運命の赤い糸電話 ( No.6 ) |
- 日時: 2014/12/19 02:17
- 名前: 片桐 ID:uiCU7KM2
陽は沈みかけているというのに、頬にあたる風がぬるい。 最高気温は四〇度を越え、夕刻となった今でも、気温は多分、体温とさほど変わらないくらいだろう。マンションの屋上にただ突っ立っているだけだというのに、背中に脇に汗が染みだしてくる。だけど、手の平にまで汗をかいているのは、暑さのためだけともいえないのかもしれない。 わたしはひどく緊張している。冷静さを保とうとする自分と、そんなことはできるはずがないという自分が、猛烈な勢いで競り合っている。 わたしは今日、生まれて初めて「彼」と話す。 直接会うわけではない。ただ通話するのだけのことだ。 でも、電話で話すのとはわけが違う。 わたしたちは、お互いの小指から伸びる赤い糸を使って、意志の疎通をする。「運命の赤い糸電話」という呼び方は好きになれないが、それ以上に相応しい呼び方も思いつけない。それは確かに、運命的な相手と通話するものなのだから。 「彼」たぶん間違いなく、私にとって最愛の人になるはずの人なのだろう。 だけど、だからこそわたしは、彼にある告白をしようと心に誓った。 話しをするのはこれで最後にしましょう。赤い糸を、この縁を切りましょう、と。 そのために、わたしはゆっくり息を吸い、そして吐く。 もう一度だけ心を整理する必要があるのだ。 「彼」に心から納得してもらうために。
そういうものなのよ、というのが母の口癖が嫌いだった。 コーヒーが苦いのも、車が走るのも、八時に寝ないといけないのも、そういうものなのよ、ということらしい。それは同時にこれ以上聞くなという意味を持つらしく、幼いわたしがなお何かを尋ねようとすると、母は渋い顔で、ママを困らせないの、と突き放すようにいうのが常だった。 もしかしたら、母のそうした態度が、今のわたしを作ったのかもしれない。 わたしは誰かの顔色をみて話すことばかり上手くなり、言い換えればいつも本心を隠す人間として育った。 だけど、そんなふうに育っていたわたしでも、どうしても納得できないことがあった。 ある日、朝起きて、自分の小指から伸びる赤い糸を気づいたわたしは、慌てて母にかけ寄って、これは何かと尋ねた。悪い病気にでもかかったと思ったのだ。 母は、案の定、ひとつ頷き、そういうものなのよと返した。そんな一言でわたしの不安が消えるわけもなく、わたしは今度ばかりはと母にしつこく喰いつき、納得いく答えを求めた。 ようやくわかったことは、赤い糸は七歳くらいになると、自分が将来結ばれる相手との間に繋がるようになるということ。そして一五歳になる頃には、相手と完全に通じ、世界のどこに離れていても、糸を通じて意思疎通ができるということだった。 わたしは早熟だったらしいが、半年もしない間に、周りの子たちの小指にも赤い糸が伸び始めていると気づいた。それは、あまりに色が薄く、眼を凝らしてもすぐに見えなくなるほどのものだったけれど、風にそよぐわけでもなくいつもどこか――いや、かの人がいる方へ向いて伸びていた。 十歳を越えると、一日のうちに交わされる会話の何割かは赤い糸のことになる。 曲がりなりにも運命という名を冠された糸だ。ほぼ間違いなく、自分と最適なパートナーへと繋がるものらしい。ほとんどの子はその「運命」を受け入れ、そのなかで自分がどれだけ有意義に、効果的に、効率的に生きるかを考えはじめる。 そんな中、ただわたしだけが、会話のなかに入っていけずにいた。 そうあることが決められた生き方。他に選択肢を考えてもみない生き方。 言葉にできない息苦しさが感じられてならない。 自分だけがそう思っているようで、ひとたび何かを口にすれば、いっきに周囲から浮いてしまうことがなにより怖かった。