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RSSフィード [18] 意訳詩
   
日時: 2011/10/31 12:06
名前: 闇の吟遊詩人(闇雅人) ID:Ru30e.qY

昔、私がTCの常連だったころ、管理人の闇さんに提案して拒否された企画(苦笑)。裏でやるならいいでしょう。参加は自由です。ちなみに「外国の詩」を「教科書的に直訳」せず、「意訳して日本語の詩」にする「意訳詩」というジャンルはあります。上田敏の『海潮音』や、佐藤春夫の『玉笛譜』などがその例です。

なお、TCから離れるにあたり、私の記事は全て削除しておきます。私の企画で孤軍奮闘してくれた「うんこ太郎さん」の応援のために「一時的に」投稿したランボーの詩も削除します。では、失礼致します。もう二度とここへは来ません。

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少し考えてしまったので ( No.50 )
   
日時: 2012/11/26 23:04
名前: 楠山歳幸 ID:uFghQA2w

 少し考えてしまったのでまた書かせていただきました。

 家長制度という発想なのですが、寒村の場合末っ子になるほど生活の場が厳しくなっていくだろうと想像します。そこへ明治から人口増加に加え外国が身近になって食も豊だと知ったわけですね。都会へ出るという発想は貨幣的発想と思いますし、地方の貧しい村はまず食いものを求めたことでしょう。
 そんな理由もあって?移民が増えたと思いました。でも帰国できた人はよほど成功した人か、網元の親族の一握りの人たちだったかもしれません。二世あたりになると、移民先の影響のほうが強く、日本は自分たちを捨てた国なんて思うかもしれません。
 ということを大大大大前提に一歳未満の脳みそでウケ狙いで、訳を参考にN.41を読んでみます。
 
 私たち(移民一世の)日本人はアメリカに住んでいても日本の感覚と日本の風習(pride)と日本の考え方で全て日本人らしい感覚と考えで生きていても何事も無く問題もなかった。それからしばらくして(二世の代になって、自分は)半分だけ日本人になった。なぜなら「アメリカ」だけ(one)で生まれたのではなく(not)「アメリカ」だけで育ったわけではなく「アメリカ」だけで教育されたわけではないのだから。
 しかし(二世の場合は)米人ハーフだけでは(人として?)認められない、それは(人として?)半分空虚だと思い知らされた。私は日本人の息子でもなければアメリカ人の息子でもないのだ。

 笑ってください。

 
 http://www.jica.go.jp/kansai/event/report/2011/20111205.html

 というサイトになぜ和歌山県から多くの移民がでたのか?という欄があります。若い頃雑賀崎の方に昔の人は小舟で台湾まで漁に行ったと聞いたことがあります。一畳の魚棚を探ることもできたとおっしゃっていましたから当時の人は今より感覚で生活していたかもしれませんし、昔の人は潮や星などを知れば海は田畑より身近な所だったかもしれません。

 失礼しました。

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