Re: 即興三語小説 ―「溶ける」「錬鉄」「帰れない」 ( No.1 ) |
- 日時: 2018/06/17 20:26
- 名前: マルメガネ ID:Gz9Aac16
錬鉄工場
炉に一心不乱に石炭を投入していたリチャードは、石炭用のスコップを置き、真っ黒になった顔を拳で拭った。 炉は長大な、形状としては徳利を横倒しにしたような反射炉である。 その中には、製鉄して得られた、鋳物鉄、銑鉄が押し込まれており、彼が焚口に石炭を投入していたのは火力を上げ、中にあるそれらの鉄を溶かすためである。 炉の中ほどには小さな窓がいくつか開けてあり、ときどき蓋を開閉しながら、錬工が長い鉄棒でかき回し、絡みついた錬鉄を取り出している。 「おい。リチャード。もっと焚け。温度が上がっておらぬ。このままじゃ帰れないぞ」 錬工の親方が怒鳴った。 「溶けない?」 「いや、溶けるが、全体的に温度が上がっておらんのだ」 親方に言われて、リチャードは再び炉の中に石炭を放り込み始めた。 この時代。つまり十八世紀の終わりはこのようにして、鋼ではなく軟鉄を得ていた。それらをするにはかなりの経験と勘だけが頼りの職人技であり、今からすればかなり効率の悪い方法であった。 少なくとも溶解した銑鉄、鋳物鉄をかき混ぜることによりその部分が脱炭させる方法と言うことでパドル法と呼ばれる。 そこで得られた錬鉄は様々に利用されていたが、脆い欠点があった。 ドイツでは木炭製造のために山あるいは原野の森林が丸裸になり、その反省から植林事業が始まり、黒い森が誕生している。 製鉄は需要の高まりから新たな製法を編み出す過渡期だったのである。 リチャードは十九世紀の初めに生まれ、一大重工業国になっていたイギリスのベッセマー氏が転炉法を編み出しつつあり、錬鉄工場も存続の危機にあった。 やがて、ベッセマー氏が編み出した転炉法が成功し、幅広く行われていたパドル法も姿を消していった。 リチャードが勤める錬鉄工場の最後の操業が行われた後、そこは歴史の彼方に消えた。
|
|