奇妙な話 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/06/11 00:00
- 名前: マルメガネ ID:TevRPf1s
しとしとと雨の降る音がする。 湿り気を帯び、カビの匂いを含んだ空気が澱んだ薄暗い部屋。 陰鬱な空気に混じり、饐えた匂いがする。 「これは、いかなる病なのか」 降りしきる雨の中、往診に来た医師が首をかしげる。 彼の目の前には、かかりつけになった少年が生気に乏しい顔をして横たわっている。その彼が横たわる布団は水に濡れていたわけでもなく重く水気を含み、畳まで濡れて色が変わっていた。 重く水気を含んだ掛布団を剥がすようにして取り払い、医師は少年を診察する。 蝋のように白くなった体は冷たく、死人のようでもあり、ところどころに斑紋が現れていて、触ると少年はひどく苦悶の相を浮かべた。 薬を処方したもののその効果のほどは芳しくなく、彼は日ごとに弱っていく。 ただごとではない、ということは医師も分かったが、それが何であるのかはけんとうもつかなかった。 「先生。きれいなお姉ちゃんがいるよ」 「どこにだい?」 「先生の後ろ」 診察時、少年が必ずそう言う。 最初は医師も聞き流していた。病に侵されて出る妄言の類として。 「あ、お姉ちゃんが帰る。僕も寝よう」 彼はそう言って眠るのである。 「いかがですか? 」 「今、眠りましたですよ」 「そうですか」 少年が横たわる奥座敷から出た医師は、彼の母親に聞かれてそう答えるしかなかった。 「ところで、奥様。つかぬことをお聞きして失礼ですが、このお屋敷に龍騎君と親しい姉妹はいらっしゃいますか?」 「いいえ。おりません。どうしてですか? 先生」 「ふむ。実は、彼を診察すると必ず、きれいなお姉ちゃんがいる、というのです。そこでおききしたのです」 医師がそう母親に言うと、母親は心当たりがない、という表情をした。 「今日はここで私は帰りますが、もし何かあれば連絡ください。駈けつけます」 「ありがとうございました」 医師が屋敷から出て行くのを、母親が玄関先まで見送る。 その頃には陰鬱な雲が次から次と流れ、小降りとなって霧雨が風に舞っていた。 医師が帰ったあと、母親は広い屋敷の廊下を歩くと、どこでどう紛れ込んだのかアマガエルが一匹跳ねていた。 そのアマガエルの跳ね方は少し変だった。 縁側の引き戸を開けて、そのアマガエルを逃がそうとしたとき、母親はぎょっとした。 そのアマガエルは片目が取れかかっていて、体も血まみれだった。 何かに襲われたのかもしれなかった。 気味が悪い、とばかりに外につまみ出して、奥座敷に入ると少年が薄目を開けた。 「先生は?」 「帰られましたよ。 どうしたの?」 「夢を見たの」 「どんな夢?」 「きれいなお姉ちゃんが、ボクの変な病気治してあげるって。だから、きれいなその片方の目をちょうだい、って」 母親は、まさか、と思って息子の顔をのぞきこんだ。 腫れたように重く下がった両の瞼の下。 片方の目が白く濁り、血膿と一緒に飛び出して布団に落ちた。そして、体に浮き出ていた赤紫色の斑紋も破れて出血した。 母親はそれに驚き、素っ頓狂な声を上げて腰を抜かした。 「奥様。いかがいたしました? あっ。大変だ。坊ちゃんが。坊ちゃんが」 「医者を呼べ。医者を呼ぶんだ」 母親の素っ頓狂な声を聞きつけて駆け付けた使用人たちが慌てふためき、屋敷は大騒ぎだった。 診察していた医師が呼び戻され、診察がなされ大病院に紹介状が書かれた。 それから、数か月後。 体に浮き出ていた斑紋の傷痕が残り片目を失った少年は、何事もなかったように元気を取り戻していた。 「先生。あれはいったいなんだったのでしょうね」 「わたしにもわかりませんね」 母親に聞かれて、診察した医師がそう答える。 母子が帰った後、医師がホルマリンの入った標本保存瓶に視線を移す。 透明なガラスの標本瓶の溶液の中には、少年から抜け落ちた白く濁った眼球が浮かんでいてこちらを見ている。 「きれいなお姉ちゃん、か」 それが何者だったのかはわからない。 しかし、少年が治癒したのは事実だった。 標本瓶の少年の眼球を眺めていた医師は視線を反らし、不思議なことだと思った。
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