Re: 即興三語小説 ―GWはありましたか?― ( No.11 ) |
- 日時: 2013/12/11 18:20
- 名前: は ID:08TatnZY
近所に湖がある。汽水湖である。 さっさといってしまえば浜名湖である。 この浜名湖でバガガイを食った。むかしから潮干狩りの客を誘致しているところで、本来の目当てはむろんのことアサリである。ところが今となって憶えているのはただただバカガイのことだけで、その外のことはなにひとつとして鮮明でない。もう十四、五年も前だ。頃日のことではない。 つい先日、さる短篇を読みかえしていてそのことを思いだした。ややこしい連想のうちにまろび出てきたのであるから、煩雑と退屈をさけて詳らかには書かない。要するにありがちな郷愁である。 バカガイのこと、というのは二、三の光景について。 浜は貝掘りの行楽客でごったがえしていた。 そのなかに混じってクマデをつかっていると、私のすぐ傍で「そんなもん捨てろ捨てろ」という声がする。 ふいとそちらをみると三〇いかぬ男が息子らしい小さい児にむかって笑っている。笑いながら顎で「捨てろ」のしぐさを繰りかえしている。 子どもの手には掌からあふれんばかりのおおぶりなバカガイが握られている。 父親がなおも顔に笑顔を浮かべていると、子どもの方も嬉しそうな顔になって、近くの海面へおもいきりそのバカガイを叩きつけた。飛沫が口のなかへ撥ねかえってきたらしく、異様に興奮したふうでけたたましく笑った。 それからまた、場所をもう少し移して掘っていると、子どもが十数人も連れだってやってきた。なにか遠足のようなものとみえて、引率の大人が三、四人ほど、舟を曳きながら随行していた。うち一人が、ポロシャツの胸ポケットから懐中時計を取りだして時間をみていた。それがずいぶん偉そうな態度にみえ、また水辺に持ってくるなんて迂闊な、という気がした。迂闊な、とおもい、なんだか気の毒のようにも感じた。 十数人の子どものうちの一人が、これまたいやにでかいバカガイを見つけて得意になっていたのだが、懐中時計の男とはべつの大人の屈強そうなのにそれを見せびらかすと、男は 「貸してみ」と子どもから貝を受けとり、 「寿司屋じゃこれを青柳っちゅうだに」 得意げに言って、曳いてきていた舟のへりに叩きつけた。 卵の殻が砕けるようにして中身を覘かせたそれを海水でざぶざぶと洗うと「舌べろのところを食べるだよ」とつけ加えながら子どもに突っかえした。子どもはそれを食い入るようにしてみていた。 それをみていた私も、つられてバカガイを獲って、食った。 彼らの舟をつかうわけにもいかず、水際まで戻って石蓴まみれの岩にぶつけた。海水で滌いだ。 それからたしかに食ったのだ。
――ところが味を憶えていない。 青柳の握りを食えば思いだすか。そうともおもわれない。けだし、感傷のせいである。なんでもないような記憶が、肝心なところを憶えていないせいでかえって気にかかる。たまらなく忘れがたい出来事であるような気にさせる。思いだしたくて仕方がないのに、思いだしてしまえばそれっきりこんな記憶はどうでもよくなって、消えてしまうにちがいない。 もちろん、ほんとうは消えたってかまわないのである。いまはそれがなんとなく惜しい気がするというだけだ。ふとした瞬間、舌にその記憶がよみがえる。それで満足してしまう。いいじゃないか。ふいとそういうときが訪れるかもしれない。望むところだ。まだまだ死ねない。
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