Re: 夜更けの三語SHOW♪ ( No.6 ) |
- 日時: 2011/11/07 01:31
- 名前: nigo ID:iBitOkto
唇を指先でいじくるとちくちくと痛む。それが少し心地いいような痛みだったので、しばらく続けていた。 秋の冷たい風が吹いてきたので、僕は首に巻いたマフラーを口元まで持ち上げた。ささくれた唇が毛糸に引っかかってまた少しちくちくする。 唇を舌でなめてから、あらためてマフラーを持ち上げる。毛糸の中に吐いた息の温度と湿り気がたまって暖かい。
彼女は白っぽい灰色の暖かそうなダッフルコートと、これもまた暖かそうなもこもことしたブーツを履いていた。手袋をはめた両手は後ろに組んで、少しうつむきがちに歩いていた。 「そのブーツ、かわいいね」と僕が言うと彼女は、 「ありがとう」と言った。それで会話が一旦途切れる。帰り道はあまり会話が弾まない。 落ち葉をくしゃくしゃと踏みしめながら、二人してだまって歩いている。会話もなく、歩くスピードは彼女の歩幅にあわせているから、僕はゆっくりと流れるその時間を少しだけもてあましている。 もうすぐ日曜日が終わる。僕たちは自分たちの町に帰る。次に会えるのは、きっとしばらく先の週末だ。次に会うときはもっと寒くなっているんだよな。なんてことを、駅に向かって二人で並んで歩きながら僕は考えていた。
「電車は何時?」 「まだ後一時間くらいあるかな」
「まだちょっと早いかな」 「うん。そうかも」 会話が途切れる。こんなふうな短い会話を何度か続けた。 合えない時間が愛を育むのさ、なんて誰かが歌っていたけれど、そんなのは嘘だ。と僕は思う。 日曜日の商店街は閑散としていて少し寂しい。だからこんな気持ちになっているのかもしれない。夕方の五時にはスピーカーで商店街に音楽が流れた。多分バッハの曲だったと思う。このあたりの子供たちはそれを聞いて家に帰るんだろう。きっとずいぶんとおしゃれな子供たちに育つんだろうなと思ったけれど、人通りの少ない商店街に流れるその音楽は僕の気分をさらに寂しいものにさせる。寂しい商店街だな、と僕は思った。それから、何かしゃべってくれないかな。なんてことを僕は彼女に対して思っていた。
僕らは黙り込んだまま、犬を連れた女の人と、自転車に乗った人と、ゆっくりと杖をついて歩くおじいさんとすれ違った。シャッターの下りた商店の壁には「肉まん」と書かれたポスターが貼られていた。 「肉まん」と僕はつぶやいた。彼女は何も言わなかった。
昨日の夜は楽しみだったけれど、楽しい時間も、終わってしまえばこんなものなのかな。楽しみだった分、別れ際が寂しくなるのかも知れない。なんてことを考えながら、僕は冷たくなった指先を上着のポケットの中にしまった。
そんな風にして、楽しいことだとか、幸せな時間には、みんな終わりがあるのだろうか。なんでもみんな、楽しかった分、その反動で寂しい気持ちになるのだろうか。 それから、僕たちは後何回くらいこうやって並んで歩くのだろうか、なんてことを計算してみると、このペースでいけば一年の間に十数回程度という計算になった。だから、こういった気持ちがきっと一年の間に十数回程度はやってくることになるはずだ。何もかもがずっとこのままだったら。 そんなことを考えて、僕はどうしようもなく寂しい気持ちになった。
だから、何でもいいから何かを言わなきゃいけないな、と思った。せめて駅に着くまでの間に、何か一つでも楽しい話をと。でもどんなに考えても、うまい話題が何も思いつかなかったので、僕はまた馬鹿みたいに彼女の服装を褒めることにした。 「その手袋、あったかそうだね」と僕は言った。 「一つ貸してあげようか?」 彼女は右手にはめた手袋をはずすと、僕に向かってそういった。 毛糸の中にはまだ手のひらの温度が残っていて、僕は暖かいな、と思った。
それから僕たちはまた黙って二人で歩いた。手袋をはめていない方の、あいた手をつないで。次はいつ会おうか、なんて話をしながら。
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