手記と書けば聞こえはいいが、落書きとそう変わりないただの覚書きには違いないそれを鑑定士が見ている。鑑定士が見ているのは古びた黒革の手帳だ。見ているというのは少しばかり語弊があるかもしれない。見ているのはモニターであり、そこには到底分からない文字列が並んでいる。肝心の手帳は三六〇度のレーザーの光を浴びて、宙に浮いている。別のモニターには、次々にレザーが透過して判明した文字列が並ぶ。「食肉が、……もうひとつ、いや、人肉? ……あとひとつ? 悪筆にもほどがあるか? それともさらに古い年代の人物のものか?」 鑑定士の言葉に興奮が混ざったのが分かる。とはいえば、気になるとすれば、これが金になるかどうかだ。こんな手帳、興味なんてない。「いいか。長年のよしみでいうが、こんな年代もを持ち込んでおいてそんなつまらなそうな顔をするなんてだな--」「さっさとやれ」 問答無用で足蹴にする。「幼馴染だからって、足蹴はひどくないかい?」「時は金なり」「温故知新だ」 とりあえず、足の力を込めて黙らせる。まったく、石油を掘りあてるわけでもあるまいし、いちいちこんな古人の手記に何が書いてあったかなんて、そうそう大事でもあるまい。もう人類が宇宙に飛び出して一〇〇年が経つというのに。温故知新といって、古きを知るなんてキチガイは--「私だけよ。でも、こういう先人の知恵に私たちは学ぶ--」「うるさい!」 足の力を強めて、黙らせる。解析が終るのはもう少し先らしい。ちょっとだけSF調?にしてみました。-------------------------------------------------------------------------------- ●基本ルール 以下のお題や縛りに沿って小説を書いてください。なお、「任意」とついているお題等については、余力があれば挑戦してみていただければ。きっちり全部使った勇者には、尊敬の視線が注がれます。たぶん。 ▲お題:「手記」「食肉」「あとひとつ」 ▲縛り:なし ▲任意お題:なし ▲投稿締切:9/29(日)23:59まで ▲文字数制限:6000字以内程度 ▲執筆目標時間:60分以内を目安(プロットを立てたり構想を練ったりする時間は含みません) しかし、多少の逸脱はご愛嬌。とくに罰ゲーム等はありませんので、制限オーバーした場合は、その旨を作品の末尾にでも添え書きしていただければ充分です。 ●その他の注意事項 ・楽しく書きましょう。楽しく読みましょう。(最重要) ・お題はそのままの形で本文中に使用してください。 ・感想書きは義務ではありませんが、参加された方は、遅くなってもいいので、できるだけお願いしますね。参加されない方の感想も、もちろん大歓迎です。 ・性的描写やシモネタ、猟奇描写などの禁止事項は特にありませんが、極端な場合は冒頭かタイトルの脇に「R18」などと添え書きしていただければ幸いです。 ・飛び入り大歓迎です! 一回参加したら毎週参加しないと……なんていうことはありませんので、どなた様でもぜひお気軽にご参加くださいませ。 ●ミーティング 毎週日曜日の21時ごろより、チャットルームの片隅をお借りして、次週のお題等を決めるミーティングを行っています。ご質問、ルール等についてのご要望もそちらで承ります。 ミーティングに参加したからといって、絶対に投稿しないといけないわけではありません。逆に、ミーティングに参加しなかったら投稿できないというわけでもありません。しかし、お題を提案する人は多いほうが楽しいですから、ぜひお気軽にご参加くださいませ。 ●旧・即興三語小説会場跡地 http://novelspace.bbs.fc2.com/ TCが閉鎖されていた間、ラトリーさまが用意してくださった掲示板をお借りして開催されていました。 -------------------------------------------------------------------------------- ○過去にあった縛り ・登場人物(三十代女性、子ども、消防士、一方の性別のみ、動物、同性愛者など) ・舞台(季節、月面都市など) ・ジャンル(SF、ファンタジー、ホラーなど) ・状況・場面(キスシーンを入れる、空中のシーンを入れる、バッドエンドにするなど) ・小道具(同じ小道具を三回使用、火の粉を演出に使う、料理のレシピを盛り込むなど) ・文章表現・技法(オノマトペを複数回使用、色彩表現を複数回描写、過去形禁止、セリフ禁止、冒頭や末尾の文を指定、ミスリードを誘う、句読点・括弧以外の記号使用禁止など) ・その他(文芸作品などの引用をする、自分が過去に書いた作品の続編など) ------------------------------------------------------------------------------
