無題 |
私は私がこの土地に初めて脚を卸した日のことを覚えていないのだけれども、きっとあの頃もこのくらい陽射しが強かったのでしょうね この街で興ったことあるいは始まったこと、全てが個人的なもので、それは郊外の取るに足らないこととして隅に追いやられるのでしょうか。 そういうことを考えたとき、堪らなく胸が苦しくなります。 一層に暑さは増していくばかりです。 通りが日光に照らされ、昼前の独特の清々しさを保っています。 私の影でその神聖を汚さないようにと、木陰のそばを歩く遊びをしています。 そういうとき、得てして、閑寂が訪れます。 きっちりと剪定され、景観としての役目のみを負ったプラタナスも、輸送システムとして働き、体系的に敷かれた車道も、 金属に触れたようなヒヤリとした拒絶や硬質さを失い、微睡んだ街の一隅になるのはその様なときです。 このような風景を街の人は言葉無く知っています。自覚的であれ、言葉にする術を持たないので伝わることはありません。 術を持つものは、この街には来ません。あるいは、訪れたとしても忙しくしてすぐ去ります。 陽射しが一層に強く増していきます。 拳を強く握っていることに気が付いて、ゆっくりと手を開いていく。 生の瑞々しさが、焦燥や寂寥に変わっていくのがわかりました。 私が私を許せない時、きっと今のように葉擦れが耳をくすぐっていたのでしょうか。 私がもっと狭い世界で生きて特別だった頃、一般名詞しか持たない山の向こうに私と同じく、自分を自分で許せない人がいることを想像出来ませんでした。 私の考え出したことはその人もきっと考えた。時には、楽しく。時には、苦しく。 なのだしたら、特別って何処にいってしまうのだろう。 郊外の、言葉もないこの場所では、あらゆることが個人的なものになってしまいます。 涼しい風が、私の肌に当たり心を凪いでいきます。 了 |
逃げ腰
2017年02月03日(金) 12時42分38秒 公開 ■この作品の著作権は逃げ腰さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 逃げ腰 評価:0点 ■2017-02-22 12:13 ID:QmqNILQPWJs | |||||
こんにちは。 東山治さん、感想くれてありがとう! 自分が一番厳しかったりしますよね。 ではでは。 |
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No.3 東山治 評価:30点 ■2017-02-22 11:28 ID:zXbKFMfOiRI | |||||
自分を許せないタイプの方であるところに、僕は共感します。 | |||||
No.2 逃げ腰 評価:0点 ■2017-02-06 20:31 ID:QmqNILQPWJs | |||||
はじめましてdokomuさん、逃げ腰です。 >>何回か繰り返し読みました。 >>たぶん、理解できていないですが、繰り返し読むぐらいおもしろかったです。 繰り返し読んでもらえてとても嬉しいです。 書いた甲斐がありました。 理解できなくても決してあなたのせいではありません。 なんか良いなと感じ取って貰ったならそれだけで私として望外の幸せなので! また読んでください。ではでは。 |
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No.1 dokomu 評価:40点 ■2017-02-05 22:53 ID:RCiFLvGz/TM | |||||
読ませていただきました。 何回か繰り返し読みました。 たぶん、理解できていないですが、繰り返し読むぐらいおもしろかったです。 |
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総レス数 4 合計 70点 |
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