許されざる者

隠れるように隠れるように
息をするのさえ申し訳なく思いながら
ひっそり生きてきました


あの日から
いや 多分そのずっと前から


あの日は日曜日で
僕は取り立ててなんの用事もなく
家でダラダラと 本を読んだりして過ごしていました
世の中の人は 友だちや恋人・家族とどこかへ出かけたり
充実した休みを過ごしているのかな
自分には関係ない世界だけど なんて思いながら
本にも飽きて たまたまつけたテレビに映ったその光景に
僕は激しく動揺し そしてものすごい戦慄を憶えました


トラックで歩行者天国の人ごみの中を突っ込み
さらにナイフを振り回して 次々殺傷していったと
テレビに映し出されたナイフを振り回している男に
僕は見覚えがありました
全身の力が抜けたような感じがしました
わなわなと躰の震えが止まらず
目の前が 僕のまわりの世界が
ぐにゃりとねじ曲がってしまったような
足元から崩れ落ちてしまいそうな
どうしていいんだかわからなくて
意味もなく部屋のあちこちを開けたり閉めたり
水をがぶがぶと 2リットルのペットボトルほとんど飲み干してしまったり
部屋の鍵がすべてかかっていることを確認し
カーテンを閉め切って
テレビから流れてくるその映像とその男を
ただただじっと見つめていました




あの日から 僕や家族の取り巻く環境は一変しました
実家には毎日のようにマスコミが押し寄せ
いやがらせ電話や貼り紙がひっきりなし


僕の務め先も どこで知られてしまったのか
自主退職という形の 事実上のクビを云い渡され
住んでいるアパートも 契約更新は出来ないと云われ


住む家を変えても職場を変えても
苗字を変えてみても
すぐに居場所を特定される


僕はもう 仕方のないことだと
半ばあきらめて生活するようになっていました
僕みたいなものたちは
一生世間様から後ろ指さされ
糾弾され続けて生きなければいけないのだと


隠れるように隠れるように
ひっそりと こっそりと
それこそ息をするさえ申し訳ない気持ちで


けれど そんな僕にも好意を寄せてくれる女性がいました
彼女はいつも明るく 優しく話しかけてくれました
僕のことを知ってか知らずかはわからないけれど
そんな彼女に 次第に僕も心惹かれるように
もしも彼女が僕のことを知らなければ
ずっと知らないでいてくれたらいいとも思いながら
それでも いつかは知られてしまうのではないか
知ってしまったら彼女はどうなるんだろう


ある日酒に酔った勢いで 彼女に本当のことを打ち明けました
きっと彼女もキライになるだろうな
いなくなってしまうんだろうな
そう思いながら
だけど 彼女の反応は意外なものでした
「あなたはあなた、関係ないわ」と


僕は心の重荷がほんの少し スッと軽くなったような
不思議な気持ちがしました
そして 彼女だけが唯一解ってくれる人だと
僕なんかでも 人並な暮らしを望んでもいいのかもしれない
生きていても もしかしたら許してもらえるかもしれない
彼女は暗闇だった僕の世界を やさしく照らしてくれる
一条の光だったのです


僕はひととき 彼女とのごくありふれた
だけど僕にはとてもまぶしすぎるくらいの
しあわせな しあわせな時間を過ごすことができました


僕は彼女と結婚したいと思いました
彼女と一緒ならしあわせでいられる
たとえどんなことが起きたとしても
きっと 生きていける


だけど それはただの夢にすぎませんでした
彼女のご両親からは
「付き合っている分には構わないが、君と家族になることはできない」
ハッキリきっぱりとそう云われてしまいました


そう云われることは想像できてはいましたが
彼女のご両親ならもしかしたら という
期待がなかったと云えば ウソになります


しかしもっと決定的だったのは
ご両親から反対されたことで 彼女の態度も少しずつ変わっていき
ついには
「あんたもあんたの家族もみんな異常者なんだよ」と
僕が彼女の口からもっとも聞きたくなかった言葉を
投げつけられたことです


いいえ 彼女も彼女のご両親も決して悪くありません
悪いのは僕です 僕たち家族です
普通の暮らしをしたいなど 
まったくもって 1ミクロンも望んではいけないことだったのです




あの日 歩行者天国で無差別殺傷事件を起こしたのは
僕の兄です


事件の背景について マスコミはいろいろと報道していましたが
犯行の根底にある出来事を
僕にはなんとなくわかるような気がしていました


子どものころ 僕たち兄弟は
とにかく母親の機嫌ばかり気にして過ごしていました
ちょっと機嫌を損ねれば
雪の中 薄着で裸足のまま夜通し外に放置されたり
食事も 床に新聞紙を敷いて
その上に全部ぶちまけ 犬食いするよう云われたり
理不尽に暴力を振るわれたり
勉強以外のことをすることを禁じられて育ちました


兄はコピーだと云っていたと聞きました
兄がコピーだとするなら
僕もまたコピーです
僕はなんだか背筋がゾワゾワと凍るような
冷たいものが走っていくのを感じました
僕も兄と同じだ
このまま生き続けていたら
兄と同じことを いつか僕も
僕もしてしまうかもしれない




被害に遭われた方 兄がしたこと
本当に 本当に申し訳ありません
謝っても謝っても謝り倒しても
決して許されないんだということ
一生償いきれることのない 
大変なことを起こしてしまったんだということ
おひとりおひとりの生きられるはずだった未来
人生のすべてを奪ってしまった罪は
たとえ兄が死刑になったとしても
決して 決して消えることはありません
本当に 本当に申し訳ありませんでした




生きていてはいけないのだと思います
あの時彼女が
「あなたはあなた」と云ってくれたけれど
やはり犯罪者の家族は イコール犯罪者なのです


いままで優しくしてくださった方々
本当にありがとうございました
感謝しても感謝しきれません


お父さんお母さん
あなたたちだけに兄の仕出かしたこと
押し付けるみたいにしてしまい
ごめんなさい


気付いてしまったから
僕ももしかしたらって
そんなことばかり考えてしまう自分が
そら恐ろしくて そら恐ろしくて
とてもこの先 
堪えて生きていける自信がないのです


僕は弱虫ですね
ごめんなさい
本当に 本当にごめんなさい




最期に、被害に遭われた方々に
心からのお詫びとご冥福をお祈りいたします




さようなら




陽炎
2024年10月04日(金) 12時32分04秒 公開
■この作品の著作権は陽炎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます

この詩は、2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の犯人の弟さん視点で描きました
あくまで事実を含めたフィクションです


これだけ大きな事件を起こした犯人には
まったくもって理解も共感も出来ませんが
子どもの頃の家庭環境や生育環境
親から受けた「しつけ」と云う名の虐待が
その後の人生にどういう影響を与えてしまうのか、と考えるととても恐ろしいと感じます

弟さんは、自分の中にも犯罪を犯した兄と同じものがあることに気づいてしまった
兄はそれを外に向けてしまったが
弟さんはそれを自分に向けてしまった

唯一、心を許せると思った相手ですら
最後は非情な言葉で彼を切りつけた
世界と繋がっていたたったひとつの糸が、
プチッと音を立てて切れてしまったのでしょう
もう、どうにでもなれ、と

なんともやりきれない気持ちです

一番ツライのは亡くなられた方々
怪我を負い、心にも一生消えない傷を負ってしまった、何の罪もない方々
そしてそのご家族や友人、知人、恋人たちであり
犯罪者家族に肩入れしているわけではないですが
不快に思われた方、いらっしゃいましたら
大変申し訳ありません



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