月を映す ( No.1 ) |
- 日時: 2011/04/17 22:54
- 名前: HAL ID:WF8rfg.6
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
湿った夜気を頬に受けて、惣一郎はふと空を仰いだ。先ほどまで冴え渡っていた月に、いつの間にか叢雲がさしている。さあっと音を立てて、桜の花びらが舞った。 ふるい小さな社がひとつあるばかりの、古い神社だ。それでも氏子が丁寧に清めているのだろう、境内に荒んだようすはなかった。 夜桜の下、女が立っている。 朧な月明かりに照らされて、その頬が白い。何を思っているのか、顔を上げて、張り出した枝を凝っと見つめている。結わないままの髪が、風に流れた。 「そうしていると、幽霊画のようだな」 声をかけると、女――あやめが振り返って、紅をさした唇をつりあげた。 「おぬしのような男でも、冗談をいうのだな」 「なんだ、それは」 ふふ、と笑って、あやめは髪についた桜の花びらを、指でつまんだ。その爪は長く、鋭い。 「鬼に向かって、幽霊のようだもあるまいに」 くつくつと喉をならして、あやめは再び桜の枝を仰いだ。 「お前のような鬼女でも、桜は愛でるのだな」 仕返しのようにそういうと、あやめはふっと真顔になった。 「呑気なことだ。一族の惣領息子ともあろうものが」 なに、と訝って、惣一郎は懐に手を入れる。その手を引き出したときには、札を握っている。 風もないのに、桜の影が揺れる。とっさに飛びのくと、音を立てずに、幼児ほどの小さなものが地面へと降り立った。とっさに札を叩きつけようとする惣一郎よりも早く、それは飛びのいて離れた。その場で静止して、それはうずくまった。 一本角の、小さな鬼だった。醜く引き攣れたような肌は青白く、手足が骨ばっている。黒々とした眼が瞬きもしらずに、凝っと惣一郎を見上げた。 祓わないでくれと、その目はいっているように見えた。 惣一郎はたじろいだ。その隙をついて、小鬼は奔っていった。瞬きする間に、闇に溶けて見えなくなる。あやめが、くくっと喉を鳴らした。 「甘いことだ」 うるさい、とふてくされて、惣一郎は札を懐に仕舞った。 「お前を探していた」 あやめは手のひらの上の花びらに息を吹きかけて飛ばすと、振り向きもせずに空を見上げた。 雲に巻かれた月が、その黒い瞳に映りこむのに、惣一郎は見惚れた。鬼の瞳にも、月は映るらしいと、何とはなしに驚きながら。 「赤紙が来た」 その言葉の意味するところを、そういえばあやめは知っているだろうかと、惣一郎はふと思った。それほど、あやめの表情に変化がなかったからだ。 だがあやめは、神木にもたせかけていた背をゆっくりと起こして、面白がるように目を細めた。 「それで、いくさ場へ行く気か」 「ああ」 惣一郎が肯うと、あやめは不思議なほど優しげに微笑んだ。 「何とでも逃れようはあろうに」 その言葉もあやめの表情も、意外に思えて、惣一郎は眉を吊り上げた。 「鬼らしからぬ言い分だ」 「お前は、いくさは好かぬだろう」 肯定も否定もせずに、惣一郎は肩をすくめた。風が枝を揺らし、桜吹雪が舞う。それに眩惑されるような思いで、惣一郎は鬼の微笑を眺めた。 「まあ、そういう愚直なところが、お前らしいといえば、お前らしい」 憮然とする惣一郎の目を、からかうように覗き込んで、あやめは唇を吊り上げる。そこにのぞく鋭い牙が、月明かりを弾く。 「わたしにとっては好い知らせだ。これで当分は、飢えずに済むだろう」 楽しげにいって、あやめは惣一郎の肩にもたれる。その長い爪の背で、からかうように惣一郎の首を撫でた。 「ついてくる気か」 「ついてゆかぬ理由が、なにかあるか」 少し考えて、惣一郎は首を振った。鬼が戦場をきらう理由は、たしかになかった。体重のないようなあやめの腕に、されるがままにしながら、惣一郎は頼み込むような気持ちで口を開いた。 「喰うなら成る可く、敵方の兵隊か将校にしてくれ」 ふ、と笑って、あやめは体を離した。背を向けて、音を立てずに歩き出す。鬼たちはいつも、滑るように夜を歩く。 「そうしよう。ほかならぬお前の頼みなら」 その言葉を信じていいものか、心を決めかねながら、惣一郎は頷いた。人を喰らうおそろしい鬼であるはずなのに、ときおり妙に優しげな顔をする、妙な女の背を見つめながら。 「お前はいったい、冷酷なのか、それとも情け深いのか」 「それをわたしに訊くのか」 あやめは足を止めて、くくっと喉を鳴らした。 まったく、妙な人間もいたものだ。謡うような調子でそういって、あやめは惣一郎の腕を取った。 なまなかな鬼よりもよほど陋劣な人間もいるのだから、人より情け深げな鬼がいても、別におかしくはなかろうよ。もっとも、鬼の情けが、人のそれと同じかどうかは、知らぬことだが。 そういうあやめの声は、春の宵闇を揺らす風のようだった。 腕を組んで歩く二人の頭上に、桜の花弁が降りしきる。あやめがうるさそうに、花びらを払う、その指が白い。 どこか遠くで、夜汽車の汽笛が響いた。
---------------------------------------- 遅刻しました! 75分くらい。前ーーに三語で書いたものの過去話だったりします……初読の方にはわけがわからない気もして、なんていうか、申し訳ないです……(汗) 途中、いっかい削除していろいろ訂正しました……もし訂正前のをごらんになった方がいらっしゃいましたら、大変失礼いたしました!
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