染み ( No.1 ) |
- 日時: 2012/06/10 23:26
- 名前: 杜若 ID:c2uittSw
うっとうしい季節にせめて風雅な名前をつけたのは、暮らしの知恵なのか、それとも皮肉なのか。 愚にもつかないことを考えていると、また雨が降り出したらしい。 雨粒が窓を叩く音、じっとりと重くなっていく服や髪、淀んでいく空気などが全てうっとうしい。 ああ、イライラする。 やるべきことをすべて投げだして、ベッドにごろりと寝転べばしみだらけの天井が視界いっぱいに広がる。 見るともなしにそれを眺めていると、染みひとつひとつが意味のある形に見えてきた。 たしか、何とか現象というらしいが思い出すことすら億劫だ。 ああ、左下のあの染みは女房の若い頃に似ている。 出逢ったばかりの頃は、大人しく控えめな女だったのに、ふてぶてしく口うるさくなったのはいつからだろう。 ほら、天井の中央辺りの染みは口汚く自分を罵っている時の女房の姿だ。 あいつは愚痴愚痴いだすときりがなかった。 こちらが飯を食っていようが、新聞を読んでいようがお構いなしに責めたててくる。 自然と無視をする癖がつき、それがまた女房のカンに障ったようだ。 おお、右上の染みはあの日の女房の顔そっくりではないか。 今日のように蒸し暑い、雨の降る夜のことだった。 いつものように女房がぐちぐちと文句を言いだしたので、適当にうんうんと相槌をうちながら買ったばかりの文庫本を開いていた。 「ちょっとあんた聞いているの」 それが突然取りあげられ、醜い女の顔が眼前にあらわれる。 それを見た瞬間、あ、もうダメだと思ったのだ。 もうこの女と一緒に暮らせない、だから、だから。 「私を殺して天井裏に隠したの?」 カギを閉めたはずの玄関がガチャリという音と共にあき、煌々とした月の光と共に小山のごとく膨れ上がった女房が 入ってきた。 「本当にあんたは詰めが甘いんだから、どうするのよこんなに天井しみだらけにして」 きいきいとした叫び声が響いた瞬間、天井の染みという染みから一斉にかつて女房だったものがぬめぬめと滴り落ちてきた。 まるで、雨の、ように。
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