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RSSフィード [18] 意訳詩
   
日時: 2011/10/31 12:06
名前: 闇の吟遊詩人(闇雅人) ID:Ru30e.qY

昔、私がTCの常連だったころ、管理人の闇さんに提案して拒否された企画(苦笑)。裏でやるならいいでしょう。参加は自由です。ちなみに「外国の詩」を「教科書的に直訳」せず、「意訳して日本語の詩」にする「意訳詩」というジャンルはあります。上田敏の『海潮音』や、佐藤春夫の『玉笛譜』などがその例です。

なお、TCから離れるにあたり、私の記事は全て削除しておきます。私の企画で孤軍奮闘してくれた「うんこ太郎さん」の応援のために「一時的に」投稿したランボーの詩も削除します。では、失礼致します。もう二度とここへは来ません。

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感想です ( No.48 )
   
日時: 2012/11/23 21:49
名前: 楠山歳幸 ID:zQRfmLGs

 今更ながらで恐縮ですが、ざっくりですが、読ませていただきました。戦時中の日系人の詩、うんたさんの歴史特集に少し驚いています。

 N.39 村の春
 >その男は土のなかに
 ここに国籍の悲劇の思いを込めているのでしょうか。印象としては素朴な人柄で感情をぶつけているように感じました。

 N.40 風の跡
 風=息でしょうか。古神道だと息=生きとか言いそうですね。居留置としてのつながりはわかりませんが、自然に何かを感じる所は同じかもしれませんね。

 N.44 花であること
 詩の力を感じさせるような力強い文章ですね。心が折れてはならない、自分を鋼鉄であれという感じの意志を花にたとえたところに、なみならぬ何かを感じます。

 N.46 海は光れり
 >英文で表現できない想い、英文では綴ることのできない想い
 そして英文で書きたくない想いなんかもあったのでは、と思いました。港のような人の海ではなく水平線まで感じさせる大きな海、そこにははっきり言葉にしがたいであったであろう日本が込められていたんじゃないかなあ、とか思います。



 和歌山の日高にアメリカ村という所があります。うら憶えですが、明治期?カナダ?に渡った村人の「こっちでは鮭がたくさんとれる」という情報に乗って後ろの山や大阪などではなく太平洋を越えた人たちだそうです。「村の春」のような詩を読むと、当時の人たちの人柄まで感じそうです。

 英語が解れば感性の違いとか印象とか楽しめたかもしれませんが、ごめんなさい、僕には無理です。
 
 なんか適当な感じの感想で、失礼しました。

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