万葉集は誰が書いたのか ( No.33 ) |
- 日時: 2012/05/20 11:25
- 名前: うんこ太郎 ID:nX.dFaGo
万葉集は誰が訳したのか?
私はよく知らなかったのですが(今もたいして分かってないのですが)、 元々万葉集は万葉仮名(漢字を仮名のように使った)で書かれていたそうです。 しかし万葉集が編纂されてから二世紀もすると万葉仮名は解読困難となります。 だから現在私たちが読んでいるような漢字仮名まじり、五七五七七の和歌に するためには誰かが翻訳(訓読)を施さなければならなかったそうです。 江戸期の国学者である賀茂真淵や本居宣長をはじめとして、多くの学者の 解読の歴史があったということなのですが、これっておもしろい! 我々が今読んでいる万葉集は、訓読あってのものなのですね。 時代を挟めば(地理的に)同じ国であっても外国みたいなものだという、 あたりまえのことなのかもしれないですが、過去って未来と同じように 未知でいっぱいで楽しいです。
柿本人麻呂 巻1-40
原文(万葉仮名)
鳴呼見乃浦爾 船乗為良武 乙女等之 珠裳乃須十二 四宝三都良武香
1. リービ英雄 の英訳
On Ami Bay, the girls must now be riding in their boats. Does the tide rise to touch the trains of their beautiful robs?
2.うんこ太郎の日本語意訳
今ごろ鳴呼(あみ)の入り江では 女たちが船に乗っていることだろう 艶やかなローブのすそに触れるまで 潮は満ちているだろうか
3.万葉集(訓読)
鳴呼見の浦に 船乗りすらむ 少女(をとめ)らが 玉裳(たまも)のすそに 潮満つらむか
4.意味
鳴呼の浦で今ごろ船に乗って遊んでいるだろう、あのおとめたちの美しい衣裳のすそには、潮が満ちているのだろうか。
※鳴呼は現在の三重県鳥羽近郊の入り江とされる。鳥羽は伊勢の東。志摩半島の北東端で、伊勢湾口に位置している。 志摩(しま)とはすなわち島(しま)である意味のようで、菅島、答志島、神島などの島々が鳥羽から東へと山のように続く。 このあたりはリアス式海岸で、大小の湾をかかえているということ。
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