砂金
砂金をひろう 両手でにぎる

崩れぬように 散らぬように

わたしは一時安堵する

これで進める これで行ける

今度こそはと歩きだす



かすかな風

誰かは吹かなかったといった風

それでもわたしは転んでしまう

盛大に 滑稽に 

地面に散らばったわたしの砂金

アア、アア

かがみこんで はいつくばって

わたしは拾う

わたしの余韻を 新たな色を

失くしたと気づき 得たと気づき

その時々に涙する


わたしはまた転ぶだろう

けれどまた歩くだろう

いつかどこかにたどりつき 

そこであなたに出会うなら

手元に残ったどれほどかをしめし

ただあなたに頷いてほしい
片桐秀和
2011年03月27日(日) 23時10分46秒 公開
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■作者からのメッセージ
こんにちは。
詩板にはひさびさの投稿となります。
詩を誰かに見てもらうのは毎回照れるのですが、半分勢いにまかせて投稿させていただきます。少し昔のことを思い出して書いてみました。
感想いただけるなら、うれしいです。

この作品の感想をお寄せください。
No.10  片桐秀和  評価:--点  ■2011-03-31 21:35  ID:n6zPrmhGsPg
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>紅月さん、ありがとうございます。

 気に入っていただけたようで嬉しく思います。
 
 >多くは無くていいから、一握りでいいから、自分の大切なものを見つけたい。
 
 実はある程度イメージをしつつ書いた詩なのですが、こうやって読まれ方をうかがうと、そうかそんなことが込められているという風に読めるのだなと、少し不思議な気分もします。自分の詩を読み取ってもらえるということがどうも驚きで。

 僕こそ紅月さんには色々刺激をもらっています。これからもどうぞよろしく。ありがとうございました。



>らいとさん、ありがとうございます。

 ご感想を読ませていただいて、なんとなくですが、小説を書く方らしい読み方かもしれないなと思えました。僕と似た読み方をされるな、と。
 何を暗示しているかと言われると、即座にこうとは言えない自分がいます。それは、自作解説を避けたいという意味とは別に、自分の中で、これを暗示していると、はっきりさせて書いたわけではないということに関わります。暗示という言葉をあえて使うなら、かなり広い範囲の暗示をさせていると言えるでしょうか。僕という人間が大切と思うものの総称といった感じで(あ、結局自作解説してますねw)。

 ともあれ、お読みいただけて嬉しかったです。ありがとうございました。



>昼野さん

 なるほどなあ、と頷かされる感想でした。というのは、僕が自分の言葉(文章にしても、詩にしても)についてずっと感じていた物足りなさを上手く言い表してくれていると感じたのです。本質と機能という見方をするなら、機能面にかなり傾いた言葉の使い方を僕はしているのでしょうね。
 詩を読む、面白い表現ともっと出会う、くらいしか改善する方法は分からないのですが、自分がより気持ちよいと思える形をこれからも追求していこうと思います。

 ありがとうございました。



>OZさん、ありがとうございます。

 まずは最終行を気に入っていただけて良かったです。まだ詩は数えられるくらいしか書いたことがなく、これでいいのかどうか、と探り探りするばかり。それでも、少しなりと感じていただけるものがあったのなら、次に繋げていけると思えます。

 アアをカタカナにしたのは、嗚呼、をかなにしたいと思い、ひらがな、かたかなと書いてみたら、カタカナの方が自分としてはしっくり来たから、こうなりました。言われてみれば、確かに喘ぎとして使われることも確かに多いと思います。今すぐどうこうするのは無理なので、またしばらく時を置いてから、その部分については考えてみます。

 この詩が小説的な言葉づかいになっていることは、僕も自覚していました。逆にいうと、それしか出来なかったと申しましょうか。小説をメインとして書く僕が、詩を投稿するのには、自分としての考えもあるにはあるので、取り入れられるところは取り入れ、自分が理想とする形に一歩ずつ近づければなと思います。難しい。

 ご指摘ご感想うれしかったです。どうもありがとうございました。
No.9  OZ  評価:40点  ■2011-03-31 20:41  ID:4MvGQJq3VCA
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読ませていただきました。まっすぐなところが良かったです。
そして最終行が美しいと思いました。
私は思いのたけをシリアスにぶっちゃけちゃった詩を読むと
茶化したくなってしまうという、ひねくれものですが、
本作は最終行がきいていて、うまくまとまっていると思いました。

