「同窓会殺人事件」 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/02/04 03:59
- 名前: Φ ID:67xqxy.M
つまらない日常を送っていたというつもりはない。一部上場の製薬会社に勤め、女子大卒の妻と暮らし、今や一児の父親でもある。他人から見れば幸せな毎日を送っている人間のひとりと思われるだろう。俺だってことさら自分が不幸だと言うつもりはない。 そう、確かに幸せだ。だが、幸せと満足は別だ。人間の欲望には底がない。人の心は常に無い物ねだりの連続だ。 高校の頃、文芸部に所属していた。最も多いときでも六人程度の小さな部活だったが、ひとりひとりが純文学や推理小説や詩といったてんでばらばらのジャンルに打ち込み、月に一度はその雑多な作品たちをまとめあげて文集を出していた。いや、作品というにはあまりに稚拙な代物ばかりだったが、それでも皆が熱心に活動していた。 どんな人間にもある時期だ。誰もが自分には特別な才能が眠っていると確信し、その才能が花開く瞬間、いや、その才能が誰かに認められてもらう瞬間を心をときめかせて待っている。 そう、誰もが一度は見る夢だ。そして夢は覚めるものだ。自分には才能がないと悟る。もっと大事なものがあることに気付く。そんな夢を見ていたことなんて忘れるほどに忙しくなる。この混沌とした世の中でたったひとつの思いを貫くことほど難しいことはない。 先週の土曜日、駅ビルの高階にある居酒屋で同窓会が開かれた。とはいっても、この情報化社会の現代だ、同級生の誰もが似たり寄ったりの人生を送っていることは既に知っていた。受験して、浪人して、大学に入って、恋人を作って、大学を出て、企業に就職したり、公務員になったり……。中には大学を早々に辞めてフリーターになり、飲食店勤めを転々とする内にやがて自分で店を開く者もいた。同窓会はそいつの開店記念でもあるというわけだ。 同窓会に顔が見えない同級生たちもいた。ある女子などは、痴話げんかの末に男を殺して三年間服役していたと聞く。幹事は一応彼女を誘ってみたものの、「行けるわけない」と一蹴されたらしい。それは流石に特異な例ではあるが、他にも顔を合わせたくない理由を持つ同級生は何人かいた。失業中だったり、ひきこもりだったり、精神を病んでいたり……。 一杯目のビールがほどよく回って頬を赤らめた頃、俺の頭には文芸部の仲間であったTの顔が浮かんでいた。夏目漱石や太宰治を敬愛していた男だ。いやいや、もっと色々な作家の薀蓄をしたり顔で述べていた記憶はあるが、俺は今も昔も日本文学に疎い人間なので、それくらいしか思い出せない。 彼は一体どうしているだろう。大学に入ってからも、一、二度だけ会った記憶があるが、確か文学部に入り、未だに執筆活動も続けていると言っていた。俺は大学で始めたフットサルの練習で忙しくなり、まったく書くことを止めていたから、段々と彼に会って創作に関する話をするのが苦になっていた。今思えば、あれは自分の持っていた夢に対する後ろめたさでもあったのかもしれない。 俺は幹事にTがこの場に来ているかを尋ねた。幹事は彼の名前を聞き返した。俺はTが部外では大人しく、部内でも気むずかしい人間であることを思い出していた。あの性格では多少なりとも挫折を経験したことだろう。この場にいなくても不思議ではない――心の何処かでそう期待していた気がする。 「ああ、T先生のことかい。あっちのテーブルで女子たちにサインを書いているぜ」 俺はそれまで、その賑やかな一角が別の客たちだと思っていた。今日は貸切であることを忘れていた。 「やあ、久しぶり。ここに座ってくれよ」 テーブルの様子を見に行った俺に、Tが先に気づいて言葉を投げかけた。Tは年不相応に扇情的な格好でまとわりついていた女子(もちろん独身だ)を払いのけて俺にスペースを作った。 「文芸部は君と僕だけかな。いや、Kの顔もさっき見た気がする。ちょっと探してみよう……」 幸い、同級生の文芸部三人はひとりも欠かすことなく同窓会に顔を出していた。