悲鳴をあげるな
これまで無数の悲鳴が殺されてきた
これからも殺されるだろう
悲鳴をあげるなという禁令があるのだ

もし悲鳴をあげる者が傍にいて
殺すなという法がなく
殺す力があれば
鬱陶しさの余り僕は彼を殺すだろう
という事は、悲鳴をあげる者を殺したいという欲望があるという事だが
果たしてこの欲望は僕固有のものと言えるだろうか
他の誰かの欲望を模倣しているだけではないだろうか
その誰かは、かつて、悲鳴をあげた僕を殺したいと欲望していて
それを察した僕は悲鳴をあげるのを止めた、
そして悲鳴をあげる者を見る度にその場面を反復して
僕は彼を殺したいと欲望してしまうのではないか
いや、これはただの責任転嫁か
きっと僕は単に鬱陶しいのが嫌で、悲鳴をあげる者を殺したいだけなのだ
耳元に纏わりつく蚊を殺すのに大した理屈がいるだろうか
それはともかく、悲鳴をあげるなという禁令がある

悲鳴がなくなれば世界は平和だ
世界平和の実現のためには
世界で最も苦しむ者が悲鳴をあげない、という象徴的な事実が必要だ
この事実が禁令の威力を絶大なものにするからである
われわれは自分より苦しむ者を見ただけで、救われた気になるように出来ている
彼の存在はわれわれの生きる勇気を呼び覚ます
日常がどれ程血塗られていても、
彼のおかげで、われわれは彼よりマシ、とこの生に踏み止まる事が出来る
この生のどんな場所からでも悲鳴の代わりを作り出す力を得る
生の意味は悲鳴の代わりだ
見殺しにされ虐殺されてきた無数の悲鳴の代わり
生は悲鳴の代わりを求める運動である
生き続けるために、われわれは世界で最も苦しみ悲鳴をあげない者を必要とする
彼は自身の存在が悲鳴そのものであるから
禁令の下で決して姿を見せない
誰も彼の事を知らないのはそのためである
姿を見せたらわれわれは彼を即座に殺すだろう
一説によれば彼こそ禁令の主、禁令を発する王だという
戴冠の儀式は
王が死ぬ間際に世界で二番目に苦しむ者を指名し
バケツ一杯のガソリンを全身に被り点火して火だるまになるか、
王になるかを選択させるというものらしい
火だるまになって生きながらえた者が王になる場合も多いとの事
2014年09月05日(金) 00時48分44秒 公開
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No.8  A  評価:--点  ■2014-09-11 11:04  ID:pA0QzJ9KbiA
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クレナイさん

おはようございます。ご感想ありがとうございます。

萩尾望都の『偽王』は手元にありまして、意識していた訳ではないのですが、ここから着想を得ていたのかもしれない、とも思いました。

『偽王』は「永遠に美しい王国」ヴァル―・ファルーで犯された罪、その恥部(贖いの祭り=ありとあらゆる乱暴狼藉が許される祭りで、主人公の姉が殺され、主人公も殺されかけた)の犠牲者(主人公)の贖罪の物語であり、神への生贄としての烙印を押され盲目にされ去勢された上に王国を追放された贖罪の王に、主人公が旅先で巡り合い「贖罪を返」す(流砂にまきこまれるのを見殺しにする)事で一応決着する話ですよね。この話でも、乱暴狼藉を働いたのは王だけではないのに、なぜ、王一人が罪を負わせられなければならないのか、それで王以外の人間の罪が本当に許された事になるのか、と問う事が出来ます。祭りの主催者が王で、原因を作った者が最大の処罰を受けるという筋は理解できるのですが、なぜ、他の者はお咎めなしなのか。いや、そもそも祭りの主催者は王ではなく、神官なのではないか。そうだとすると、なぜ、神官は王に贖罪者の烙印を押し、追放し、自らは罪から免れて、その地位に居座っていられるのか。ひょっとすると、王に贖罪させるという方法で、同じ罪を共有する人民全てに共同意識を持たせた上で、その上位に立ち丸ごと支配しようとする神官の見えない意図が働いているのではないか。神の意図などではなく(実際、『偽王』に神は出てきません)。などなど、疑問の尽きない作品です。

漫画やお伽噺というのは、われわれの生きる「この」現実から遊離した幻想を描くように見えますが、果たしてそうなのでしょうか?幻想と人間の間は、「夢さえあれば生きていける」とかなんとかいう個人主義的な若者向け応援ソングのテーマになるような貧弱な言葉によって閉じられる場所とは限らず、「この」現実を生きながら同時に精神を持ち精神によって行動し得る我々(どの共同体に属するか、どんな共同体を創出するかというのは、精神の問題の一つです)が何度でも問うべき問題の在り処ではないかと思います。この部分を見ないという事が、「当たり前」や「常識」や「自然」などの名の下に隠されているという事が、見ないままわれわれが支配されているという事が問題だと思います。そして、この場所を排除する事も不可能だと思います。漫画やお伽噺を含めて、ありとあらゆる幻想を通じて視力を養い、武器を作り、幻想と「現実」の混在する「この」現実に切り込んでいきたいです。
No.7  クレナイ  評価:50点  ■2014-09-11 00:48  ID:33E/nA6Ip9Y
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Aさま

