価値

友の
死を前にして
涙も出ない

俺の涙は
何であるのか

必要ないのならこの機能を
いっそ抹消してくれないか
この感情もセットにして


ゴミみたいな命や
宝物みたいな命や

考えると
出ない涙が内側に広がっていった

何が
どうして
なにか
どうにか
100回以上の後悔が
タイムマシンを作るだろう

涙と心をその場所の
タイムマシンに置いてきた

命の残響が
空気と共鳴する
脳がふるえた瞬間に


世界は僕のものじゃなくなった

価値
そんなもの
必要なくなった


ゴミが宝物になる
じゃあ次は
僕が世界を要らなくなる番だ


史裕
2014年10月18日(土) 19時24分29秒 公開
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No.2  史裕  評価:0点  ■2014-11-08 00:42  ID:FFPHdL6kjyk
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Aさんへ
お返事遅れまして申し訳ありません。
ご助言ありがとうございました。
どうにか折り合いをつけてみます。
それでは失礼します。
No.1  A  評価:10点  ■2014-10-24 08:59  ID:pA0QzJ9KbiA
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中学生の頃、歴史の授業で先生が話してくれた話をうろ覚えながら思い出しました。こんな話です。「ある貧しい国のゴミ山に、金になるものを拾いに人がやってくる。少女が何かを拾おうとすると、傍にいた中年の男が少女を殴り飛ばし、少女が拾おうとしたものを手にして去って行った。少女はよろよろと立ち上がったが、涙一滴流していなかった。何事もなかったかのように、また金になるものを探し出した」。先生がテレビで見た事実らしいです。

ここには感情と価値の対立がありますね。少女の姿には、悔しさや怒り、悲しみなどの感情に囚われてしまう事なく生きるために価値ある物を追求する態度が感じられます。

この詩では、「僕」に価値は必要なくなり、「僕」は「世界」を放棄してしまいました。内側に拡がる涙の水溜りの中に「僕」は「僕」を沈めてしまうみたいです。「僕」は「僕」を含めて「友」の命も「世界」にとってはゴミのようなものでしかない事を分かっていて、それでも「僕」にとって「友」の命は大事なんだと言っているのですね。おそらく、「友」は自殺したのではないでしょうか。「世界」から無価値だと告げられて、お前はゴミだと告げられて、抵抗も耐える事も出来ずに自殺したのではないでしょうか。そして、「僕」はその事に怒り狂っており、「友」を死に追いやった「世界」に逆に「お前こそゴミだ」と言いたいのではないでしょうか。

失った命は取り戻せないかもしれませんが、一体何が命をゴミだと思わせるのか、命の敵を見定める努力をすべきだと思います。敵を「世界」全体と同一視してはなりません。もっと言えば、ゴミ山の少女のように「敵」に囚われず価値を追求するのがよいと僕は思うのですが、敵の姿を見定める方が、感情に支配され無差別殺人のような愚行に突っ走るよりはマシだと思うんです。いかがでしょうか。
総レス数 2  合計 10

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