Re: 即興三語小説 ―夏休みの宿題はこれから― ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/30 01:58
- 名前: 星野日 ID:vGH5AKHM
カレーといってもスポーツにすぎない。そう言ったのは、第一次世界大戦の頃に活躍したイタリアの軍人だったと思う。 この言葉にはおそらく、スポーツを所詮遊戯だと見下す、軍人らしい意図があるのだろう。しかし今や、まさに人類は命をかけて、このスポーツに情熱を燃やしているのである。
記念すべき第百回目の冬季カレーリンピックは、我らが国の首都、八王子で開催された。 カレーと言えば浜松だろうと思う人もいるかもしれないが、正真正銘のカレーの聖地は八王子なのだ。カレーはインドが産み、北海道の大地で育ち、八王子で巣立ったと行っても過言ではない。それほどまでに八王子はカレー史にとって無くてはならない場所である。だが、あまり熱く語ると本論からそれすぎてしまうので、この話はここまでにしておこう。 カレーを語ろうとするとき、その人はカレーの迷路に入り込んでしまう。その要素を挙げきれないほどに複雑で魅力的なカレー。 だがその歴史は決して、輝かしいだけのものではなかったのをご存知だろうか。
カレーを食べると汗が出るのは、一口でもカレーを食べたことのある人ならば周知の事実であろう(よもやカレーを食べたことの無い人はいないと思うが)。そう、汗が出る。カレーはスポーツであるので汗が出る。身体を動かしていないのに汗が出る。忘れがちであるが、これは異常なことである。 適度の発汗は体調を整えるが、何事も過ぎれば毒となる。 つまりカレーは兵器となりうるのだ。 第二次世界大戦の中期。日本軍がソ連軍に対して行った前代未聞の戦術とはすなわち、カレー爆弾である。 当時、世界中の新聞が「日本海軍のカレー好きもここ迄に至れり」と戦々恐々したと今日に伝わるあの、カレー爆弾だ。 酒を飲まないアマゾン奥地の種族に酒を振る舞うと、普段から酒を摂取する民族と比べ用もないほどに酩酊し、もはや毒のような効果を発するという。 カレーに馴染みのないソ連軍にとってもそれは同じだったようだ。六月を過ぎてもまだ粉雪の舞うシベリア。凍える大地を溶かしたカレー爆弾に、国民たちは混乱し、政府が瓦解しかけるという結果となった。もちろんコレは、当時、カレーに出場していなかったソ連だったからこそ有効な手立てであり、非常に合理的な判断に基づく作戦だったのである。だがカレーは平和利用にのみ使用すべきだという、この作戦への非難は、至極まっとうなものだろう。 話は逸れるが、この作戦の成功により、以降、日本軍には派手で奇抜な作戦を好む一派が勢力を伸ばす。竹槍対空砲、風船を改造した爆弾、鳥人間計画等、滑稽無糖な計画が立ち上がっては血税を食いつぶし、果ては日本の敗戦の一因となっていく。アニメや戦隊物ドラマ等の架空作品で「カレー好きは何処か呑気で抜けている」というイメージをつけられるのは、こんな歴史を背景にもつのかもしれない。 そんな歴史を共有するソ連とカレーリンピックで戦うのは、今年で八十二年目となる。
カレーといえばその鼻孔をくすぐるスパイシーな匂い、それから立ちこめる湯気、熱気、そんなものが思い浮かぶだろう。 そしてその誘惑と、油断すれば容赦なく削られる体力。あまり詳しくないものは、忍耐のスポーツと思いがちだ。 その実、カレーにはバランスが要求される。 本式のカレーでなくてもいい。少し町に出て、そこで見つけたカレーショップに入ってみよう。 やはり、店で出すようなカレーは完成されている。白米のしっとり具合、カレーの味の濃さ、一緒に出るお冷の温度、そしてそれぞれの分量。最後の一スプーンで、ご飯とルウが同時になくなるよう、計算し尽くされているのだ。しかし、このような完璧さも、食べる側にしっかりとしたバランス感覚がなければ、全く無駄に終わる。プロのカレー選手は、このような店で日々バランスを磨いているのだ。 カレーリンピックの時期には、一夜にして百トン以上のカレーが消費されるという。 選手も、審判も観客も、だれもかれもがカレーを食べる。 陸も海も空も、熱気や冷静さまでもがカレーになる。 カレーに生き、カレーの上で踊り、カレーを敷いて眠り、カレーを敬い、カレーに抱かれて揺られる。 カレーリンピックは、カレーに始まり、カレーに終わるのだ。 胸焼けを通り越して、カレーが水や空気のように感じられてきた頃、ようやくカレーリンピックは幕を閉じる。 そして、祭の後はラーメンを食べよう。
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