Re: 即興三語小説 ―桜散る季節― ( No.1 ) |
- 日時: 2015/04/05 23:43
- 名前: 星野日 ID:3nHOUd6E
「夜桜」「いいね!」「吟醸」「新生活」「手始め」
「ありがとうございましたー」 バイトのポア子ちゃんが、いつもの気の抜けた声で客を見送った。その客が出て行ったのを確認してから、窓際の席に座る穴山さんは俺を手招きする。 「ワトソンくん、ワトソンくん」 「ワタヤマです」 これはいつものやりとりだ。穴山さんは彼は探偵物の作家先生らしく、「渡村」という苗字の俺を気に入ってあえてワトソン呼ぶのだ。時たま近所で事件が起きると、与太話として彼の推理を披露するのだが、それがたいていトンチンカンの穴だらけで、ポア子ちゃんなどは「迷探偵ホールズですね」などと言う。お客さんの悪口はいっちゃダメだよと叱るのだが、彼女は穴山さんが「ポア子ちゃん」というあだ名を考案して定着させたこと恨んでいるのだ。彼いわく、「そりゃあ、ポアロといえば小太りで…」とのことらしい。ちなみに彼女の本名は田中優子といって、脳みそが灰色の元将校探偵とは全く関連のない名前だ。 ともかく、ホールズこと穴山さんは俺を席の近くに呼ぶと、アメリカンのおかわりを注文した。 「それとさっき出て行った彼ら、常連さんかい」 注文のついでと言った風を装って彼は言う。しかしつい先ほど、カップ半分ほど残っていたコーヒーを一気に煽っていたのでこの質問が本命なのだろう。 「一ヶ月くらい前に引っ越してきたみたいですよ。新生活を始めた若夫婦、ってかんじでしたね」 あまりお客さんのことを別のお客さんに話すのはよくないのだが、穴山さんはそれなりに気の知れた方なので大丈夫だろうと話した。なにより、話渋ると彼はしつこいのだ。 厨房に戻ると、ぼんやりとした表情でアルバイトの明智くんが新聞をめくっていた。エスプレッソマシンの使い方もなかなか覚えられなかった、見た目通りのぼんやりとした大学生だ。 「君は脳みそが足りないね」と物覚えが悪い彼へつい愚痴ったら、 「足りないのは説明書っす」 と切り返してきたので、なかなかどうして口も減らない。 俺がコーヒーを淹れていると、明智くんが後ろで呟いた。 「ホールズさん、きっとぞうさん公園の桜の話をしますよ」 なんとか耳に言葉が届いたが、もっとはきはきと喋って欲しい。 「ほう、なぜだね」 振り向かずに尋ねてみる。ぞうさん公園というのは近所の公園で、ぞうの滑り台が置いてあるために近隣でそう呼ばれている。 「一昨日、ポア子と夜桜を見に、酒を持ってあの公園に行ったんですよ」 「ほう、いいね! 君たち付き合ってたのか」 「そしたらさっき出て行った新婚さんがいましてね、桜の枝がどうとか、なかなか手に入らないとか話していたんですよ。目の前で桜の枝をおられたりしたら気分悪いですし、そのまま僕の家に帰って普通に晩酌したんです。入れ違いで穴山さんとすれ違って」 「なるほど、彼もその話を聞いたかもと。ところで君、あの夫婦をだしにして美味いこと彼女を自分の家に引っ張りこんだね」 「その時、ポア子が摘みにお好み焼きを作ったんですが、後を引く味というか、糸を引く味というか」
何の話をしているかわからなくなったところで、コーヒーが淹れ終わり穴山さんのところへと持っていった。 「ところでワトソンくん」 「ワタヤマです。桜の話ですか」 穴山さんは、口に持っていきかけたカップを止めて「ほう、耳が早いな」と呟いた。芝居がかった仕草に、背後で「ちっ」とポア子ちゃんの舌打ちが聞こえた。後で叱っておこう。 「おおかた明智くんが話したのだろう。しかし、残念だったな明智くん、というやつだ。真実は小説より奇なり。桜は桜でも、彼らが話していたのはおそらく桜肉、つまり馬の肉のことさ」 「はあ、そうですか」 でたよ、面倒くさい穴山さんの推理。 「君は彼からどんな話を聞いたのかね」 「たしか、桜の枝がどうとか、枝がなかなか手に入らないとか」 「私が聞いたのもそのような話だった。肉と枝といったら枝肉、つまり手足を切り落として肉のことにほかならない。馬の枝肉が欲しいがなかなかな手に入らないということさ。つまり……彼らみずから馬を殺して肉を手に入れようという画策をしていたのだ。殺人計画だよ」 「そうですか。めんどうくせえな」 「心の声が漏れてるよ、ワトソンくん。いいかね、思考とは自転車のようなものだ。一度うまく乗れるようになると、かえって転ぶのが難しくなる。しかし真実とはドロの中に埋もれているものなのだ」 そこまで一息にに話すと、彼はコーヒーで唇を濡らした。 「うふふ、今のセリフいいな」 また背後でポア子ちゃんの舌打ちが聞こえた。
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落ちはないかんじで
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