| また来てね、が別れのコトバ |
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昨日1月12日は成人の日、ということで いまからちょうど30年前、私が成人を迎えた頃の話 就職して半年ぐらい経ったころ 母親の妹(つまり叔母)がステージ4の卵巣がんで入院したと連絡があった うちの母は、あまり体格の大きい方ではなくやせ型で 背丈もどちらかというと小さい方だったが 叔母は逆で、背丈も大きく、割とがっちりとした体型の人だったが その前の春に、就職が決まった挨拶に伯父の家に行った際に会ったとき ちょっと顏まわりがスッキリしているように見えたので 「痩せた? なんかスッキリしたように見えるよ」と私が云うと 叔母が「逆に太っちゃったのよ。お腹まわりが太くなっちゃって」 なんて云って笑っていて そのときは私の見間違いか、くらいに軽く聞き流していたのだけど もしかしたらそのときからすでに、病気は進行していたのかもしれない 土日の休みを利用して、病院へお見舞いに行ったのだけど 病室へ入ろうとしたら、頬はこけ落ち、見る影もなくやせ細った叔母の姿が 私はどういう顏して入っていったらいいのかわからずに しばらく病室へ入ることが出来ずにいた そして、長らく忘れかけていた、ある出来事をふっと思い出していた まだ保育園児だったころ、通っていた保育園の園長先生が亡くなり 私たちは園長先生の最期のお別れ会に参列することになった 一人ひとり、先生が眠る棺に花を手向けていくのだけれど 私の番になり、花を手向けようと棺の中の園長先生の やはり見る影もなくやせ細って、まるで別の人みたいになってしまったその姿に 思わず、手を引っ込めてしまった あのときの園長先生の姿に叔母の姿が重なってしまい どうしたらいいのかわからず、病室の前でしばらくの間 立ち尽くしてしまっていた しかし、いやいや待てよ もし仮に自分が叔母の立場で、病気で入院ているときに 身内が病室に入ってきてくれなかったらどう思うか? 私だったらいつもと変わらない顏で入ってきてしいと思い なるべく驚いた顏は見せないよう、悟られないよう 極めて普通の笑顔で病室に入っていった 特別、なにかしたというわけでもないけど 口が渇くと云っていたので、氷を小さくして口湿しに口に入れてあげたり チューブで廃液を取っていたみたいだったけど それが上手く取りきれてえなかったみたいで苦しそうだったので それを大人に伝えたりくらいはしていた 叔母は私たちが帰るときには決まって 「あんまり無理しなくていいよ、忙しいんだろうし」と云っていた それでもまた、次の休日もお見舞いに行った 叔母には子どもが二人いて、どちらももう働いていた 長女はその日、会社の同僚に誘われたとかで遊びに行っていた模様 長男もなにか用事あったのか、顏を見せてはいなかった 叔母の旦那は毎日のように病院に来てはいたが 休憩所のソファで寝そべってるばかりでなにもしない 長期の入院になりそうなのに、仕事へ行く気配もない 叔母はうちの母親みたいに、すぐに愚痴文句を云うタイプではないので きっと苦労してきてたんだろうな、と 口には出さないが、そう思っていた ドレーンっていうのかな、廃液がうまいこと取れなくて かなり容態も悪い様子で 看護師さんに診てもらうも、大部屋では他の人の声とかでストレスになるから 個室に移した方がいいと旦那に相談したところ 旦那は何も考えずに、個室に移れ、すぐに移れ、と無神経発言 いきなり個室って云われたら、患者はどう思うかとか 大部屋より個室の方がお金もかかるし 旦那は働きに行きそうもないし、とか もしかしたら、病気がかなりヤバいんじゃないか、とか 患者からしたら色々心配になるだろうに そういうの全く考えない 却ってストレスになったと思うよ 日中ずっと具合悪そうだった叔母が 廃液がスムーズに取れるようになると 嘘みたいに具合がよくなっていたので 夕方にやってきた兄嫁や娘は大丈夫じゃないか、と思った様子 いくら私とかが、日中ずっと具合悪そうで苦しそうだったと云っても 元気そうにしてるじゃん、どこが具合悪いの?