ともちゃんがこの頃、真夜中にひっそりと一人で起き出していることを、わたしは知っている。 時間はだいたい決まっていて、二時から三時ごろ。まず共用リビングの方から物音がして、次に台所の白熱電灯が点く微かな音がきこえる。わたしは布団のなかのあたたかい闇でうとうととまどろみながら、ともちゃんの出す音をひとつひとつ拾う。お菓子か何かの袋をやぶる音や、コップにお茶をそそぐ音、それからボリュームを絞ったラジオの音楽。台所の椅子の上で膝をかかえて、板チョコを齧っているともちゃんを、わたしは想像する。褪せた霜降りグレイのパーカーに、同じ色のルームパンツを履いて、茶色い短い髪をうしろで小さくひとつに結び、ぼんやりとラジオを聞き流しているともちゃん。うでにもあしにもおなかにも、しろくやわらかいマシュマロのような脂肪をたっぷりとまとったともちゃん。 彼女はいま、恋をしているのだ。そのふっくりとしたからだの内にある心臓を、桃色にはじける果実酒のような、仄かな苦みを含んだ、とろりと甘い感情でみたしているのだ。わたしは布団から抜け出して、リビングの方へぺたぺたと歩いていった。「かなみ?」 足音に気づいたともちゃんが、ぱっと顔をあげる。口もとにべったりとこびりついたチョコレート。机の上にはアップルパイ、栞のはさまれた『地下室の手記』の文庫本、大福、かぼちゃの煮物、そしてこれから料理するつもりだったのか、生のままの赤い食肉とキャベツ、剥きかけの人参とじゃがいもが転がっている。音を消されたテレビの青白いひかりが、ひろげられた食べものの表面を白々と照らしていた。「起こしちゃってごめんね。ちょっと、おなかがすいて」 はにかむともちゃんの、まるいほっぺをゆびでつつく。「嘘。今日、夕ごはんいっぱい食べてたじゃん」「うん。でも足りなくて」 言いながら、あとひとつ、とバタークッキーに手を伸ばして、ぺろりとたいらげる。「止められないの。だめってわかってるのに、食べちゃうの。おなかがすくの」 ほおばったクッキーをていねいに咀嚼しながら、彼女はぽつりとつぶやいた。「さみしいときって、いつもより、おなかがすくでしょう」 伏せられた瞳に、胸がぎゅっとしめつけられる。 彼女はいま、恋をしているのだ。決してかなわない、かなしい恋を、しているのだ。 好きなひとができた、とともちゃんに告げられたのは、一か月ほど前のことだった。ちょうどルームシェアを始めて一年が経つ日で、わたしたちは二人でささやかなお祝いのパーティをしていた。「ほんとに? 相手はだれ? どんなひと?」 わたしは嬉しくて、思わず身を乗り出した。大学の入学式でともちゃんと出会ったときから、彼女がこういう話をすることは一度もなかった。彼氏ができたと言ってはよろこび、ふられたと言っては泣くわたしを、ともちゃんはいつも優しく見守っていてくれた。今度は、わたしがお返しする番だ。せいいっぱい、ともちゃんの恋を応援しよう。そう思っていた。「年上のひと、なんだけど」 ともちゃんは妙に歯切れが悪かった。照れているのだと思いこんだわたしは、にこにことあかるく微笑みながら訊ね返した。「いいなあ! 年上ってなんか素敵だよね。いくつくらい離れてるの?」「二十五歳差」 え、と笑顔が凍りついた。ともちゃんは淡々と話しつづける。「古和先生っていう、私の入ってるゼミの先生なの。今年で四十六歳。奥さんも、子供もいる」 わたしはどう返事をすれば良いのか、わからなかった。わたしの知っているともちゃんは、真面目で優しくてすこやかで、こんなドラマの中のような恋をする子ではなかった。「ともちゃん、そのひとのことが好き?」 おそるおそる訊くと、ともちゃんはこっくりとうなずいた。その瞳は、きれいに澄みとおっていた。 あれからもうすぐ一ヵ月が経つ。ともちゃんは夜な夜な起き出しては、ものを食べるようになった。さみしさでからっぽになったからだをみたすように、いっぱいいっぱい、食べるのだ。「好きなの」 ふいに言葉がこぼれる。テレビの方を向いたまま、ともちゃんは呟く。「好き。好き。大好き。本当に、好き」 ともちゃんはぽろぽろと涙をこぼしはじめる。めったに泣かないともちゃんの涙。わたしの胸にも、かなしみがあふれる。唇を噛みしめて、彼女のぷっくりした小さな手をそっとにぎった。「だめなことはわかってるの。