こんばんは。
題名からとても衝撃的なもので、とても惹きつけられました!
全体を読んで、私は萩尾望都”先生の「偽王」という話を思い出しました。
とてもよかったです。
No.6  A  評価:0点  ■2014-09-08 02:40  ID:BymBLCyvz/o
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游月昭さん

こんばんは。ご感想ありがとうございます。

刺さってこないというのはごもっともです。僕は優し過ぎるんですね(ナンチャッテ)。冗談はともかく、なぜ刺さらないのか、考えてみたいと思います。(おそらく、自分が傷つく程の一歩を踏み出せていたら、もっと出来は良かったのか…)

「悲鳴は傷の象徴になりえないとも感じた」作品本文との関係で何を意味するのか、よくわからないのですが、この発言は正しいと思います。悲鳴はその度毎に消えちゃいますからね。象徴になるのは悲鳴の代わりでしょう。

フィクションです、というのはおふざけなので、あまり気にしないで下さい笑
でも、漫画的とか御伽噺的というのは当たっていると思います。

コメントの本は面白いので、お勧めです☆

No.5  游月昭  評価:20点  ■2014-09-07 22:33  ID:IIbnOzQ/0rQ
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こんばんは!
読ませて頂きました。
何でしょうね。
ナイフやら棘みたいな「単語」が使われているんですが、刺さってこないですね。
切り込み方は面白味が有るんですが、私にはそこまで、という感じでした。
派手にやらかせば良いという訳ではないでしょうが、静かに眈々と進めたとしても、文(語尾など)が醸し出すイメージが軽くてピンときませんでした。
それより、No.3のコメントに興味をもちました。
キリスト教によって真に救われたのはキリストのみ、とか。
ああ、それから、悲鳴は傷の象徴になりえないとも感じたところが邪魔をしたのかもしれません。
ちょこちょこ追加してすみませんが、メッセージの「フィクション」というよりは「お伽噺」という感じでした。
追加追加で失礼しました。
No.4  A  評価:0点  ■2014-09-07 06:45  ID:pA0QzJ9KbiA
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青ガラスさん

ご感想ありがとうございます。

「黒くてすばしこい生き物」…ゴキちゃんでしょうか。僕も奴らが現われたら悲鳴をあげるかもしれません。
No.3  A  評価:0点  ■2014-09-07 06:46  ID:pA0QzJ9KbiA
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shikiさん

ご感想ありがとうございます。

「見たくない」という忌避感を和らげながら、「怖いもの見たさ」という好奇心を呼び起こすよう読者の感情を操作する事はホラー作家には必須の技術だと思いますが、その意図はありませんでした。今回は、僕自身の衝動に言葉が与えられるのか、無意味にならないかどうかを試したかったという感じです。秋田巌というユング派分析家の『人はなぜ傷つくのか』という本に刺激を受けて書きました。人間の存在根拠を「傷」として、その視点から様々な物語を分析するのですが、面白いと思いました。「傷を生きる英雄」=「Disfigured Hero」という概念が提唱されます。キリストではなく、手塚治虫のブラックジャックが元型として取り上げられます。キリストは全人類の「罪」を背負ったとされますが、秋田によれば、「罪」や「傷」は誰かに背負ってもらうのでは駄目で、自ら背負わなければならないとの事です。僕も自分の傷や罪、恥部を直視する事が難しいので、簡単に同意するとは言えないのですが、「そうだ!」と言いたくなるような衝動が生まれたんですね。この衝動に言葉を与えられるか、どうか。おそらく、直視出来なさがそのまま忌避感を和らげる仕組みを無意識的に生み出したのだろう、と思われます。『人はなぜ傷つくのか』には、安易な癒しや慰めを求めるのではなく、己の「傷」を引き受ける事に可能性がある事を教えてもらいました。
No.2  青ガラス  評価:50点  ■2014-09-05 14:05  ID:33E/nA6Ip9Y
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凄いですね〜
力を見せつけられた感が(^ ^)
フィクションです。というユーモアに余裕を感じます。

アンチテーゼとして悲鳴を!
過去に王に諌められたことがありますが、殺されたのは
黒くてすばしこい生き物です。それからは悲鳴をあげません。
No.1  shiki  評価:50点  ■2014-09-05 13:38  ID:/S6hyAqUMcE
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拝見させていただきました。
「素晴らしい!(50点)」というより「凄まじい!(50点)」。
凄まじいってあまりいい意味では使われないのかもしれませんが、良い意味での凄まじさを感じました。
ブラックファンタジーではあるのですが、考えさせられる物語です。
どことなく漫画的でもあって、かすかにキリストを思わせたりもして、それが忌避感を和らげて、読者を引き込む力になっているようにも思いました。
この作品で描かれる悲鳴というのものが、感受性が強すぎるがゆえに受難を背負った人間のささくれ立った神経をイメージしているようで、なんともいえない怖さを感じました。
結末の発想もすごいです。
感受性の強すぎる弱者が王となる世界とは、いったいどんなものなのでしょう。
想像するだけで恐ろしい。
どうやったらこのような発想ができるのか、凡人の私は括目するのみです。
有難うございました。
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