あえて気になる点を言えば、アア、というような嘆きの表現は
投稿詩と大正時代くらいの詩、それから国語の教科書でよく見かけますが、
現代的な感性ではこのような嘆息は恍惚というか陶酔というか、
マナーの蚊帳の外にいる人が、絶頂に達した時にあげる声のようで、
私はどうしても好きになれないです。しかし、当然ですが所詮これは
個人の好みの問題だと思います。

それから、昼野様の批評はサルトルのものであったような気がします。
自分を棚にあげてしまって恐縮ですが、私も同様の印象を持ちました。

しかしながら、良い詩だと思いました。また是非読ませてください!
No.8  昼野  評価:30点  ■2011-03-30 00:11  ID:MQ824/6NYgc
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読ませていただきました。

正直、小説を書く人の詩だなーとおもいました。詩が言葉の実質だとすると小説は言葉の機能だという評論を読んだことがあるのですが、それに即して言えばこの詩は機能だなーと。
なんというか、もうちょっと表現に徹して、ぐっとくるようなものが欲しかった感じです。
No.7  らいと  評価:50点  ■2011-03-29 23:09  ID:iLigrRL.6KM
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今日は。
詩の感想は初めてなので見当違いの事を書いているかもしれませんが、お許しください。
まず、思ったのはこの場合の砂金とは何を暗示しているのか? という事です。
わたしの余韻を 新たな色をとありますので
そういったものなんだろうな、とは思いますが、それが何なのかわからないです。
これで行ける これで進める
というもの。
ただあなたに頷いてほしい
もの。
なんだろう……。
モノではないような気がしますが、
片桐さんの思う才能のようなものでしょうか?
まあ、詩というものに答えを求めるのは無粋なのかもしれないのでこの辺でやめときますが、
大変すばらしい詩だと思います。
No.6  紅月 セイル  評価:50点  ■2011-03-28 23:40  ID:Iu5ZrvBGX7w
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最後の段落が特に惹かれました。
多くは無くていいから、一握りでいいから、自分の大切なものを見つけたい。
それが何かはまだ分からなくても。
いつか「あなた」に出会うその日まで。
なんとなくそんなことを思いました。
いい刺激を貰いました。
ありがとうございます。
No.5  片桐秀和  評価:--点  ■2011-03-28 23:29  ID:n6zPrmhGsPg
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>流月楓さん

 う、うれしすぎるw。
 流月さんて人がいなければ、僕は詩を投稿しようとは思わなかったかもしれません。でも、こんなに読み取ってくれる人がいるんだってことが、あんまり嬉しいもんだから、たまに勢いにまかせて投稿してしまいますw。
 とんでも発言かもしれませんが、僕と流月さんは、もしかしたら似ているのかもしれません。住む場所、社会的立場、家族での位置、性別、色んなものは違うけど、大切にしたいと思っていることが似ている気がする。少なくとも僕は、流月さんの詩の中に、自分の一面、切実で大切な何かを見出してしまいます。みんな同じ人間さ、って言い方もあるだろうけど、一方でここまで僕が書こうとしたものを感じてもらえると、感動するとともに、そんなことを考えてしましました。

 あと、白状しときます。メッセージに少し昔の自分を思い出して、なんて書きましたが、今も昔も変わらずといえば、変わらずです(照れ隠ししたかったのさw)。無くして探して、落ち込みながらも歩いて、もしかしたらそれは一生続くのかもしれない。でも、その先に何かがあれば、いいな、そんな風に思います。

 本当に嬉しかったです。ありがとうございました。流月さんの詩もまた読ませてくださいね。
No.4  流月楓  評価:50点  ■2011-03-28 23:05  ID:7i6OEkkggig
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お元気ですか。
久々の詩の投稿うれしく思います。って私全然かけてないですが><

片桐さんの詩の中で、個人的にこれはかなりの上位です。
砂金というのがまた、さらさらとしてつかみ難い様を表しています。
砂金、されど金で(自分にとって価値あるものの象徴)捨てるに捨てれない。
みじめに這いつくばって拾い集めても、また転んでしまうかもしれない。
誰かには感じない風であっても、自分には足元をすくわれたりする。
それでも何か価値を見つけ、大切だった何かをなくし、少しだけ強くなり、歩いていくのでしょう。