って感じで この人らに云っても無駄だと思って、それ以上は云わなかったけどね だけどその日に限って、叔母は私たちが帰るときに 「忙しいだろうけど、また来てね」 とめずらしいことを云った いつもは、気にしなくていいからね、と云っていた叔母が この日に限ってそんなことを云うので 帰りの道中、ずっとひっかかっていた 家に帰って、夜も遅くなったころに 叔母の容態が急変したと電話が その時にはもう意識はなくなっていたらしいのだが 何故かうわ言のように、私の名前を呼び続けていたらしい 自分の娘の名前でも息子の名前でもなく もちろん、近くに住んで、子どもの頃から知っている 伯父の子どもたちの名前でもなく 結局、意識を取り戻すことなく 50歳を手前にして、亡くなってしまった 叔母が最後に残した言葉が、また来てね、だった 少なくとも私が見舞いに行ったことで 叔母は不快にもストレスにも感じていなかった、はず 私はそう思っていたい 死の瀬戸際に、なぜ私の名前を呼び続けたのだろう 叔母もうちが酷い状態であることは知っていた 別居するしないで話し合いのとき 私がおかしくなっていたことも もしかしたら知っていたのかもしれない それからずっと、気にかけてくれていたのかも あとから聞いた話によると 他の兄妹たちの子どもたちは、叔母の姿を見ただけで 可哀想で見ていられないと 一度も病室に入ろうともしなかったとか 人にはそれぞれ考え方があるから 別にそれが悪いとは云わないけれども 私なんかは遠くに住んでたから あまり交流という交流はなかったけど あなたたちは小さい頃から色々お世話になってきたわけでしょ 身内だったら、こういうときこそ 普通の顔して、いつも通りの笑顔で元気づけてあげたりするものじゃないのかな? まるで病室へ入っていった私を、 何も考えてない無神経人間みたいに それに娘も娘だと思うよ 母親が危ないって状況なのに そんでよく遊びになんか行けるな 時には気晴らしも必要かもしれないけど 自分らが楽しんでいる間に何かあったらどうするんだろ まあ、人の家の事情は私には解らないことだから そこツッコんでもあまり意味はないのだろうけど この娘というのが、学生時代までフルートをやっており 音楽はクラシック以外認めない、という人だったのに お見舞いに行った際に、休憩室のテレビでSMAPが出ていたのを観て 「あ、中居くんだ」 と云ったときには、思わず顏を見てしまった まあ、もう付き合いのない人たちだから どうでもいいっちゃどうでもいいんだけどね 叔母の嫁ぎ先は、代々創価学会信仰者であったために (叔母は入会はしていなかったらしいのだが) 宗教のことはよくわからないけれど、その影響なのか知らないが 棺は祭壇の奥の方に置かれ、しかも何故か透明なフタがされていた お通夜の夜、伯父嫁はなにがそんなにハイテンションさせていたのか 娘や娘婿たちと高笑いしながら談笑にふけっていた 叔母の思い出話をしていたわけでもなんでもない ただただ、娘と娘婿と自分の孫たちの話で大笑い 人がさ、あなたの義理の妹が亡くなったばかりなんだよ 別にしんみりしろ、とは云わない 笑うな、とも云わないよ けどさ、母や私もいる中 バカみたいに大笑いするって その態度はどう考えてもおかしいし、不快で不快で仕方がなかった 帰りにいとこの旦那さんが駅まで車で送ってくれたけれども さすがに旦那さんも、伯父嫁の態度には違和感をおぼえているみたいだった 旦那さんがまともな感覚を持ってる方でよかった、と 心の中で少しだけ安堵していた 叔母が亡くなって、あれから30年 もしも今もまだ叔母が生きていたら、何か違ったんだろうか? いやそれでもきっと 運命とやらには抗えやしないのだろうな 余談だが、叔母がその前の年の暮れに手術することになり その日の手術がはじまるちょうど同じ時間に 仕事中だった私は急に悪寒と吐き気に襲われ 急性肝炎に 叔母はその日、結局手術が出来なかったらしいのだが 誰に話しても笑われるだけで、あまり信用してもらえないけれども なんとなく繋がっていたんじゃないか だから最期のさいごに、叔母は私の名前を呼んでいたのではないか? そんなことを、ふとした拍子に考えたりもしてしまったり また来てね それが最期の 別れのコトバ 最期の 別れのコトバ |
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陽炎
2026年01月13日(火) 11時49分00秒 公開 ■この作品の著作権は陽炎さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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