片目 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/01/31 00:09
- 名前: 片桐 ID:3VouuYiU
『今夜の片目は良い』 それは昔、祖父が私に言った言葉だ。寒い冬に夜道をともに歩き、ふと見上げた空に、祖父は呟いていた。 九州の田舎の夜道は恐ろしく冷え、恐ろしく星が見えたことを覚えている。幼い私は星座もろくにしらず、ただ無数の光の粒が瞬く光景に圧倒されていた。 祖父は寡黙な人で、孫の私は祖父が何を考えているか分からないことが多く、二人の時間を好んでいたとは言い難い。 夕暮れ時に近くの商店まで二人で買い物に出かけることになったとき、私は上手く理由をつけて逃げようとしていた。 『ほら、おじいちゃんと一緒に買い物してきなさい。お菓子買ってもいいから』 そんな母の言葉に乗っていざ一緒に家を出はしたが、案の定どちらからも会話を広げようとすることはなく、ひとことふたことどちらかが言っても、すぐに冷えた体を擦る真似などして、沈黙から頭を逸らした。 商店で林檎や酒、私の菓子を買って外にでると、すでに夜が広がっていた。 『夜になったね』 私がそう呟くと、祖父は、そうだな、とだけ返す。 二人してまた沈黙の中を歩いていた時、祖父は言った。 『今夜の片目は良い』 それを初めて聞いたとき、祖父の目の調子が良いという意味だと思った。そう思って祖父の方を向くと、祖父は夜空を見上げている。どうも話が見えずにしばらく歩いていたが、私はどうも腑に落ちず、祖父に問うた。 『じいちゃん、片目が良いって?』 『ああ、片目のお月さんが綺麗なもんじゃと思うてな』 『月が片目?』 『じいちゃんのばあちゃんがよく言ってたんじゃ。お月さんは昔ふたつあった。両の目で光ってたんじゃって』 『もうひとつはどうなったの?』 『さあな、聴いた気もするが、忘れてもうた。思い出したら教えてやるわ』 それだけ言って私と祖父はまた歩き続け、数分もして玄関にたどり着いた。
月を見上げている。仕事の帰り道、堤防を歩きながら、今日は満月だと気づいた。 今ではもう一方の月がどうなったのかは知りようもない。それでも私は月を見るたび、祖父のことを思い出す。少しばかりメランコリックになっている証拠かもしれない。 意味もなくポケットからライターを取り出し、もう一方の片目があっただろう場所を炙ってみなどした。
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