ζωον
足掻くことに疲れた仔山羊たちの迷い込む苑で

太陽の光は意志を持って泳いでいる

繕うことに飽き飽きした野猿らの逃げ込む洞で

月の灯は煙草の煙を抱いて澱んでいる

餓狼の眼差し 虎豹の唸り

被食者は洋燈の車で揺られている

捕食者は穏やかなる口許から犬歯を覗かせる

肉を裂かれ 臓物を潰され 血を噴き出すその時まで

鈍い足取りをやめないのだ

東野春雨
2013年05月15日(水) 01時33分54秒 公開
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No.2  東野春雨  評価:--点  ■2013-07-16 00:16  ID:p0sEWYg1gDY
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>>SHIRIAIさん

ご感想ありがとうございます。貴重なご意見、しかと拝読させていただきました。

まず、タイトルの注釈はあります。ウィンドウの一番上です。入力箇所を間違えたためここに表示されてしまいました。わかりづらくてすいません。

連分けについてはその通りですね。言い訳をさせてもらうと、一行の改行でどのくらいの隙間が開くのか把握できていなかったので・‥・‥。以前一行ずつあけたら「行間が広い」と言われてしまった経験があるのです。

正直に言ってしまうと。これは学生と社会人を対比させて描写した詩です。キャンパスを闊歩する学生と、夜の街で疲れを肴に酒をすする大人たち。社会において彼らは被食者であり、より強い存在である「捕食者」からすれば獲物に過ぎません。彼らの狡猾な狩りは、危険に無頓着な子ヤギや猿は死の間際まで気づきません。そういった人間社会の野生を描いたつもりですが、伝わっていなかったのであれば本末転倒ですね。精進します。

これからもよろしければ読んでみてください。ありがとうございました。
No.1  SHIRIAI  評価:30点  ■2013-06-15 03:34  ID:My7Ye.F7xJg
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はじめまして。

読みましたがコメント0の理由が分かります。分かりにくい。
まず、どれも行間が同じだけど、実際は連がある。だけど、連分けしていない。
特に後半が分からない
>鈍い足取りをやめない

のは誰か、食われるもの、
が、鈍い足取りなのはなぜか、
分からない。

でも、比喩が面白い。
>(毛を?)繕うことに飽き飽きした野猿らの逃げ込む洞で/月の灯は煙草の煙を抱いて澱んでいる

この文は好きです。が
>>毛繕いに飽き飽きした
にした方がよさそう。

題名、ギリシア人に読んで欲しいんでしょうか、註釈をつけるべきだと思います。
比喩が面白いので、整理すれば、いい詩になると思います。

私には今のところこういう比喩は書けないと思うので、がんばって欲しいです。
ありがとうございました。
総レス数 2  合計 30

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