夏と秋に。
僕らがやってきたことに夏の意味などあっただろうか。
斜塔の影は虚ろで、その周りを廻って熱が微かに逃げた。
時代が『型』どられたジオラマにリアリティを、持たせることで〈世紀〉を獲得した

年号が変わって、猫が死んだ。
最後は自家用車のエンジンに潜り込み、熱で焼き殺された
夏、のことだった。
そういえば、残されたレガシーとやらは、言葉の藻屑となって、記憶からも跳んだ。
あと、一週間でこの話題も消える。
そう思った時、私の批評性は十二分にその場のしのぎのものだった。

靴擦れが起こった時、身体が街に出現するので、忘れていた私は、審美眼に晒されいるいる、そこは、戦場だった。
都心のキラキラは、錆びたチェーンにぐるぐる巻きにして、可塑性のないガラスみたいに粉々にしてやりたいと思った。
悪意を夏から秋に向ける頃、陽だまりと台風の交代がやって来て、その度に我々は困惑する
浮気と清純の、整合性があなたに取れますか、秋とは、そんな季節です。
プラタナスの落ち葉を足で引きづって歩む歩道に数人の子供が通ったので、互いの要求の原始を見た。
関係とは、幼児性の積み重ねである。
容赦無く視線と欲望に貫かれる無意識を私たちはまだ名前を付けていない

裸だ、ということなので、すっぴんで歩いてるものだ。
子供は特に。老人になるとさらに。
一糸纏わぬ真心を、ぶつけられた時、言葉のなんでもなさに気づくので、少しがっかりさせられること、
まだ、大人は発明をし続けていること、
併せ持っても少し頼りない表出表現に秋の風は緩やかに伸びていきます。
(生まれたいのです)
活字に転げ回って、痛ぶられて、顔を腫らして、逢瀬を重ねて、産んだこと。
誇らしげに思って、初秋の猫が死んだ日を落とし込んでいく。
それって、残忍なことで、情報を晒す季節になったってことで、死が軽くなった。
私は夏を起因した秋の罪人です。

それとなく、触れた襟首はピンと立っており、携帯機を自室に置いて、都心にて情報の鎖をつけられずに済む。
わずかに残った青臭さは、花香の匂いで擦り切れた。
残暑、鳥肌が立つくらいのヒトの多さに目眩を起こした街に、私は呪詛を唱えて闊歩した、とても重圧で。
緑が多い公園のベンチに背を持たれ、私はこの街が熱と情報と性差と鉄筋コンクリで出来てることを知り、季節は棄権したことを知った。
それだけのことだ。
逃げ腰
2018年09月03日(月) 12時25分38秒 公開
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No.2  逃げ腰  評価:0点  ■2018-09-09 10:13  ID:9HLXbBZTWqY
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はじめまして!waithaitさん!
感想ありがとうござます。
夏と秋の違いですが...実は自分は季節感が薄く上手く書けてないと思ったんです。
季節感というものは実はここまで発達した都市社会には意識されないものなのかもしれません。
重力となる部分がないのは単に実力不足なだけでして、この詩に細工をしたわけではありません。
すいません、是非次も読んでください。
No.1  waithat  評価:20点  ■2018-09-08 08:00  ID:IjEDUICAPFk
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夏と秋についてなんですが、最近夏と秋ってそんなに差があるんでしょうか。ぼくにはこの詩の重力となる部分が判然とせず最後まで平坦となっているように思いました。意図されてのことならごめんなさい。
総レス数 2  合計 20

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