十五歳最初の満月 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/02/06 15:35
- 名前: ねじ ID:BkrOktoQ
夜は冷たく沈んでいる。
ルーは、先ほどから一言もしゃべらない。赤い羊の毛を編んだ敷物の上に、うつ伏せに横たわっている。白い背中が、満月に照らされて光っている。 月は、もう中天に近い。ルーの背中の瘤も、徐々に大きさを増している。 「ルー。寒くない?」 ルーは答えない。代わりのように、びくん、と瘤が脈動した。 「痛くない? ルー。大丈夫?」 「大丈夫よ」 思いかけず返ってきた言葉に、苦痛の色はなかった。 「痛くはない。背中が、熱いだけ」 「そう」 それではあまりにも冷淡だと思い、 「よかった」 と付け加える。空々しさに、ルーは笑う。 「オーリーこそ、大丈夫なの?」 「何が」 「わたしがいなくて、大丈夫なの? これから一人になっちゃうのよ」 「大丈夫だよ」 むきになって答えるが、自分でもそんな言葉は信じられなかった。僕は、生まれてからの十四年と半年、一人になったことなど一度もなかった。同じ木の下に産み落とされて、同じ木の葉の上からご飯を食べ、同じテントの下で眠り、同じ獲物を追いかけた。僕の右手は、常にルーの左手とつながれていた。ルーと僕は、二人で一つだった。僕の喜びはそのままルーの喜びで、ルーの悲しみは、そのまま僕の悲しみだった。 「大丈夫よ」 僕の不安を正確に探りあて、ルーは言う。 「どうして」 「大丈夫よ。だって、一人になるのなんて、ほんの半年のことじゃない」 「半年経ったって、会えるかどうかわからないじゃないか」 「大丈夫よ」 きっぱりと、ルーは言う。 「大丈夫よ。会えるわ。だって、私、迎えに行くもの。半年経ったら、最初の満月の日に、オーリーを迎えに行くわ。そして、それからずっと、二人は一緒よ」 「ルー」 「きっと、迎えに、行くわ」 ルーの声が、不意に、震える。びじ、と肉が切れるような音をたて、瘤が、膨らむ。 月は、中天にあった。 ルーの喉が、苦しげに息を吐く。その度に、瘤は縮み、膨らみ、徐々に大きさを増していく。瘤は一面が血管に覆われ、まるでむき出しになった臓器のようにも見える。 ぐるるううううううううう、と、聞きなれない呻きが聞こえた。獣かと咄嗟にナイフの柄を握り、気付く。これは、ルーの声だ。 びくん、びくん、と、瘤が、膨らむ。そして、 爆ぜた。 熱気を孕んだ爆風が、僕を打った。顔を覆い、後退りながらも、どうにか持ちこたえる。何か、生ぬるいものが、手に、額に、ぶつかる。何かと思い、指先で探ると、粘ついた感触と、慣れた匂いが立ち上った。血だ。 ルー。 目を開けると、そこには『鳥』が立っていた。白い肌と、丸い乳房を月明かりに晒し、ぐっしょりと濡れた黒い翼を持つ、まだ若い『鳥』が。 ルー。 呼びかけたいのに、声は出ない。『鳥』は瘤に押し込められていたせいで歪んだ翼を、ばさり、と広げた。風に乗って血の匂いが、鼻孔を突き刺す。 初めて近くで見る翼は、鴉のそれに似て黒く、そして余りにも、大きく、力強かった。汗で湿る手で、僕はナイフを握りしめる。手が、寒さに震えているのに、頬は妙に熱く、体中に汗をかいていた。 怖い。 その言葉に思い至り、僕は愕然とした。だが、そうとしか言いようがなかった。僕は、怯えていた。 ルー。 声は、出ない。足も、動かない。『鳥』は表情の見えない瞳で、ちらりと僕を見ると、背を向けた。 ルー。 『鳥』もう一度、翼を広げる。そして、白い小さな足で、土を蹴り、夜空へ身を躍らせる。ごう、と風が巻き起こり、僕は耐え切れず、目を閉じた。耳には、翼が夜気を叩く音だけが、届いた。 音が止み、目を開くと、そこにはもう、何もなかった。『鳥』もルーも、もういなかった。 ただ血に塗れた少年が一人、震えているだけだった。
※ ファンタジーですが、やってることはいつもと一緒、という。
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