「私」という人間はきっと私ではない |
器の中に注ぎ込まれた水へ砂糖をひとつまみ 歪んで溶けて沈んだ 残るは透明な水ばかり 完全なる一つの物体がそこにあった 水面を指先でつらぬき僅かにすくい上げた水を舌先にあてる ほんのりと甘かった 「私」という人間は私に私を混ぜたもの 誰かがひょいと摘み上げてひとまとめにしてしまった 体と心が切り離される 結局私は誰なのだろう |
たよ
2017年11月15日(水) 16時18分53秒 公開 ■この作品の著作権はたよさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.6 游月 昭 評価:50点 ■2018-01-09 10:25 ID:wyKWIMwkBUw | |||||
詩を書くということは、それを探す過程を文字に表す事なのかもしれません。 自分もいっぱい詩を書いていた頃はそうだったのだと思います。 『「私」と私』については以前私も書きましたが、元は存在しない多数決なものなんですよね。この、ネットのような足元の儚さをこれからも感じて生きて行くのでしょう。 |
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No.5 モネ 評価:50点 ■2017-12-29 13:19 ID:.1kspnRNoz. | |||||
「結局私は誰なのだろう」という疑問は、誰でも一生抱き続けるものだと思います。 たよさんがおっしゃっていることとは大分かけ離れてしまうかもしれませんが、自分のことを本当に一番知らないのは自分であり、また誰よりも最も他人であるのも自分なのかもしれませんね。 |
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No.4 たよ 評価:--点 ■2017-12-24 00:48 ID:IxTgBs4DciY | |||||
この宇宙には存在しない男様 コメントと評価ありがとうございます。 きっと、この詩をもっと広く考えてみるとそのような事にも繋がるのでしょうね。私は存在することを間違いだとは思いませんが疑問には感じます。疑問を抱くという行為さえ疑問に思うほどです。自分自身が生き物である筈なのに、それを宇宙の果ての果てから不思議な目で観察しているような感覚に陥ってしまいます。 |
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No.3 この宇宙には存在しない男 評価:50点 ■2017-12-02 19:12 ID:.wj/oi87BPA | |||||
僕自身は、この宇宙に僕が存在していること、人間やその他の生物が存在していることそのものに違和感を感じて生き続けてきました。この世で息を吸っていること自体に疑問を感じます。ここにいる僕は本当の自分ではないと感じます。ここに存在していること自体が、根本的な間違いだと思っています。たよさんの感じ方とはもしかしたら微妙に違うかもしれませんが、たよさんの詩に共感します。 |
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No.2 たよ 評価:--点 ■2017-11-29 16:03 ID:IxTgBs4DciY | |||||
Fufu様 ご丁寧なメッセージありがとうございます。時々自分に感じる違和感を自分以外の方に共感して頂けるとは思いませんでした。 |
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No.1 Fufu 評価:40点 ■2017-11-24 19:17 ID:er/9ffUIoD2 | |||||
あります。自分が自分でなんだかわかりません。 共感する作品です。 「「私」という人間は私に私を混ぜたもの 誰かがひょいと摘み上げてひとまとめにしてしまった」 そうなんですよね。自分の環境に左右されない普遍的な部分を探しているけど、実際に存在するかどうかも疑問です。 |
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総レス数 6 合計 190点 |
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