少しばかり昔話に花を咲かせ、すぐに話題は互いの現在のことに移った。 当然、話題の中心は二年前に作家デビューしていたTだった。俺はそのことをまったく知らなかった。 「君にも報告をしようと思ったのだけど、連絡先がわからずじまいでね」 そういってTは鞄の中から一冊の本を取り出し、扉のページにこなれたサインをした。俺は受け取った本のタイトルを見て、書店で平積みされたのを見たことがあることに気付いた。ただし推理小説のコーナーで、だ。 「推理小説は君の専門だったね。あの頃に色々教えてもらったこと、本当に感謝しているんだ。いや、もちろん僕が書きたいのは今でも純文学さ。気持ちはあの頃から一度もぶれたことはない。でもある日、持ち込みをしていた編集者に言われたのさ。ただでさえ紙の本が売れない時代に、何の衒いもない純文学なんて売れると思うか、ってね。たとえ伝えたいことがあっても、理解してもらうかどうかの前に、そもそも読んでもらわなきゃいけない。手にとってもらわなきゃいけない。本当に人に読まれたいと思うなら、その手段を選ぶべきではない。狼が人に嫌われるならば、人の皮を被ればいいじゃないか。安心して近付かれるまで牙を隠してればいい……ってね」 Tたちの誘いにもかかわらず、俺は二次会まで付き合わず家にまっすぐ帰った。書斎に入り、わずかな推理小説以外、仕事に関する本ばかりの並んだ本棚を一瞥して、すぐさまTの本を読みにかかった。 俺が昔、Tの文章を読んだことがあったり、Tと直接議論を交わしたことがあったからかもしれない。書いてある言葉はどれも胸の中にすっと入っていった。 閑静な住宅街で殺人が起きるところから物語は始まる。刑事が事件を追ううちに、被害者家族を取り巻く複雑な人間関係が明らかになる。不倫、DV、パワハラ、いじめ……昼間に流れる再放送のミステリドラマの中に、まったく同じ筋のものがあってもおかしくない。ネットで知り合った第三者を利用したアリバイトリックというのもアンフェアでつまらない。しかも、物語は明らかに犯人の動機に矛盾を残したまま終わっている。駄目な点を挙げれば両手両足の指では足りない。 だが、その本は面白かった。悔しいことに、俺はその本を面白いと感じた。 Tは成功している。推理小説としての出来はそこそこでも、彼の思想は嫌でも読んでいる者に浸透してくる。それは一種の人間賛歌だった。たとえどんな悲劇が繰り返されようと、人間はただ生きていく。それ故に人の営みは素晴らしい、という。 よくやった、とTにエールを送りたかった。 同時に、推理小説としては俺が高校時代に書いていたものの方がまだ面白いぞ、とも思った。当然じゃないか。推理小説は俺の専門だったのだ! 一ヶ月後、俺はどうにか仕事の合間を縫って、有給休暇を一週間取った。家族サービスで伊豆へ旅行に、とだけ同僚たちには告げている。 しかし昼間は妻と子供に海水浴をするよう言いつけ、俺は旅館の和室でテーブルに向かってウンウン唸っている。わざわざ高校時代に愛着のあった万年筆と原稿用紙を押入の奥から取り出したのだが、十年以上忘れていた文章のセンスを一日二日で取り戻せるはずがない。 そして何より、良い物語の筋が思い浮かばないのだ。どうもTへの嫉妬心ばかりが頭に渦巻いていけない。 くそ、わざわざ仕事を休んだ上に家族とも時間を過ごさないで、父親失格じゃないか。俺はなんて馬鹿な真似をしているのだ。あのときTに会おうなどと思わなければよかった。そもそもTが同窓会に来ていなければよかったのだ。Tがデビューなどしていなければ。いや、いっそ、Tがこの世からいなければ……。 俺は古びた原稿用紙に、"同窓会殺人事件"という仮題を書き付けた。
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この物語はフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません。
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