこで、主治医の電話は切れた。 鎌田の頭の中でいろいろと過ぎる。会社のこととか、元女房のこととか、桃のこととか、借金のこととか――鎌田はとりあえず、そのまま携帯を手に、離婚したときに世話になった弁護士事務所に電話を掛けることにした。 気がつくと夕日は完全に沈んでしまっていた。
――――――――――――――――――――――――――― すいません。締め切りオーバーです。 コミカルなシーンが見当たりません(ぁ いや、シリアスからコミカルにと思ったんですが。 お題はとりあえず消化。桃は反則でしょうが。 もう少し描写をやっぱりいれたいな。
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