先生には家族がいるし、私はでぶだし、もう本当に、どう頑張ったって無理なことは、わかってる。でも、じゃあ、この気持ちはどうすればいいの? どこに向ければいいの?」 おどろくほど大きな涙粒が、頬を伝い落ちる。それ以上見ていられなくて、わたしは目を瞑った。「こんなに汚く食べ散らかして。私、ぶざまだね。かっこ悪いよね。ごめんね」「そんなことない」 わたしはともちゃんの手をさすりながら言った。「そんなことないよ」 うすく瞼をあげると、ともちゃんが泣きながらチョコレートを齧っているのが目に入った。唇をべたべたにして、静かにぼろぼろと泣いている。 その瞬間、わたしは彼女を美しいと思った。大好きなひとを強く想って、泣いている女の子。ひとがひとを好きだとおもう気持ちが、ぶざまな訳ない。かっこ悪くなんかない。ともちゃんの心は、きっとこの世の何よりも美しい。 最初から絶対にかなわないとわかっている恋。誰も悪くない。だからこそ、こんなにもかなしい。かなしくて、うつくしい。 鼻をすすりながら、ともちゃんは言った。「でもね、好きにならなければよかったとは、思えないの。こんなに苦しいのに、どうしてだろうね」 にぎった手に力をこめながら、いつかこの子が幸福になれますように、とわたしは願った。この恋はきっとかなうことなく散るのだろう。頭ではわかっている。それでもどうにかして、幸せになってほしかった。先生が奥さんと別れればいいとか、そういうことじゃなくて、ただ、心優しい、わたしの親友が救われることを、ひたすら祈った。 夜は、静かに更けてゆく。
橋は二段構造になっていた。歩道は下段にしか設置されていないが、上段の影に入っているので見通しが悪いうえ、狭いのでいざというときの逃げ場がない。柵を越えた先にあるのは海だ。高さは目測で二十メートルといったところだろうか。十メートルで水面はコンクリートの硬さになると聞いたことがある。飛び込みや着衣水泳の訓練を受けたことのない私は、無事に岸まで辿り着く自信がなかった。 一方、上段の車道は大小の車がばらばらに停止し、遊園地の大迷路の様相を呈している。こちらも必要がなければ避けたい道だったけど、一本道よりかはいくらかましだと思えた。道中で有用な道具が見つかる可能性もある。行くなら上段しかない。背中のリュックに括りつけた金属パットの存在を右手で確かめ、私は気持ちを奮い立たせる。 予想していたとおり、車の中には白骨化しかけている古い死体が散見された。あの日、パニックになった人たちが一斉に島から出ようとして橋の上で渋滞を起こしたことは想像に難くない。無事にこの橋から逃げおおせた人も中にはいただろうか。道すがら、ドアから転びでた死体のポケットや車のダッシュボードを探り、ライターや十徳ナイフといった小物を掠め取っていく。幾つかの車は給油口が開きっぱなしになっていた。私のように後でやってきた者にガソリンを抜かれたのだろう。 奴らの呻き声が聞こえて身構える。足元からだ。上の道を選んで正解だったな、と一息ついて、何気なく跨ごうとした死体に目が止まった。見覚えるのある服装だ。米軍の払い下げ品のミリタリーコートに、編み上げブーツ。この期に及んで好んでこんな仰々しい格好をする人物はそう多くないだろう。うつ伏せになっている死体の頭を蹴り、腐りかけの顔――しかし周囲の死体とは進行具合が明らかに異なる――を露わにする。やはり、それはひと月ほど前に別れたばかりの岡くんだった。 岡くんとは駅前のビルの地下二階にあるスーパーマーケットで会った。私はエスカレーターの手すりをぎゅっと握りしめ、なるべく物音を立てないよう一段一段慎重に降りていた。最後の一段から足を踏み出そうとした瞬間、風切り音とともに頭のそばを何かがかすめた。背後で壁に物が当たる硬い音がして、それが矢であることを悟った。全身を駆け巡る戦慄が不思議と私を冷静にさせ、すぐさま口を開かせた。「私に敵意はありません」 ドラマや映画の中でしか聞かない台詞。これが彼と最初に交わした言葉になった。まるで未開の地に済む原住民とのファースト・コンタクトだ。今では思い出すだけで吹き出してしまう。 岡くんにカップ麺の容器に淹れたインスタント・コーヒーを分けてもらいながら、私は彼の弓の腕を褒めた。一センチほど外したとは言え、電気系統が止まり、一筋の陽光も届かない暗闇の中で動く標的を狙っていたのだ。素人目にもそれが容易でないことはわかる。彼は自分が高校で弓道部の次期主将候補であったことを告げ、続けてこう言った。「声をあげてもらって助かりました。