>わたしの余韻を 新たな色を
>失くしたと気づき 得たと気づき
>その時々に涙する

この3行でぐっと引き締まっている気がします。

>ただあなたに頷いてほしい
というこの一行で、さらに前を向こうとする頑張り、いつかきっと誰かが認めてきっと笑ってくれる。
そう思いながら、そう願いながら生きていくという心情がラストで強烈な印象を残します。

こんな時だからなのか、涙がでます。
若いころのことを書いたとありますが、私にはなんだかまだその途中のようです。さすがにすべてをなくすということはないけれど、培った砂金が私の中で音を立ててさらさらと崩れる音がたまに聞こえます。(思い込みが激しいので、多くは不安からくる類のものですが^^;)
私は、子供ができてから、とても弱くなった気がします。
いつだって未来を憂い、それを思っては泣いてしまう夜もあるのです。

人生というのはそういうものですね。
共感できました。
ありがとうございます。
また読ませてください。
No.3  片桐秀和  評価:--点  ■2011-03-28 19:32  ID:n6zPrmhGsPg
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>言葉に惹かれてさん

 ご感想嬉しかったです。この詩のイメージが浮かんだのは十代後半になります。僕のこれまでの人生の中で、一番悩み苦しんでいた時期であり、いろいろな言葉や音楽、そして人に触れるなかで、もうやめたい、いやもう一度歩こう、という相反する気持ちが、一日の中でさえ錯綜していました。未だにそんなところがあるかな。「あなた」には会えた気もするし、まだ会えてない気もします。でも、人生まだ長いとおもって、焦らずやっていこうかな、と。
 詩の感想にたいする作者レスって難しいなと思いつつ、感謝の気持ちだけでも伝われば幸いです。ありがとうございました。

>ゆうすけさん

 ご感想ありがとうございました。
 僕自身、詩に対する造詣が深いわけでなく、作品を書くことにも、感想を書くことにもまだ戸惑いがあります。しかし、今こうして自作に感想をいただくと、とてつもなく嬉しいものだなと気づき、「ああ、ありがたいな」と思うばかり。
 技術的にはまだまだ拙い詩ではあるでしょうが、それでも感じ入って下さる方がいるなら、本当に書いてよかったです。自作解説は避けようと思うものの、そうするとありがとうとしか言えなくて、ちょっと困ってますが、うれしいご感想だったとだけお伝えさせていただきます。
 本当にありがとうございました。
No.2  ゆうすけ  評価:50点  ■2011-03-28 17:16  ID:1SHiiT1PETY
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若かりし頃(今も気持は若いですけどね)思い悩んでいた日々の事を思い出します。

生きていくための信念、あるべき自分らしさ、頑張るための理由、自分を愛せる何か、哀しみを忘れさせてくれる喜び、決して目に見えることもなく、掴める形もない不確かな何かを必死になって集めて歩いていき、そして誰かに認めてもらいたい。それを認めてくれる誰かは、刎頚の友、それとも終生の配偶者、或いは斯くありたい未来の自分か。
何度も転び、その都度失うことを覚悟しながらそれでも前進していこうという想いが伝わってきます。

正直言いまして、無学な私は詩を論ずるほどの教養はないです。心に響いたかどうか? 読んで何かを感じたか? それを以て感想とさせていただいているだけです。
この詩に、私自身が思い悩んでいた頃の姿が重なりました。
砂金は必ずその手の中にあって、誰かが頷いてくれるはずです。
No.1  言葉に惹かれて  評価:50点  ■2011-03-27 23:49  ID:9AnPLbZ9GzE
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 自分の信条や信念を持っている人は、強みを持っていることになりやしないか。人に何と言われようと、譲れないものを持っている人は。

それは砂金のようにちっぽけで、目に見えないものかもしれない。でも、砂金のように価値のあるもの。それを見て、「あなた」が頷いてくれたとき初めて、ああ間違ってなかったと思える。

これからの人生が明るくなるような詩でした。片桐さんが紡がれた言葉はまさに砂金のように価値ある、伝えたいという思いこもった言葉でした。
総レス数 10  合計 320

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