しかし、他の子たちがわたしの異変に気づかないはずもなく、いつしかわたしはおかしな子というレッテルを貼られ、からかいの対象になっていった。 渇いた喉に唾を溜めて送り込む。 「彼」話すその時は、刻一刻と近づいている。もちろん事前に約束をしたわけではない。 ただ近いうちにそれはくると数日前に感じ始め、今日になって間違いなく夕方頃にはその時が訪れるのだとはっきりわかった。 指に静電気のようなものがはしったとき、ついにその瞬間が訪れたのだと知った。 おもむろに赤い糸が伸びる右手の小指を眼のまえに持ってくる。 どうやって話せばいいんだろうと考えたが、自然と口元に小指が当てられた。 「はじめまして」 わたしは糸に話かける。それは即座に「彼」に伝わっていく。その感覚までありありとわかった。わたしはついで小指を耳元へもっていく。 「はじめまして」 男の子の声が、確かに、聞こえた。 それまで高鳴っていた胸の鼓動がさらに速まるのを感じた。 なんて、なんて心地よい声なのだろう。わたしはずっとこの声を求めていた気がする。ずっとこの声を聞いていたい。そうはっきりと思っている自分が、確かにここにいる。 きっと話をつづければ、「彼」がいかに素晴らしい人か分かるだろう。「彼」との未来を即座に想像し、子供の数まで考えはじめるのかもしれない。 だけど、わたしはそれに抗いたい。 気づいたときには、涙が流れていた。彼の声がまた届く、 「ごめん、実はきみにずっと言いたかったことがある」 わたしは何をいうこともできず、黙って聞いていた。 「僕は、きみと一緒に生きていこうとは思わないんだ。別に他に好きな人がいるわけでもない。初めて話すきみを嫌いになるはずもない。ただ僕は、自分が生涯愛する人は自分の力でみつけたい。それがどれだけ馬鹿な考えかってことはわかっている。だけど、どうしようもなくそうしたい。そう生きたいんだ。 赤い糸を切る方法がひとつだけあるってきみも知っているだろう? それは、お互いが同意のもとで糸を切ると誓い、糸に左手の人さし指の爪を当てること。それで赤い糸はこの世から消える。 正直にいえば、僕はきみとこれ以上話して、きみを好きにならない自信がないんだ。だから、どうか、わかってほしい」 「彼」の言葉を聞いて、ああ、確かにこの人は私にとって最適な相手なのだと知った。他の誰より、気が合って、支え合うに足る相手。 彼はまだわたしの本心を知らない。私も同じ気持ちでいると知らない。もし話してしまえば、もっとお互いのことを知りたいと思ってしまう。それはきっと避けねばならないことだ。 わたしはふたたび口元に小指をあてる。 「わかった。切りましょう。この糸を」 できるだけ愛想なく言ってみたつもりではいた。 わたしはきっと後悔するだろう。きっと惨めな気分を味わうだろう。 「ありがとう。きみという人と話せてよかった」 いや、たぶん、「彼」も知っているのだろう。わたしが「彼」という人と同じ考えで生きている人間だということに。わたしたちはどこまでも似た者どうしなのだから。 だったら言葉はもういらない。 わたしは小指から伸びる赤い糸に左手の人さし指の爪をあてた。 それはあまりにあっけなく、音も立てずにきれて、伸びていた糸もすぐに空気に溶けていった。 気づけば夕陽が完全に沈み、夜空に幾つかの星が瞬いている。 いつか「彼」と別の形で出会うことがあるのだろうか。それさえ含めての運命なのだろうか。抗い抗った先に、余計なことなどしなければ良かったと思うのだろうか。「彼」もまた同じ気持ちでいるだろうか。 いや、今は考えるのはやめよう。 今なお熱い身体さえ、すべて夏の暑さのせいにしておこう。
ーーーーーーーーーー 遅くなってすいません。長くなってすいません。描写薄すぎてすいません(夏っぽさはどこいった・・・)。 でも、楽しかったです。
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