クリスマスバースデイ ( No.2 ) |
- 日時: 2010/12/25 15:48
- 名前: 片桐 ID:uMXlTGA2
コアラのマーチをコンビニのレジに持っていくとき、ジングルベルは流れた。驚くことではない。二週間も前から、この店も街も人も、赤と白の装飾に彩られていたのだ。だから?、とわたしは内心呟き、レジで百五十円を払うと、一瞥もせずに店を出た。 世界には、雪が降っている。粉雪が風に舞い、かすかな重みをもって頬を叩いた。たまらず制服の上に羽織ったコートの襟を絞る。 落日の気配さえ雪に掻き消され、陽の余韻は感じられない。 わたしは交互に足を運び、自宅までの距離を短くしていく。 恋人とは先月別れたし、女友達は彼氏とライブに出かけた。わたしは家に帰り、コタツに入り、テレビを見、入浴して、眠りに就く。それだけが今日の予定だ。 マンションに着くと、エレベーターで五階に昇り、自宅の玄関を開ける。 雪もなく風もない室内がこれほどまでに寒く感じられるのはなぜだろう。その答えを出さぬままに、わたしは部屋の明かりをつけて、エアコンを入れると、レジ袋とかばんをテーブルの上に投げる。こたつに入ると大の字に寝転がり、テレビをつけるが、すぐに面倒な気分になって消した。 父親は年末ということもあって、今日も帰りが遅いらしい。いつもと変わらない一人の時間。何気なくカレンダーに目がいくと、今日と言う日をあらためて思い知らされる。クリスマスであり、わたしの誕生日である、この日。昔は二倍に楽しいはずの日だったからこそ、今は二倍に重苦しい。 恋人と過ごせば楽しいのだろうか。友達とパーティでもすれば、こんな気分にはならなかったのだろうか。 違う、とわたしは思う。今わたしが欲しいのはもっと単純でありきたりで、今まで通りのはずだったもの。 家の中は静かというより無音にちかい。秒針だけが神経質に時を刻み、わたしの心にとげを刺す。 わたしはたまらず自室の机に向かっていった。やることはひとつ。白い紙をペンで殴りつけ、その余白を消していくのだ。 踊る無軌道な線。無軌道な言葉。白紙ににじむ掌からの汗。 たまらない気分の時はこうして自分を取り戻そうとする。いや、そうしている時、わたしは一時本当のわたしに戻っているのかもしれない。 目の前の世界がそまる。白い世界はあらかた闇に消えて、わたしは息でも止め続けていたように深呼吸する。 真っ黒けな紙を引き出しにしまえば、後は音楽でも聴いて、ただ時が過ぎるのを待つ、それが最近のわたしだ。 引き出しを閉じようとしたとき、不意にコツンと硬い音が鳴った。 おもむろに引き出しを開けなおし、乱雑にしまわれた紙の払いのけると、そこには古い携帯電話がそこにあった。 それは四年前わたしが初めて買い与えられた携帯電話で、クリスマスプレゼントであり、誕生日プレゼントであったものだ。 昨年新しい機種に切り替えてからは、どこにあるかも忘れていたが、わたしが吐き出した黒い紙の束に埋まっているとは思わなかった。 わたしはそれを手にとって、電源ボタンを押す。電池が切れていて、当然液晶画面は黒いままだ。 充電コードは? 充電コードはどこにしまったんだろう? わたしは次々に机の引き出しを開けていった。始めは漠然とした思いから電源を入れたいと思ったのだが、探しているうちにいつしか心は早鐘を打っていた。 もしかしたら――という思いつきが、いやおうなくわたしの心をせきたたせる。 ようやく充電コードを見つけ出すと、それを携帯電話に差し込んで、祈るような思いで電源ボタンを押す。 昔壁紙にしていた夕焼けの画面の上には圏外の文字が浮かんでいる。わたしはボタンを押し、ある機能が呼び出す。 ――留守番電話記録。 その履歴のひとつを選択し、震える指で押し込む。 懐かしい声を聞いたとき、わたしはたまらず嗚咽をもらした。 「綾ちゃん、お誕生日おめでとう。それとメリークリスマス。ちゃんと通じているかな。綾子にいい出会いがありますように。お母さんは、病気を必ず治して、また家族三人でくらせるようにします。綾子にはそれまでお父さんのことをよろしく頼むね。来年のクリスマスバースデイは家族三人で祝えるように、みんなで支えあいましょう」 クリスマスバースデイというのは、母がわたしに作ってくれた言葉だ。一緒に来る分、二倍楽しく二倍喜ばしい日なのだと言っていた。 母がわたしに携帯電話をプレゼントしてくれた翌年、家族三人が自宅に揃うことはなかった。それはさらに翌年もかわらず、去年、それは決してかなわないことになってしまった。 決して忘れられない存在ながら、時が経つにつれて記憶の輪郭はぼやける。わたしは母の声とはどんなものだったろう、といつしか思うようになった。それは優しく、暖かく、わたしを包んでくれる声で、わたしを何より大切に思ってくれていた声。 ありがとう、おかあさん、そう呟いてわたしは涙をぬぐった。 父はいつ帰ってくるだろう。昨日はわたしが先に眠ってしまったけど、明日は休みだから、帰りを待っていよう。 わたしは携帯電話を大切にしまうと、久しぶりに料理の本でも開こうと、台所に駆け出した。
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