夏休みの思い出 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/07/17 00:42
- 名前: 二号 ID:kWkrEpF2
去年、祖母が亡くなった。
夏休み、特にお盆が近づくと僕たち三人は誰が言い出すでもなく、いつも互いに連絡を取り合っていた。何がそのきっかけになるのかは分からない。きっと夏の持つ何か特別な雰囲気が、僕たちそれぞれの中に何か沸き立つような懐かしい気持ちを生じさせて、お互いのことを思い出させたのだろう。当時から僕たちは互いに離れた場所で暮らしていたけれど、夏が近づくと思い出したかのように電話やメールで連絡を取り合った。やり取りは「久しぶり」だとか、「元気にしてる?」などの簡単な挨拶から始まり、互いの近況などについて話題が及び、それらが一段落した後に、本題に入る。電話なりメールなりで、夏に僕たちが連絡を取り合うときには、初めからその目的はすでに相手に伝わっている。簡単な挨拶や互いの近況を伝え合いながら、僕たちはいつその話題が来るのかとうずうずと心待ちにしている。 話題が尽きた時のちょっとした沈黙のなかで、こらえきれなくなった一方がおもむろに口を開く。 今年は島に帰れそうかと尋ねる。 いまさらながら不思議なことは、その島は僕たちの故郷というわけではないのに、なぜ僕たちは帰るという言葉を使っていたのかということだ。きっとそれは、一年に一度、都会で生まれ育った僕たち三人が、祖母の住む静かな田舎の島で再会するという年中行事を繰り返すうちに、知らず知らずのうちにそこが自分たちの故郷のように感じていたということから来た事なのだろう。 僕たち三人の祖母と、僕たちの親に当たる祖母の三人の子供たちは、東京から南東の小さな島で生まれた。僕たち従兄弟は毎年夏になると再会し、一年に一度の何日かを、その島で過ごしていた。 僕たちは夜の港で再会し、夜の海を船で祖母の住む島へと向かう。風のない静かな海の上を行くこともあれば、ビールをたらふく飲まなければ寝付けないほどの波の中を行くこともあった。しかし、いつからか、船の中で互いの子供時代の話題で盛り上がりながら僕たちはふらふらになるまでビールを飲むことになったので、船さえ出港できる波ならば僕たちには何の関係もなかった。 夜の海を酩酊状態で運ばれ、日の昇る少し前に港からバスで祖母の家に向かう。祖母の家に着くとそこには祖母と僕らのための朝食が待っている。これがまた、食べきれないほどのすごい量で、僕たちは二日酔い気味の胃袋にカツを入れて一生懸命それを平らげる。祖母の料理は上手なのだが、二日酔いを抜きにしても僕たちの食べる量を把握できていない。祖母は僕たちに何度ももっと食べるかと聞き、なにか他に食べるものはないかとせわしなく台所と食卓を行き来する。彼女が口にするのは少量の米と、野菜と、白湯くらいだ。ご飯を残すと彼女が残念がるだろうと思い僕たち三人はひいひい言いながらそれらを平らげる。 朝の六時ごろにようやく朝食を終えた後に、僕たちは海に散歩に行く。祖母は三人分の布団を準備していて、船で疲れただろうから少し横になれというが、僕たちはそれを丁寧に断る。少しでも体を動かして、おなかをすかせておかないといけないという理由からだ。散歩が終わり、九時ごろになると祖母はもう昼食の支度を始めている。そしてまたその量が僕たちの限界を超えている。まだおなかは空いていないよという僕たちの意見と胃の消化能力は完全に蚊帳の外におかれている。そしてまたそれらを胃に押し込み、海へと散歩に向かう。それを夕食まで何度も繰り返す。それが僕たちの夏の過ごし方だった。 海に向かうと僕たちはただぼんやりと海を眺める。煙草に火をつけたり、少しくらいは口を開くが、そのほかはたいてい何もしない。ただぼんやりと海を眺める。 小学生くらいまでの子供の頃は僕たちは水着一枚で祖母の家から海に行くと必ず、水面から三メートルほどの高さのいい具合に切り立った岩場から海に飛び込んで遊んだ。何が面白かったのかは分からないけれど、当時の僕たちの一番の楽しみだった。ただひたすら、順番に何度も何度もそれを繰り返した。 でもいつからだろう? 僕たちはその遊びをやめてしまった。中学生くらいからだろうか。 最後に三人で海を眺めた時、僕はそれがいつからなのかを必死で思い出そうとしていた。結局、分からなかった。
今、そんな風な懐かしい思い出と共にこの文章を書いている。
多分、今年は僕たちは連絡を取り合わない。 お互いに社会人として忙しい生活を送るようになったことと、祖母が亡くなってしまったことで、僕たち三人は島に帰る理由を無くしてしまった。 きっと祖母が永い眠りについたのと同時に、毎年僕たちの心を揺らしていた何かも眠りについてしまったのだ。僕たちに懐かしさと共に子供時代の思い出へと招いた夏の扉が開かれることはもうない。僕たちは大人になり、海に飛び込むことをやめる。 水に飛び込むその瞬間、僕たちは息を止めていたが、水中眼鏡の下の目はしっかりと開かれていた。一体何が見えたのだろう? 今となってはもうきっと分からないはずだ。
もちろん一人で島に帰ることはできる。だけど、それは多分三人でいたときのものとは全く違ったものになるのだろう。むしろ、寂しさを感じさせるものになるかもしれない。三人で帰るということが重要なのだ。 当然で仕方のないことなのだけれど、帰れない事も、思い出せないことも、少し残念だ。
だけどいつか、僕たち三人が子供を持つことがあったら。僕が二人に連絡を付け、少なくて六人、多ければその倍くらいだろうか、それぞれの子供たちと共に再会したいと思っている。 夏の夜の風に浸りながら、そんな日が来ればいいなと思っている。 すいません遅刻しました。すいません。
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