何も聞こえなかったら二発目を射るつもりだった。奴らは声をあげないから」 嘘か真か、彼はわざと矢を外したのだ。 それからスーパーマーケットを拠点として、岡くんと共に行動していた。冷蔵・冷凍設備が機能していないために新鮮な食肉は期待できなかったが、倉庫には大量の缶詰やペットボトル飲料が残っており、食糧と水分には当分困らなかった。毎日少しづつ街の地図を開拓し、他の生存者や街の外への連絡手段を探した。岡くんの高校生とは思えない慎重な行動指針は、今日まで生き残る上で非常に役立った。彼は荷物から一冊の本を取り出して見せてくれたことがあった。サバイバル教本。家族と死に別れて独りになったとき、最初にしたことが本屋に行くことだったらしい。彼より一回りも年上である私は、そうした行動に思い至ったことすらなかった。 この出会いがなかったら、今ごろ私の肉体はどこかの道端で腐り始めていたに違いない。それが寝ているか起きているかはともかくとして。 もちろん、彼と出会って得られた一番大きなメリットは、サバイバルの知識や豊富な食糧などではなく、私が独りでないというそれだけの事実だ。彼と街を探検する時間は、修学旅行で友人とともに見知らぬ地を歩んだ記憶を思い起こさせた。驚くことに、この滅茶苦茶になった状況を、私は楽しいとすら思い始めていたのだ。 ある夜、上階の家具売り場のベッドで寝ていた私は、不審な物音に目を覚ました。警戒した私はベッドに立てかけていた金属パットを手に取った。柱と柱の間に吊り下げられたハンモックに人の姿はない。階段とエスカレーターを監視できる位置にあるので、岡くんはそこを好んで寝床にしていた。トイレに出かけているのかと思ったが、トイレなら同階にもある。物音は下へと続く階段から聞こえてきた。その不規則なリズムは明らかに人為的なものだ。岡くんがの呻き声が聞こえた。私は意を決し、金属パットを構えて階段を駆け降りる。 階段の踊り場、可燃ごみや不燃ごみ用のかごの前に音源はあった。彼はそこに立ったまま、陰茎に布を巻きつけて手淫をしていた。暗がりでよく見えなかったが、その布が何かはすぐに気付いた。私が捨てた下着だ。洗濯の手間を考え、服は使い捨てにしていた。 彼と目があった。何の表情も浮かべていなかった。私は恐怖を覚え、ひ、と小さく悲鳴を上げた。彼は汚した下着を再び屑かごに戻すと、すぐさまその場から走り去った。何も考えられなかった私は、彼を追いかけることができなかった。そのとき以来、今日まで岡くんとは一度も会っていなかった。 彼のコートの内ポケットを探ると、例のサバイバル教本があった。本の後ろには何も印刷されていない空白が数十ページあり、彼はそこに手記を記していた。 手記の最初の方には、どこに食糧があった、どこに危険地帯があったかなどの実用的な情報しか記されていなかったが、私と出会った日から、段々と感情的な描写も増えてきた。どこか飄々としていた彼も、私と同じくらいあの日々を楽しんでいたということを知って、微笑ましく思った。私と別れて以降の日付には、彼の自責と後悔の言葉ばかりが綴られていた。それを読んでいると私の中の罪悪感がぶり返してきて、ページを捲る手が早まった。 生きて会うことがあれば、優しく声をかけるつもりだった。結局のところ、彼は十も歳下の子供なのだから。 手記の最後のページを開いた。彼も今の私と同じように、島を目指すことにしたらしい。だが、この橋の上で感染者と格闘している間に噛まれてしまい、理性を保てるうちに自らナイフで頸動脈を切る決心をしたという。 その後には、恵まれた家族と友人に囲まれて暮らした、かつての日常を感謝する言葉が述べてあった。「……ぼくはぼくなりの幸せを享受したと思います。ただ、あとひとつ心残りがあるとすれば、女性と関係を持てずに死んでいくことだ。冗談みたいだが、これは本気なんです。ほんとうに嫌になるけど、死を目前にして、ぼくの頭はそのことでいっぱいだ。きっと動物的本能なのでしょう。でも、これからはそれに悩ませられることも無いのかと思うと、少し清々します……」 彼らしい馬鹿正直な言葉に、思わず私は笑ってしまった。手記の最後は、みみずの這ったような字でこう締めくくられていた。「……意識が朦朧としてきました。最後に、この手記を読んでくれているあなたへ。わずかな時間でもあなたの孤独を忘れさせることができたのなら幸いです。どうか生き延びてください」 どこまでもよく出来た子だと思った。私は岡くんの目蓋を閉じ、蛆虫の蠢く唇にそっと口づけをした。 手記をリュックの中に入れ、私は再び島に停泊しているフェリーを目指した。