再会の曲がり角 ( No.4 ) |
- 日時: 2013/07/27 02:18
- 名前: かたぎり ID:sTKqH49U
盆ということで里帰りした二日目は、自室の整理をすることになった。東京から高速バスに乗って奈良まで帰ってきて、早速掃除とは母も酷なことをいうとは思う。しかし、なにから処分して良いのかわからないからあんたがどうにかしなさい、と言われれば娘としてしたがうほかなかった。 あらためて見てみる自室は、確かに雑多で、自分でもどこから手をつけていいものやらと、しばし呆然とする。学生時代の写真が、棚や机にやたらめったらと貼り付けられており、それでいて年代順に分かれているというわけでもない。本棚だって、収納された衣服だって、わたしの部屋のなかは、まるで整理ということを知らないらしい。 どれをどうしようと考えているだけで疲れてしまい、わたしはベッドに腰掛け、エアコンのスイッチを入れた。事態は長期戦のかまえとなると踏んだのだ。 そんなとき、ベッドの足元の方に面した壁に、小さな落書きを見つけた。 『美香』 と書いてある。すぐには意味が分からず、その落書きの前までいき、じっと見つめる。 「あっ」 思わずつぶやいた一言と同時に、わたしのなかに記憶の奔流が起こった。 熱い汗が腋ににじむのは、まだエアコンが効いていないわけではない。わたしは動揺している。忘れていた古傷にふたたび血がにじみだし、どんどんと溢れ出してくるかのような感覚。 杉田美香はわたしの古い友人だ。わたしと中学校で知り合い、親友と呼べるほどの仲となった。わたしたちは毎日一緒に学校へ通い、休み時間となればクラスが離れていようと関係なくどちらかのほうに集まり、そしてまたふたりならんで下校した。わたしたちふたりは、中学を卒業して高校にいっても、高校から大学、その先に社会に出たとしても、決して変わることなく友のままであると信じていた。 汗が全身ににじんでくるのがわかる。 わたしは知っているのだ。この記憶をひも解く先にあるものは、わたしを揺るがし、わたしを責め、わたしを壊す。何度も何度も思いだし、その度忘れようとして努力してきたのに、今になって思いださなければならないというのか。 自分のなかに叫びたい欲求が芽生えていることを感じ、わたしはたまらず外出をすることにした。玄関口で母がなにか呼びかけたようにも聞こえたが、それさえ振り切るように靴をはいて外へ飛び出す。 八月の昼間とあって、外は猛烈な暑さだった。それでもましだとわたしは思う。あの部屋にいるよりは、あの記憶にとらわれているよりは、まだ息苦しくないように思えた。 団地を歩く。百何十というほどの狭い団地を抜ければ、水田に囲まれた風景が広がる。立ち止まれずに、私は畦道を歩く。やがて神社の前を通り過ぎ、竹藪が眼に入ってきたというところで、わたしの脚はようやく止まった。 竹藪の近くに、曲り角があった。 身体が固くなっているのがわかる。息は荒くないが、鼓動が速まっていた。 わたしはこの曲り角を知っている。ある日から、曲がることも、近寄ることさえしなくなった曲がり角だ。わたしはこの場所を恐れ、そしてそこから離れることで恐れていることさえ忘れようとした。ではなぜわたしは今ここにいるのだろう。ここにやって来てしまったのだろう。 「わかったよ」 わたしはそう口にした。まわりには誰もいない。いるのはわたしひとり。 わたしは曲がり角をまがり、左右に竹が茂る路地を進んでいく。止まりたい、けれど進みたい、そんな思いがかわるがわるし、最早自分の心がどうなっているのかわからない。 路地の先に、一軒の家があった。間違うはずなどない。なぜならそれはわたしの一番の友人の家なのだ。杉田という表札を見つけて、まだ人が住んでいるのだとわかった。インターホンに目が行くが、手が伸ばすことができず、いっそ帰ってしまいたいと思い始めたとき、背後から人の気配がした。 「どちらさん?」 中年ほどの女性の声だ。ずっと緊張していたせいもあって、穏やかな誰何にさえ身体が飛び跳ねてしまいそうだった。わたしがゆっくり振り返った先には、買い物袋を手に提げた女性が立っていた。 「あの、わたし」 それだけしかわたしには口にすることができない。 「ああ、香ちゃんね。なに? 元気にしてたの?」 自分の名前を呼ばれて、わたしはようやく女性の顔を見ることができた。知らぬはずもない顔だ。わたしの友人の母親である人、わたしが何度も遊びにきたこの家に住むひとなのだから。 「すいません、突然。あの、先日帰ってきました」 「そう、香ちゃんももう就職して働く歳になったんやね。そうよね、そういう年齢よね」 「ええ、それで、わたし、昔のことを思いだしているうちに、ここまで来てしまって」 わたしがたどたどしくいっていると、香の母親はうなづき、 「わたしも香ちゃんにひさしぶりにあえてうれしいわ。今日は時間に余裕はあるの?」 「今日は、このあとすぐ用事があるんです」 「あらそう。じゃあ、またいつでも好きな時に来てね。」 「はい。必ず」 わたしは再び歩いている。今度は歩いてきた方向を逆に、我が家の方に。 足どりは軽いとはいえないまでも、自分の足で歩いているという感覚は取りもどせていた。 杉田美香はもういない。 彼女は中学三年の受験を控えたある日に亡くなったのだ。 その日も、わたしは彼女と一緒に下校していた。たわいもない会話をしていたのだと思う。わたしも美香も、相手の嫌がることなど言おうとしていなかったのだと思う。それでも、ささいな食い違いができた。細かい部分はもう思いだせない。気づいたころには口論が激しさをまして、お互いが譲れないという状況に陥っていた。美香は突然わたしに背を向けて走りだし、わたしはその背中を追うことなく彼女を視界から外した。彼女はほどなく70キロ以上のスピードで暴走する車に引かれ、その命を失った。 わたしは詫びることも、真実を語ることもできずに、全てを忘れようとして生きてきた。あの時、わたしに事故が予見できたわけもない。わたしが何を語ろうと家族の心が癒えるわけでもない。そんなふうにいいわけして。 わたしはあの曲り角の方角を振り返る。明日もう一度行こうと心に決める。 それは、わたしの自分勝手な罪滅ぼしだ。わたしはわたしのために泣くことしかできはしない。それでも美香はわたしを笑って許すだろう。いつも彼女はそうだった。わたしはそれをどうしようもなく知っている。そして、そんな美香だから、わたしは今なお再会を願う。
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