霧の町と喫茶店 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/03/06 01:21
- 名前: tori ID:ZNrWqisE
帝都はもとから霧深い場所にあった。それが産業革命以来は蒸気機関の排きだすスチームとあいまって一年中白く霞んでいるような印象がある。 街中に取りつけられたガス灯のオレンジ色の光は太陽のにように強かったが、霧の夜では足りず、白い霧を照らしあげて、その存在をいっそう引きたてていた。 今夜はとくに酷い、とぼくは思った。 一寸先は闇とは言うけれど、ほんとうに先が見えない。 泳ぐような心地で、ぼくは歩いている。空気は湿っぽいし、冷たい。呼吸をすればするほど、身体の内側まで染みこんでくる。 職場から家までの距離は近いわけではない。乗合があるような時間であったら、迷わず使っていただろう。辻馬車は高いし、最近でてきた蒸気機関製の馬車も高い。歩けないような病人でもないし、歩けない距離でもない。 そうやって歩き出したものの、いまでは後悔していた。本当に寒くて歩くのを諦めたい。街を流している馬車に出会わないものか、と期待するけれど、すれ違うのは夜警のもつカンテラばかりだった。 そうやって身を縮めて歩いていると、霧のなかにぼんやりと浮かび上がった看板があった。真夜中のこの時間、まわりの店はすでに閉じているのにそこだけ開いている。こんなところにお店なんてあったっけ、と思うぐらい目立っている。 暖かそうな雰囲気がしていた。 蒸気機関が登場してからというもの全てのものは工場で作られるようになった。それはそれでとても便利だと思っているし、ぼくは工場のものより手作りの品のほうが優れているとも思っていない。ただ、その看板の手で書かかれた決して上手ではない字が、しっかりとレタリングされたのと違って暖かく感じられたのだ。 気づけば、お店のなかに入っていた。 明るい店内だった。酒場のように照明を落としていない。お酒のにおいもしない。コーヒーのような香ばしい匂いがしている。 「いらっしゃいませ」 という声がした。カウンターにいつのまにか一人の女性が立っていた。白いシャツに黒いタイをしていた。 なんとなく彼女の前に座った。メニューが目の前にさっと置かれる。といってもコーヒーとサンドイッチしか載っていなかった。 「コーヒー」 と注文した。 「はい!」 と彼女は元気に返事をした。カウンターの向こうの簡易なキッチンで作業をはじめる。 カップを用意して、フィルターをつける。コーヒー豆の匂いがさっとあたりに広がった。彼女が密封した容器からコーヒー豆を取り出したのだ。それを手際よく潰して、フィルターに移す。彼女は少しずつお湯を垂らしいく。そのたびにまた、香ばしい匂いが散る。 ぼんやりと、彼女の指の動きに見とれているうちにコーヒーが目の前に、とん、と置かれる。彼女と目があう。 彼女はにっこりと笑って、 「どうぞ」 ぼくは黙って一口、コーヒーを飲んだ。味はよく分からなかった。ただ、温かい液体が喉を落ちていくのが気持よかった。気分が落ちついていく。そうすると、少しだけ眠くなった。コーヒーを飲んで眠くなるのはおかしい、と思って自然と頬がゆるんだ。 彼女はカウンターの隅にいき、後片付けをしていた。その背中に何となく、 「遅くまでやってるんだね」 「開店が遅いですから」 「そうなんだ」 彼女はぼくに振り返り、 「開店は日付を回ってから。うちは深夜営業の喫茶店です」 「なるほど、それじゃあ、いままで気づかないわけだ」 「ええ、ですから、お客さんもめったに来ないんですよ」 ぼくは黙って残りのコーヒーを口に運んだ。 時間が止まったみたいに、ゆっくりと飲んだ。時間を忘れたみたいにゆっくりと飲んだ。 コーヒーはだんだん冷めていき、酸味が増していった。彼女が近づいてきて、そっと机のうえにミルクのポットを置いた。冷えたコーヒーにミルクを足した。酸味がまぎれる。彼女はまた、ちょっと離れた位置にいって、扉の方に視線を向ける。 「今日はもう誰も来ないかもしれないですね」 と彼女がぽつりと言った。 「もう少し早く開店すればいいんじゃない?」 「それはできませんよ」 「どうして?」 「そういうものだからですね」 「そう」 「ええ」 ぼくは残ったコーヒーを飲みきると立ち上がった。彼女にコーヒーの代金を渡して、お店をでた。出ていくぼくの背中に、彼女の「ありがとうございました!」という元気な声がかけられる。 外にでると、もう空が白んでいた。 今日は徹夜か、とぼくは思いながらも少しだけ足取りは軽かった。明日は無理だけど、明後日からはあのお店の常連になってもよいかもしれない。 ぼくはそんなことを思いながら、家に帰った。
---- リクエストは「ほんわかするお話」「スチームパンク」です。 ちょっと消化不良だ・・・!
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